『うほほいシネクラブ』(映画評)を読んで映画を見たくなるのなら正直な物だが、なぜか「映画評」を読みたくなってしまったのでまずは王道と思えるところから攻めることにした。
町山智浩さんの『映画の見方がわかる本―『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで (映画秘宝COLLECTION)』から手をつけ始める。映画の見方がわかるなんて素晴らしいじゃないか。是非教えてもらいたい。
町山さんが言うには映画や音楽や絵画には人間が創るものである以上必ず製作者の意図、そして背景が存在する。まあ当然の話ですね。特に映画は、『うほほいシネクラブ』のあとがきにありましたけれど、『「その映画について語られた無数の言葉」を含んだ「文脈」のうちで見られる他ないからです』と書いています。
なぜなら映画は基本的に一人で創ることはできません。監督はシナリオライターに意図を説明し、カメラマンに説明し、美術にも演出にも話をし、さらにいえばプロデューサーや資金源に対して「私たちはこんな映画を作ります」という話をし続けなければいけないからなのです。映画製作上の過程でお互いがお互いの認識を深めて一つのものを作るために多くの言葉が必要になります。
しかし実際に出来上がるのは「こういうものが作りたいんだ」と言葉にしたとおりの物が出来上がることはほとんどありません(大勢の人間が関わるので当然です)。だったら最初の制作意図通りの物というのは「言葉の中」にしか存在しないことになる。「だからこそフィルムメーカーは自作についてあれほど多弁なのです」と内田先生は結論付けます。
町山さんが本書で解明するのはそういった「映画をただ見ているだけではわからない意図や背景」です。その為に製作過程やシナリオの草稿、インタビューなどを掻き集めて、あらすじの紹介と共にその映画の映画史の中の位置づけ、演出意図などを解説していく。物語の解釈には正解はないけれど間違いはあるといったのは誰だったか。
町山さんは映画を解明していくといいますが基本的には「明らかな誤読、間違い」を潰していく感じだったかな。「想定していたのはこうだったが実際はこうだった」という裏事情、製作者が語るメインテーマ、変更されてしまったシナリオ、普通に映画を見ているだけではわからない事情がてんこもりでこれが面白い。
それ以上に面白かったのはあらすじですね。ご丁寧なことに物語のオチまで含めて語ってくれているのですけれども、これが滅茶苦茶うまくて、見たことがない映画なのに(そもそも本書に出てくる映画は副題を見ればわかるように全て古く古典的名作になっている作品ばかりで、僕は一つもみたことがない)町山さんの映画解説とあらすじだけで泣いてしまいました。
ああ……ロッキー……。『未知との遭遇』解説で語られるスピルバーグ論も感動的だ。彼は子供時代に親にあまり相手にされず仕事の都合で転校を繰り返し孤独な日々を送っていた。映画『未知との遭遇』の最後、UFOを目撃し取り憑かれたロイは家族を棄て、最終的にはエイリアンとファースト・コンタクトを果たしマザー・シップに乗って地球を捨てる。
六人の子供の父親になったスピルバーグは今では「夢のために家族を捨てるなんて考えられない」というが、本書の『未知との遭遇』考の最後に書かれている町山さんの感動は観ていない僕にも伝わってくるのだ。
しかし、それでもなお、マザー・シップが夜空に飛び立ち、ジョン・ウィリアムズのエンド・テーマが高らかに鳴り渡り、A Steven Spileberg firmの文字が出る瞬間、涙がこみ上げてくる。それは、「変わり者」とイジメられ、大人の手本とすべき父親も持てなかった劣等生が、ただただ星に願いを馳せ続けた果てにつかんだ勝利の凱歌だからだ。
映画を背景から見る試みも、町山さんのアメリカ文化、映画文化への深い理解も、どれも高いレベルで面白かったです。
映画の見方がわかる本―『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで (映画秘宝COLLECTION)
- 作者: 町山智浩
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2002/08
- メディア: 単行本
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