- 作者:ガイ・レシュジナー
- 発売日: 2020/08/26
- メディア: 単行本
そもそも、本書で取り上げられていく症状には珍しいものもあるが、多くは慢性的な不眠症(10人に1人)だったり、睡眠時無呼吸(15人に1人)、むずむず脚症候群(20人に1人)だったりと比較的ありふれた疾患である。だから、いま自分が不眠症に悩まされていないから他人事として楽しむというよりも、「明日は我が身」「自分がなったらどうするか」といった観点から興味深い事例が多く取り上げられている。基本的にはそうした疾患の事例集だが、著者は神経科医であり、こうした疾患や睡眠と脳・神経科学との関わりについてもしっかりと書かれていて、全体的に読み応えがある。
事例──概日時計がズレている人
たとえば最初に紹介されるのは人と睡眠のリズムが大きく異なる人の話だ。ある人物は、ある時期はAM3時か4時に眠くなっているのに、しばらくしたら眠くなるのがAM11時であるといったように、どんどん眠くなる時間帯がズレていく。
人間は日光という外界に由来する手がかりがなくても体温や睡眠などの生理的メカニズムは24時間のリズムを有しているが、どうも一部の人はその周期が25時間のようにズレてしまっているらしい。通常光が視交叉上核に入ってくることで体内時計を外界と動機させるのだが、彼の場合それも機能していない。ズレてるんだったら治療不可能なのかな、と思いながら読んでいたが、体内の概日時計は鐘をならすきっかけとして、松果線がメラトニンを分泌し、それが視交叉上核に情報を戻すので、意図的にメラトニンを投与することでその人の概日時計を進めたり戻したりできるらしい。
もう一つ、ライトボックスを使って強烈な光を浴びせることで概日時計は変化させられるという。社会というのは皆同じ時間に寝て同じ時間に起きることを前提として動いているから、一日一時間人と時間がズレていくというのは、相当な生活上の困難を伴う。しかも睡眠の性質上、眠れない、起きれない、といってもその人物の怠慢ととられやすい。そこにきちんと病名がついて、解決法が提示されるのは、苦境にある人にとってはとても救われることなのだろう、と患者の体験談を読んでいると思う。
事例──睡眠時無呼吸
ありふれた、されど重篤なものとして紹介されるのが睡眠時無呼吸だ。同じ部屋で人が眠れないほどのイビキが出るだけでなく、睡眠時に気道が狭くなり体内の酸素レベルの低下をもたらし、心拍を上昇させ睡眠の質を阻害する。肥満度があがるほどに睡眠時無呼吸を発症しやすくなることが知られていて、スイスの共同体を対象とした調査では、二人に一人の男性と四人に一人の女性がこの問題を抱えているという。
当然だが睡眠の質が下がっているので「寝ても寝ても眠い」という状態になり、時には日中スイッチが切れたかのように突如として眠りだしてしまう人もいる。本書で紹介されている患者のマリアも、常に気分がすぐれず、活力がまったく沸かないといって著者のクリニックを訪れたうちの一人だが、睡眠時無呼吸を診断され、加圧した空気を射出する小さな空気につながれたマスクをして気道を開き、ここ8年間ではじめて夜中に一度しか目がさめなかったという劇的な効果が出たことを紹介している(ただ、このマスクと装置は極端に不快で誰でもつけられるというものではないらしい)
睡眠時無呼吸は睡眠の質を下げるだけでなく、高血圧やそれに起因する心臓病や卒中といった重度の疾患に強く結びつくこともわかってきた。僕の身近にも大きなイビキをかく人間がおり、受診を促して診断されたこともある。これを読んでいる人の中にも心当たりがある人がいるならば、一度調べてみることをオススメしたい。
睡眠の障害を診断する難しさ
読んでいておもしろかったのが、睡眠時に起こる障害という特性上、起こる客観的な事象を判断する難しさだ。たとえばロバートというバスの運転手はパートナーのリンダから、かつての恋人ジョアンナのことで様々なことを口走っていたという報告を受け、さらには死姦や獣姦についてもわめいていたと聞きクリニックを受診する。
著者は、これまで様々な患者が寝ている時に異常な行動に走るのをみてきたが、特定の女性についての悪態、死姦や獣姦のような特定の話題についてだけ話すというのは経験がない。また、この疾患はレム睡眠行動障害であるとみられるが、この疾患は言葉が理解可能なものになることはほとんどないなど、おかしな点がいくつもあった。いろいろと検査をした結果、やや重い睡眠時無呼吸にかかっていることが判明し、気道確保のための前記の装置を使い始めたのだが、後日彼の話を聞くとこれによって活力は戻り、寝言も解決したという。
ただ寝言の方は装置で解決したわけではない。彼はレコーダーを買ってきて枕元において録音していたのだが、そこには「ジョアンナの話はしないで!」というリンダの叫びが残っているばかりで、彼自身は「ジョアンナ」についても「死姦」についても「獣姦」についても一切何もいっていなかったという。つまり、すべてはリンダの妄言だったということだ。彼女は精神病だったのかもしれない。『この事例は、睡眠中の人間の脆弱さを示している。外界に気づいていないがゆえに身体的な危険にさらされているばかりでなく、身近な人々の影響を受けやすいという点からもそう言える。誰かとベッドと共にするという行為は、深い信頼に基づいている。』
おわりに
本書では他にも、眠ったまま性行動に及ぼうとする睡眠時性的行動症(セクソムニア)と診断された人物の話であったり、脚の異常感覚、動かしたいという欲求が止まらなくなり不眠を併発するむずむず脚症候群についてだったり、症例としては特殊なものから普遍的なものまで多岐にわたる。読んでいておもしろいのが、最初にも書いたけれども、「睡眠の問題を抱えている人は、みなド深刻」であるという点だ。
本書には10年とか、場合によっては何十年も満足な睡眠を得られていない人たちが大勢出てきて、その多くは睡眠状態が改善されたエピソードが披露されて去っていく。不眠の原因がてんかんにあると診断され、抗てんかん薬を投与されることで劇的に改善したジャニスは「以前は生活を楽しむ余裕などまったくなかったが、今では生活の一部を取り戻すことができた」と語り、むずむず脚症候群と診断されたデイヴィッドはドーパミン受容体作動薬を吸収させるパッチ剤を使うことでほぼ14時間ぐっすり眠ることができ、「奇跡のようでした。」とその喜びを語る。セクソムニアと診断された患者は、かつてレイプをしたとして元妻から訴えられ、懲役まで食らっていたが、それが病気のせいであると診断を受けたことである程度の和解をもたらしたという。
もちろんその裏には何倍も完治しなかった人々もいるだろうとは思うが、本書にはこうした「喜びの声」にあふれていて、心が温まる。眠りの障害についてはいつ誰がかかってもおかしくはないので、今まさに苦しんでいる人も、そうでない人も、眠りについて興味がある人にはぜひ手にとってもらいたい一冊だ。