『社長が訊く』という任天堂の岩田社長が適当に任天堂の人に話を聞きにいく企画があるのですが、今回の特別編がかなり面白かったので思ったことを書きます。いくつか引用……長いですけど。ちなみにURLはここです⇒社長が訊く『ゼルダの伝説 スカイウォードソード』
まあまあはない
宮本
でもね、みんな、最初は自分がつくったものに対して
当たり前に責任感を持ってたと思うんですよ。
ところがやっていくうちに、
だんだんと売上を計算するようになったり、
コストパフォーマンスを考えるようになっていって、
もちろんそれ自体はいいんですけど、
その、責任感がね、どこか他人事になっていく。
糸井
ああ、他人事ね。
宮本
だから、つくったものを、見せるときも
「こんなところで、いいんじゃないでしょうか」
みたいなことを言ったりする。
そういうのがぼく、すごく納得できないんですよ。
糸井
ああー、はいはい。
宮本
ディレクターに
「どう、仕上がりは?」って聞くと、
「まずまずじゃないかと思います」
っていう答えが返ってきたりする。
「まずまず」なんていう言い方はないでしょう。
必死のなさ
宮本
うちなんかでも、組織のなかで、
ディレクターという役割とか肩書きがつくと、
いま岩田さんが言った、
ディレクターとしての帳尻とか面目とかが前に出てくることがあって、
そこで失われていく情熱というか
「必死さのなさ」が、なんか、ちょっとイヤなんですよ。
糸井
「必死」ね。「必死」はキーワードだなぁ。
宮本
ですよね、なんか、そこは。
岩田
「面目」について考える人は、「必死」じゃないですよね。
糸井
そうですね。
「面目」と「必死」は真逆のことばですね。
岩田
逆なんですよね。
宮本
そう、きっとそうなんですよ。
糸井
あの、この間、
『困ってるひと』っていう本を書いた
大野更紗さんにお会いしたんですよ。
岩田
ああ、大野さんとお会いになったんですか。
糸井さんからおすすめされたあの本はすごかったです。
糸井
おもしろかったでしょう?
彼女は26歳の女性なんですけど、
まぁ、いわゆる難病を抱えている人でね、
そのぶん、生きてる時間が濃いんです。
岩田
ものすごくめずらしい自己免疫性の病気で、
原因がわからなくて、そもそも病名がわかるまでに、
ものすごいたいへんな思いをして、
かつ、それは治療法が確立されてる病気ではないので、
毎日の生活がほんとうにたいへんなんですけど、
でも、一方でその人の書く文章は、
客観性とユーモアに満ちていて、
ものすごく魅力があるんですよ。
宮本
へぇー。読んでみよう。
糸井
その大野さんとお会いしたときに、
まぁ、手前味噌になるんですけど、
わたしは糸井さんを信用しているんですって
言ってくださったんですね。
で、その理由として、
「糸井さんは必死だから」って言ったんですよ。
宮本
ほう。
糸井
で、俺、「必死」って言われることって、
世間一般的には、あんまりないことで。
一同
(笑)
岩田
どちらかというと、
そう思われてない人の典型でさえある(笑)。
糸井
そうそうそう(笑)。
マンボウとかナマケモノみたいに
思われてるところがあってさ。
とくに、一回も会ったことのない人からは。
楽しいことだけしてていいですねー、みたいな。
一同
(笑)
岩田
その糸井さんを、ひと目で「必死だ」と。
糸井
うん、そう言われてね、
まぁ、こう言うのは口幅ったいですけど、
ほんとうはこの人はわかってるなぁと思った。
ほら、俺は、自分が必死だっていうことは、
俺だけは知ってると思ってるから。
岩田
まぁ、必死じゃなきゃ、ほぼ日刊イトイ新聞を
13年間、一日も休まず毎日更新するなんてことを
できるわけがないので(笑)。
糸井
で、「あ、そう見える?」って大野さんに言ったら、
「やっぱり、新しいことをやるときは
誰だって必死ですからね」って言ったの。
宮本
ほう、ほう。
糸井
その答え方もいいでしょう?
つまり、やったことあることは、
「面目」も守れるし、「形式」も守れて、
1のつぎは2ですね、みたいなことができるんだけど、
やったことないことは、
うまくいかないに決まってますからね、って言うんだ。
ああ、そのとおりだなぁと思ってさ。
岩田
はい。
僕はねえ、これ読んだ時ドキっとしてしまったんですよね。「あ、やばい、自分全然必死じゃない」と思って。いやむしろ必死というか、必死に必死じゃなくして、余裕ぶっているというか。必死かっこ悪いという感覚が今まではあったんですよ。
ただねえ、言われてみるとたしかに思うんだけど、必死な人間ってかっこいい。というか、必死にやらないといい物なんてひとつもできないとさえいえる。あるいは偶然的にいいものはできるかもしれないけど、良い物は作り続けられないんじゃないかと、たしかにそう思うんですよね。
必死っていうのは最初に引用したような「まぁまぁ」っていうのを無くすっていうことでしょう? 仕事でも何でも「これぐらいでいいや」と、挑戦をなくしていくことなんですよ。で、僕は仕事でもブログでもなんかもう「まあ今求められているのはこれぐらいだろうから、これぐらいでいいや」とばかり考えているのですよ。もうショックを受けてしまった。全然だめだよそんなんじゃ。
面目を守ったりうまくできることをとりあえずやったり、つまり挑戦がない。まあそれは戦略目標が無いことにも起因するんでしょう。僕はこのブログのPVをいくつにしたい〜とか、そんな目標は一切持ってないですから、必死になりようがない。明確な目標があってそこに向かってうまくいかない時に初めて必死になるんです。
『ウォーク・ドント・ラン』という村上春樹さんと村上龍さんの対談集にはこんな箇所が出てきて過去にブログで引用したので覚えています。
春樹 この前非常に、感動といったらおかしいけどね、感心した話があってね。どっかの編集の人に聞いたんだけど、大江さんというのはものすごくわかりにくい文章書くじゃない。大江健三郎さん。でも、あの人はね、だれにでもわかる文章を書きたいと思って書いているらしいのね。たとえば土方にでも、バアのホステスにでも、だれにでも本当にわかるやさしい文章を書きたいと思って努力してるんだって。で、そう思えば思うほどああいう文章になっちゃうんだって(笑)。それ聞いてぼくはすごく感激したのね。そういうところって、やっぱり大江さんて偉いんだなあって思うのね。ぼくはああいう文章を好きで書いているのかと思ったら、べつにそうでもないみたいですね。最近いちばん感動した話です。そりゃね、多くの人に読まれる文章というのは多かれ少なかれ名文ですよ。ただ自分にあった酒や自分にあった音楽があるように、自分にとっての名文というものはある。僕にとっての名文というのは恥を知っている文章、志のある文章、少し自虐、自嘲気味ではあっても、心が外に向けて開かれている文章……
なんというかね、僕は確かにこれをしなくてはいけないんだと思った。うまくいくうまくいかないとかは関係なしに、まず最初に必死になってやらなくちゃいけないんだ。最初この部分を読んだ時はどうも感想を読む限りでは、結構とんちんかんな事を思っていた。今は少しわかった。
必死な宮本茂
岩田
これも宮本さんらしいなぁと思うんですけど、
E3(※7)とかの発表会で
ステージの上でなにかやるじゃないですか。
そのときも宮本さん、最後の最後に・・・。
宮本
直すんですよ。
糸井
あー(笑)。
※7
E3=Electronic Entertainment Expo(エレクトロニック エンターテインメント エキスポ)の略で、年に1度、米国のロサンゼルスで開催されるコンピューターゲーム関連の見本市のこと。
宮本
けっこう失礼なことだと思うんですけど、
舞台監督に、こうしてくださいってお願いしたり。
岩田
この間も、
オーケストラのみなさんにも言ったんですよね(笑)。
青沼さんから聞きました。
宮本
そう(笑)。
『ゼルダ』の音楽をオーケストラが演奏する
っていうコンサート(※8)をやったんですね。
糸井
うん。
※8
コンサート=「ゼルダの伝説 25周年 シンフォニー オーケストラコンサート」のこと。2011年10月10日に、すみだトリフォニーホール(東京)で開催された。演奏は東京フィルハーモニー交響楽団、指揮は竹本泰蔵さん。
宮本
で、客席でこう、リハーサルを見てたら、
「ちょっと、まずいなぁ」と思うところがあって。
それは、演出上のことで。
岩田
お客さんとやり取りするような
パートがあったんですよ。
宮本
オーケストラの演奏の絡む演出だったんです。
で、そのパートのリハーサルが終わって、
いったん演奏をやめたときに、
タタタタと舞台へ行って、指揮者と舞台監督に
「ここはこう・・・」って言ったら、
「いや、終わってからやりますから」って言うんです。
リハーサルの時間があるからそれもわかるんですけど、
変更するならオーケストラも含めて
伝わってないといけないので、
「いや、いまでないと言えへんので、
もうちょっと言わせてください」と言って。
糸井
おおお。
宮本
そのときに、
うちのスタッフとかもそこにいるのに
誰もなにも言わないんですよね。
糸井
はぁはぁはぁ。
宮本
観客として見てたら、わかるやろ、
ってぼくは思うんです。
それはなんとかせなあかんやろって。
糸井
うーん、わかるけど、
ま、ふつう、できないね。
岩田
(笑)
一同
(笑)
宮本
まぁ、あのピーンと張り詰めたリハーサルの席で、
どかどかっと舞台の方に行って、
あー、ちょっとちょっと、って言うのは、
ちょっと面の皮が厚くないと、
言えないかもわからない。
糸井
うん(笑)。
宮本
けど、一生懸命なら言えるやろうって。
これ読んだ時すぐに「あ! スティーブ・ジョブズだ!」と思った(笑)
スティーブ・ジョブズの伝記を読めばすぐにわかるんですけど、彼もまた自分が良しとしない物は絶対この引用した部分の宮本茂さんみたいにOKとは言わないんです。だからこそIphoneのような製品が生まれたといえる。
で、これを読んでいて思ったんですけど、良いプロデューサーっていうのはこういう「良いものから外れていると感知する能力」にあるんだなと。
「よくないぞ」って気づくこと
糸井
話していると痛感しますけど、
まず、ぜんぶの前提になるのは、
「よくないぞ」って気づくことですよね。
つまんなくなっちゃったぞって思えないと、
アイデアも生まれない。
宮本
そうですね。
岩田
はい。
糸井
体裁としてはこれでできてますね、
っていうことでOKしちゃうと、
それはずっとつまんないままなんですよね。
だから、よくないぞ、とか、
このままじゃつまんないぞとか、
そういうことに気づくことさえできたら、
もう、だいたい大丈夫だとさえ言える。
宮本
うん。
あの、ぼくは『マリオ64』のとき、
ずーっとつくってるあいだに、
途中で、つまらなくなってることに
気がついたんですよ。
糸井
おーー、いいねぇ(笑)。
岩田
わくわくする語りだしですね。
宮本
そんな(笑)。
糸井
いや、怖ろしいひとことですよ。
あの『マリオ64』をつくっている最中に、
宮本茂が「つまらなくなってる」と気づいた。
岩田
しかも、自分で必死につくってる最中ですからね。
糸井
で?
岩田
どんなことに?
宮本
ふっと思ったんですよ。
なんか、人が遊んでるのを見たときだったか
憶えてないんですけど、「あれ?」って。
それで、周囲に聞いて回ったんですよ。
「最初のころ、すごくたのしかったのに、
いま、あの感じがなくなってない?」って。
そしたらやっぱり、そうですね、と。
糸井
うん。それはなんだったの?
宮本
まぁ、単純なことで、
マリオが向きを変えるときの動きなんですけど、
最初のころは、どちらかというとこう、
ゆっくりと、もったいつけるような感じで、
「くぅ〜〜」と旋回してたんです。
ところがそれがいつの間にか
「シュッ」「シュッ」と向きを変えるようになってて。
糸井
ああー。
宮本
それでもう一回、
「くぅ〜〜」っと回るように変えたんです。
まぁ、それが、ほんとに
よかったのかどうかわからないんですけど、
ぼくにとっては大事なことだったんですね。
というのも、そもそも『マリオ64』は、
そういう動きが最初にあって、
はじめたプロジェクトだったんですよ。
糸井
あ、なるほど。
つくってるうちに、そこを忘れちゃったんだ。
宮本
そうなんです。
で、ぼくのえらいところは、
最初の頃の質感と違うぞって気づくことなんですよね。
糸井
「ぼくのえらいところ」(笑)。
宮本
(笑)
糸井
お互いに、自分で自慢し合わないとね(笑)。
岩田
(笑)
宮本
そういうところに気づく人が出てくると、
ある程度、任せても大丈夫かなって思うんです。
あと、これは『社長が訊く』のラブプラス製作者である内田さんの時のコーナー。これもまったく同じことを言っている。⇒ニンテンドー3DS|社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇|Nintendo
岩田
でも、途中で変えたら現場が騒然となりませんでしたか?
内田
ええ、それはもう、大変でした。
スタッフに囲まれて大変な勢いでしたから。
「何言ってるんですか!」
「さんざん間に合わせてくれって言ったのに!」と言われて・・・。
ただ、なんとか途中までつくってはいたんですが、
発売が近くなってもまだ不十分な感じで、ずっと悩んでいたんです。
それで上司に進捗報告をするときに、ディレクターに相談もなく
「待ってください、すみません、やめます。
もう半年間つくり直します」と言ってしまったら、
となりで報告を聞いていたディレクターの顔が
仁王のように変わっていきまして・・・。
あとで1時間くらい説教されたんですが、
でも、どうしてもこのまま出すのはまずい気がしたんです。
岩田
そんなことがあったんですか。
内田
それで僕は、「ごめん、ちょっとこれでは自信が持てないんだ」
「このままだとちょっとまずい気がするんだ」
内田さんにしろ宮本茂さんにしろスティーブ・ジョブズにしろ優れているのは「あれ、良いところからズレてる」って気がつくところなんだなと思った。そして気がついただけじゃダメで、気がついたら何が何でも、体はってでも止めて修正しなきゃいけないんです。そしてその為には「まずまず」で妥協する心がダメで、「必死さ」がなくちゃだめなんだ。
長々と引用して書いてきたけどようやく結論が言えた(笑)、この引用してきた『社長が訊く』も要はそういう話なのかな。でもこれは本当にそうだと思った。そしてこの「気がつくこと」っていうのはね、かなりいろんなことに応用できる能力だと思うんですよ。モリログアカデミーで森博嗣先生がこんな風に書いていたことを僕はずっと覚えています。
絵が上手い人は、手に技術があるのではない。目が精確に形を捉えていて、手が描く線の狂いを感知できる。つまり、「上手い」というのは、ほとんどの場合、「測定精度の高さ」なのである。たとえば、料理の上手い下手は、最終的にはその人の舌の精度に行き着く。
ラジコン飛行機の操縦が上手いか下手かは、飛行機の姿勢をいかに精確に捉えられるか、という目で決まる。咄嗟に舵が打てるか、適切な舵が打てるか、といった問題は大したことではない。工作が上手いかどうかも、常に材料を精確に測定できるか、にかかっている。狂いのない飛行機を作れる人は、小さな狂いを見ることができる人である。精確な位置に穴があけられる人は、精確な位置に罫書きができる人だ。
もう少しわかりやすく説明すると、「どんなとき、どうすれば良いか」といった知識は誰でも簡単に学べるが、一番難しいのは「今がどんなときか」を感知することであって、これは知識としては学べない。現在の位置や状態を的確に把握できれば、もう「上手い」も同然なのである。
この論法で行くと面白いゲームを作れる人は「楽しさを感じる精度」にかかってくるのだろう。もっと細かく言うと「どこで楽しいと感じているのかを感じる精度」とかかな。さらに必要な物は色々分化していくのだろうけれど、最終的には測定精度に行き着く。いやしかし熱をこめて書いてきたけど、「今がどんなときか」を知ることって、思ったより難しいな……(笑)