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オリンピック後、移民が急増した東京の姿を描き出す──『東京の子』

東京の子

東京の子

エンジニア主人公を中心とした、現実から地続きの近未来を舞台の切れ味鋭い国際サスペンスやSFの著作の多い藤井太洋の新作がこの『東京の子』である。業界的には前作『ハロー・ワールド』で吉川英治文学新人賞を受賞したのも記憶に新しい。

毎回藤井さんの作品は日本や世界、テクノロジーがもたらす変化の新たな側面をワクワクするような筆致で魅せてくれるが、今回もたいへんに楽しませてもらった。舞台となっているのは、藤井太洋作品としてはお馴染みの近未来──具体的にはオリンピックが終わったあと、2023年の東京になる。一方主人公に関しては、今度は藤井作品にしては珍しくエンジニアではなく、かつて〈ナッツ・ゼロ〉という名前でパルクール動画を投稿していたYooutuberとして有名な少年であり、現在は事情があって名前を「仮部諌牟」(かりべ・いさむ)に戸籍ごと変えた、23歳の青年である。

これまで藤井作品では主人公はプログラマとしての能力や行動によって事件や事象に関わっていくことが多かったが、仮部青年は2023年の日本だからこそ成立する仕事──政策の転換によって移民の数が急増し、3年で25%も住民が増え、国際都市に生まれ変わった東京で、仕事に出てこなくなった外国人を説得して連れ戻すというかなり泥臭い作業──をしている。今回はそうした仕事の一環で、欠勤してこなくなった女子学生を探すうちに最新の大学生ビジネスの実態へと関わりを持つようになり──といった感じで、なかなかに面倒なことに巻き込まれてゆくのが導入となる。

近未来の東京の姿

今回は『文芸カドカワ』で連載していたことも関係しているのかもしれないが、どこを読んでも「2023年の東京」とはどういう状況なのか、というディティールが敷き詰められており、物語が大きく動き出す後半部以前から、随所に仕掛けが凝らされている。たとえば、ただの飲食店のバイトだと思っていた女の子が実はバイオ系の学術書をガンガン読み飛ばして数カ国語を操る高い能力を持っていた、彼女はいったい──!? というミステリィ的なフックとか、東京デュアルという、物語の主要なテーマとなるある種の「巨大学園もの」的な設定とシステムの作り込み部分だったり、現代日本の問題と通底する、扇動者の行動のディティールだったり。

オリンピック景気が一段落した東京に残されたのは、ひとときの仕事にありつくために地方から集まってきた若者と、三百万人を超えた外国人労働者と、最低賃金ぎりぎりでも文句を言わない外国人も就ける職業──介護、保育、警備に解体工事の現場だ。

藤井太洋が描写する東京の風景を読んでいくだけでも満足感が凄い。たとえば、2023年の東京では、オリンピック需要で多くの施設がつくられ、祭りが終わった後、民間に払い下げられた施設を埋めるため外国人労働者が必要とされた。2019年の移民法のおかげで、ゴミ拾いやらコンビニエンスストアの従業員などになる外国人を「高度な技能を持つ移民として」招き入れることによってその数が急増している。

現代でさえもうそうなっているが、それ以上に日常の風景の中にいろいろな国籍の人間が混じっており、急激な変化は多くのトラブルを招き寄せる。雇った外国人が仕事にこないといった些細なものから、ビザや戸籍をめぐる法律問題まで。主人公である仮部青年は、ようはそうしたトラブルシューターをやって生きているのだ。

そんなある時、仮部青年は雇い主から、バイトの女学生の捜索依頼を受けることに。その女の子は東京デュアルという名の大学に勤めていて、仮部青年はそこに調査に赴くわけだが──と、物語は舞台を一学年で2万人、職員も2万人、最終的には全体で10万人以上の関与者を想定している超巨大なマンモス大学にうつし、そこでいくつものきな臭い話に出くわすのであった、というのが大まかなあらすじ。

東京デュアル

この東京デュアルの設定がまたおもしろい。通常の大学と同じ四年制だけれども、後半の二年間は専門的な技能を習得する学校で、とりわけ特徴的なのは大学内にサポーター企業と呼ばれる提携企業が何百社も存在し、学びながら仕事をできる環境をつくりあげている点だ。職業の斡旋は学生が勤務している労働組合が担当している他、卒業後にサポーター企業に入れば、800万円以上の奨学金が半額になる特典がある。

さらに特徴的なのはこの東京デュアルのために設定された労働特区制度によって、通常の日本の法律が一部改変されている点。たとえば、解雇規制がゆるく、職の流動性が欧米並に高くなっているなどかなり実験的側面が強い。解雇が簡単に行えるというのは日本では反発が多いかもしれないが、シンガポールやアメリカでは当たり前のもので、能力がなかったり適性がないと判断された場合、会社の業績や方針転換によってあっさりと追い出されるリスクもあるが、辞めやすくもあり職分は明確で、スキル重視でキャリア開発しやすくなるなど流動性が高くなることによる利益も多くある。

物語的には東京デュアル内部のそうしたゆるくなった解雇規制問題に対する学内で巻き起こるデモや、高額な奨学金をたてにしてサポーター企業に入社を半強制するシステムは「人身売買」にあたるのではないか──と、仮部青年が探しにいった留学中の女性が主張したり、と、この東京デュアルという場とシステムに対して、いくつもの議論と騒動を巻き起こしていくことになる。そうした問題は、銀の弾丸のようなわかりやすいスパッとした解決があるものでもない。デモをして、相手に要求を飲ませたらすべてが解決するかといえばそんな単純なものでもないのだ。

本書は、そのへんをあっさりと物語的な解決に落とし込まずに、粘り強く描いているところも総じて好印象である。

アイデンティティをめぐる物語

そうした事態にトラブルシューターとして介入していく仮部青年自身もトラブルと無縁というわけではない。だいたい実年齢は23歳だが、途中で戸籍を鞍替えせざるを得なくなっており(そのため戸籍上は26歳になってしまっている)、物語冒頭から自分の名前が気に入らねえ、と文句をぶつくさ言い合うぐらいなので、「自分はいったい誰なのか/なんなのか」といったところに、揺らぎを抱えている青年なのだ。

はたして、彼は東京という都市のなかに確固たる自分を見出すことができるのか。見出すとしたら、それは東京という都市のどこに対してなのか。「東京」という都市をどう描くのか、そもそも東京のどこを描くのかといった点には、映画だと『君の名は。』や『シン・ゴジラ』、ゲームだと『ペルソナ5』など様々なチャレンジがあって、そのどれもに独特の東京感が現れていて好きなんだけど、本書もオリンピック後の、今とは大きく様変わりした東京を、混沌とした希望と共に描いてくれた一冊だ。