何気なく読んだらこれが読みやすく、面白い。下から目線とはどういうことかというと、巷で活用されている孫子やら荘子やらの使われ方は、基本的に経営者へ向けてであり、経営者の下で働かされている人間の目線ではないというところから始まっている。つまり、「下僕が使う孫子」といったところだろうか。経営者目線で孫子を見るならば、「他者を出し抜く方法」といったところだろうが、下から目線だと「いかにして負けるか」といったことを解釈することになる。
個人的には、孫子の兵法よりも孫子の兵法を解説する著者の自虐的なギャグがいちいち面白かった。よくもこれだけネタを考え付くものだと感心してしまう。ちょっと引用してみる。
「学生に「この授業は何の役に立つんですか?」と訊かれることがある。「知らん」と答える。(ほんとうに知らないのである。)「じゃあ、ムダってことですか?」と訊かれれば、「九割方はムダだろうねえ」と答える(根が正直なもんで)。チャイムが鳴り、まだ訊きたそうな顔の学生を残し、わたしは教室を出る。鐘とともに去りぬ、と。」(p.101)
感じたとおり正直にいうとすべてがオジャンになってしまうときは、上手にウソをつけたほうがよい。上に立つものに赤ちゃんを見せられて、「しなびたサルみたいだなぁ」とおもっても、「目がパッチリしていて、かわいいですねえ」とお世辞をいおう。(p.184)
全編こんな感じである。正しい解釈など望むべくもないが、ひねくれた孫子が読みたい人にはぴったりだと思う。しかしぼかぁ孫子読むのが初めてで、こんなんを読んで良かったのかと今更思ったりする。以下読みながら面白かったところをツイッターで記録したのでそれをそのまま転載する。
『下から目線で読む孫子』読んでる。なかなかおもしろい。面白いので気に入ったとこだけ抜き出していく。「実力の知られざるを悲む勿れ。知られざる間に猶蓄積すべし。実力以上に知られたる人の、死ぬに死なれぬ苦悶を見ずや。」(p.22)
「必需品は、あらかじめ準備し、消耗品は、なるべく言質で調達する。」(p.34)旅行の時に役立ちそうな教訓である。
「百回戦って百回勝つのは最高ではない。戦わないで勝つのがベストである。」(p.44)たまに「俺は議論で負けたことがない」とかいっていばっている人がいるが、アホウの見本のようである。
「十倍なら、包囲し、一気に押しつぶす。五倍なら、正面から攻撃する。倍なら、分断して、別個に撃つ。互角なら、必死に戦う。劣勢なら、逃げる。敗勢なら、隠れる。」(p.48)これはシンプルにおもしろいなぁと思った。
「相手のことを知り自分のことも知っていれば、何度戦っても大丈夫である。相手のことは知らないが自分の事を知っていれば、勝ったり負けたりする。相手のことを知らず自分のことも知らなければ、戦うたびに危うい。」(p/50)有名なこの一節、就職活動にも当てはまるだろう。
「昔から戦上手といわれるものは勝ちやすい相手に勝つのである。だから知恵があると評判になることはないし、勇気があると賞賛されることもない。」(p.60)優れた人ほど簡単そうにやってのけるので優れていれば優れているほどその凄さがわかりにくい。諸葛孔明だって、実は凄くないのかもしれない
「言葉がへりくだり、守り一辺倒に見えるものは、攻めてくる覚悟なのである。言葉が居丈高で、いかにも攻めてきそうな気配のものは、逃げてゆく寸前なのである。」(p.144)そういえばよく吠える犬は別に勇敢な犬なのではなく、最も臆病な犬なのだという。人間にも当てはめていいだろう。
- 作者: 山田史生
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