基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

神話の力が傑作すぎてなかなか読み進められない

『神話の力』というタイトルの本書は、神話、物語の力についてジョーゼフ・キャンベル氏とビル・モイヤーズ氏が対談する内容なのですが、これがもう、ビル・モイヤーズが、キャンベルがいかに凄い人間なのか、ということを説明するだけのまえがきからべらぼうに面白くてやばいのです。1992年が初版なので大分古いのですが、もうすぐ文庫化するということで早川書房の元SFマガジン編集長、塩澤快浩氏のこんな発言があったので読んでみたのです。

来月、ノンフィクション文庫より文庫化されるキャンベル&モイヤーズの対談集『神話の力』を読んでいる。これはすごい本。いや本当に、作家や編集者にとっての“聖書”というべきか。“物語”を生業にすることの意味が書かれている(まだ途中だけど)。というわけで、解説は冲方丁氏。──Twitter / 塩澤快浩: 来月、ノンフィクション文庫より文庫化されるキャンベル ...

いやはや、ここまで言われて読まずにいられるはずがない!(別にぼかぁ「物語」を生業にしてはいないけど!)そんなこんなで文庫化すら待てずにこうして読み始めてしまったわけです。そんでもってまえがきだけでも物凄く覚えておきたい箇所が多すぎて、これをいったん吐き出してからjではないと先へ進めそうにない。なので、とりあえずいったん吐き出しておきます。

なぜ神話なんか必要なの

 ビル・モイヤーズの同僚のひとりが、キャンベルとの共同作業について女友達から、「なぜ神話なんか必要なの」と聞かれたそうで。そういう、ギリシャの神々のようなのは、現代に生きる我々とは無関係だというのだ。しかし、そういう、現代にまで生き残ってしまったようなものは、私達の信仰や信念といったものに目に見えない形でびっしりとへばりついてしまっている。たとえば裁判官を見れば、それが一つの役割にすぎなければ彼らはスーツを着て法廷に出てもよい。しかしそれがなされないのは、法律が権威を持つ為には、裁判官の力を儀式化し神話化する必要がある。その一例だけではなく、多くの物事を儀式化し、神話化する必要があるのだとキャンベルは言っている。その理由については、本編で詳しく述べられるだろう。

英雄の本質について

「英雄の旅の本質は、そんなものじゃない。理性を否定するのが目的ではない。それどころか、英雄は暗い情念を克服することによって、理不尽な内なる野蛮性を抑制できるという人間の能力を象徴しているんだ」──P20

ヒーローっていったいなんなんだろうなぁ、どういうものをみんなヒーローって呼んでいるのかなぁと最近「ヒーローマン」というアニメを見ながら考えていたのだけれども、これで大部分納得がいった。ヒーローマンのアニメ作ってるときに、原作者のスタン・リーが当初の予定とは違い、主人公の相棒で左足に重傷を負って常に松葉づえの相棒役・サイを主人公にしよう! と言いだしたそうだ。しかし松葉づえの人間を動かすのは作画に負担がかかりすぎるからといってアニメサイドの人間が必死に説得して、却下したというエピソードがある。なんでサイを主人公にしたがったのか、っていうのはたぶん、英雄の条件としては不利な状況に立てば立つほどよいんだろうな。そういった不幸から来る状況にあっても、英雄は「抑制できるという人間の能力を象徴している」のだとしたら。より多くの不幸を「克服できると証明してみせること」こそが英雄の本質なのだろう。またもう一つ重要なのは、社会を救い出す為に行動すること、である

一生かけて読めばいいんだ

 ジョーゼフ・キャンベルは、人生を冒険として肯定した。学生時代のキャンベルは、大学の指導教員が彼を狭いアカデミックなカリキュラムのなかに閉じ込めようとしたとき、「冗談じゃない」と言って、博士号を取る勉強をする代わりに森のなかに入って本を読んだ。彼は生涯を通じて、世界についての本を読み続けた──人類学、生物学、哲学、芸術、歴史、宗教。そして他人に対しても、世界に深く入るためのひとつの確実な道は、印刷されたページの上にあると説き続けた。キャンベルが亡くなって数日後、私は彼の教え子のひとりで、いまは一流雑誌の編集助手を務めている女性から手紙を受け取った。私がキャンベルといっしょに一連の仕事をしていたことを知ったこの女性は、セイラー・ロレンス大学のキャンベル教授のクラスで「息をひそめて座っていた」学生たちの「あらゆる地的な可能性のあいだを、先生のエネルギーのあらしが吹き荒れたものです」と教えてくれた。彼女はさらにこう書いていた──「私たちはみんな魔法にかけられたかのように耳をかたむけていたのですが、その一方で、毎週読むように指示される本のあまりの多さにたじたじでした。とうとうクラスメートのひとりが立ち上がって(まさしくセイラー・ロレンス風に)抗議しました。『私はいま、ほかに三つの科目を取っています。一週間のうちにこれだけ全部読めとおっしゃっても、無理ではございません?』と言ったんです。キャンベル先生はすぐに笑い出して、『いや驚いたな、全部読もうとしてたなんて。人生はこれからだよ。一生かけて読めばいいんだ』」
 手紙の結びにはこうあった──「でも、私はまだ読み終えていません──これはキャンベル先生の生涯とお仕事が決して終わっていないと言うひとつの証です」

すごいエピソードだなぁと思います。一生かけて読めばいいんだったら最初っからそう言ってくれよ!! というツッコミを入れるのは野暮というものでしょう。それにしてもズバ抜けた本好き人間だったようで、読んでいる間は共感しっぱなしでした。それから『一生かけて読めばいいんだ』というセリフはまさに、一生かけて本を読み続けて膨大な知恵を得た人間がいうからこその説得力があると思いました。

対談をちょっと読んでみたのですが、その会話の端々にかつて読んだ物語からの教訓、メッセージをその都度適切に引用して、わかりやすく説明していて、ただただ驚くばかりです。そういった物語を読む意味について、キャンベル氏は『世界の神話に共通した要素を発見し、人間心理の奥底には絶えず中心に近づきたい、つまり、深い原理に近づきたいと言う欲求があることを指摘することだ』といっています。「人生の意味の探求」が必要なのではなく、「生きているという経験」が必要なのだということらしいです。生きていくうえで、違う人生の可能性を、読むことによって経験することが生きていく為には必要であり、それこそが物語の意義だということでしょうが、それは読み進めてたしかめてみることにします。ではでは。

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)