基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

トラウマ映画館

引き続き町山さんの映画評論を読んでいる。この『トラウマ映画館』は書籍としては多分最新作で昨年の3月30日に出ている。最新作だから最新の映画が揃っているかといえばそんなことはない。この本に収められているのは50年、60年、70年に作成されたものがほとんどであり62年生まれの町山さんはそれをテレビの再放送で子供時代に見た。

ほとんどはDVD化もされていない作品ばかりだそうだけど、町山さんにとっては何が始まるのか、ドキドキしながら観た思い出の作品達のようだ。

トラウマというのは大抵が子供時代に醸成されるものだろう。子供はその世界に入り込むし、だからこそ傷もより深く受ける。ここで語られている作品はDVD化もされていないぐらいだからドマイナーで僕等は一本も観たことがないけれど、町山さんはオチまで含めてあらすじを語ってくれるので(そしてトラウマポイントを解説してくれるので)問題がない。

むしろ語りがうますぎるおかげで今読んでもトラウマになりそうだ。何度か怖くなって読むのをやめた。それぐらい語りが上手い。

それにしてもトラウマか。読み終えて思ったのだが人にトラウマを残す作品というのは凄まじいものだ。それはつまり観たものの中に、「作り物以上の何か」を与えたということである。精神に傷をつけたのだ。「これはフィクションだから」といって大人ぶって構えているだけではトラウマにはならない。フィクションの上に真実が乗っかることによって初めて観たものの精神に避けようがないものとして傷がつくのだ。

本書で語られる作品にはハッピーエンドはあまりない。それはどこまでも狂っていくか、どこまでも残酷になるか、夢をみたら叶うことはないし、悪党は成敗されない。でもそれらはただ後味の悪さを残すばかりではない。たしかに今のハリウッドにあるような必ずハッピーエンドになる幸福感とは別物だが、町山さんがそういう映画を繰り返し身に染み込ませて今や映画で飯を食っているように、人に何かを残すのだ。

軽度のトラウマはある種のパワーを生むのだと僕は思う。自分の中に残った傷を癒そうとして、行動が生まれ、そこからパワーや思考が生まれるのだ。

トラウマ映画館

トラウマ映画館