最初に発表されたのは1969年なのでもう立派に古典である。主に末期癌患者へのインタビューをもとにした、死にいたる人間の心の動きを研究した内容が本書には収められている。僕も今までに何人か、死に瀕した人と病院で会話したことがあるけれども(幸い近い人間の死にはまだ触れていない)、その時に最も強く感じたのは「今まさに死のうとしている人間に、どんな風に話しかけていいのかわからん」という感覚だった。
そしてかなり当たり障りのないことを言ったりやったりして、早々と退散してしまった。今ではかなり悔やまれるような行動だなぁと思う。ただ単に、死に向き合うのが怖かったのである、などというと「中二病だ!」と思ってしまうが、しかしよく考えてみれば現代では死があまりにもタブー視されている。人が死ぬのはほとんどが病院で、僕たちの目に触れることはない。
本書が教えるのは、患者をちゃんと尊厳を持った人間として扱え、という非常にシンプルなことである。重病患者ほど、病院においては物のように扱われる。話しかけても対して応答できないし、「疲れちゃうと可哀想だから」などという免罪符でもってとっとと退散してしまう。血圧が下がったとか上がったとか、心拍数にだけ注目されて患者の意見には耳をかさないというのでは、何を治療しているのだかわからないだろう。
そして往々にして、患者を見ないで心拍数や心電図、排泄物の処理などに集中しようとするのは「死を見たくない」からなのだ、ということが本書にたくさん収録されている末期癌患者へのインタビューを読めばわかる。誰もが喋ることを望んでいて、というかたぶん人の役に立ちたがっているように見える。なんとなく想像できなくもない。病院で何カ月も、ベッドで置き去りにされて、点滴を打たれて、とにかく孤独であろうし、凄い無力感だろう。誰かの役に立ちたいと思うような気がする。
そういえばレイ・ブラッドベリの「万華鏡」という短編には、宇宙船が原因不明の爆発か何かを起こして船員が四方八方に射出される話がある。当然射出された船員は誰ひとりとして助からない。お互いに無線を交わしながら宇宙へとちりぢりになっていき、一人また一人と死んでいく。そして、一人だけ地球に向かって射出された船員はこう考える。「すべてが終わったいま彼はひとつでもいことをしたかった」。そして最後にこうつぶやく。「だれか俺を見てくれるだろうか」。
たぶん死に瀕して重要なことは、誰かに見ていてもらえること。死ぬというのはどうにも恐ろしく孤独なことのように思える。死ぬ人間、消える人間にはもう周りはかまってくれないように考えるだろう。だからこそ一人の死にかけた病人というようなレッテルを貼られて終わるのではなく、ちゃんと一人の人間として見て、話を聞いてあげることが重要なのだ。
余談だが著者のエリザベスキューブラー・ロスは、途中から幽霊を見たといい、臨死体験を経験し、チャネリングに熱中し、死後の世界を信じるようになったという。「死と太陽は直視することは不可能である」といったのは誰だったか。なんというか、エリザベスキューブラー・ロスはその名文句の実体験のようになってしまったと言えるのかもしれない。
- 作者: エリザベスキューブラー・ロス,Elisabeth K¨ubler‐Ross,鈴木晶
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2001/01
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