二人は仇同士であった。二人は義兄弟であった。そして、二人は囚われの王と統べる王であった―。翠の国は百数十年、鳳穐と旺厦という二つの氏族が覇権を争い、現在は鳳穐の頭領・〓(ひづち)が治めていた。ある日、〓(ひづち)は幽閉してきた旺厦の頭領・薫衣と対面する。生まれた時から「敵を殺したい」という欲求を植えつけられた二人の王。彼らが選んだのは最も困難な道、「共闘」だった。日本ファンタジーの最高峰作品。
すごすぎ。と読み終えた時に思わず呟いてしまうぐらい圧倒的だった。いやーでもこれは本当に凄いなあ。日本ファンタジーと書いてありますけど、国が架空なだけ超常現象などは出て来ません。上にあるのはあらすじなんですけど、タイトルにもある通りこれは二人の王の物語。翠国は鳳穐と旺厦の二大勢力が常に覇権を争っているのですが、物語は鳳穐が一時的な勝利をおさめ、旺厦の次期当主を捉えたあたりから始まります。
当然争い続けてきた二つの勢力が、片方の王を捉えたのだから殺してしまって残党勢力を駆逐していくのが筋道だろうというものですが懸命な鳳穐の王はそれをしません。歳はわずか19歳。なぜなら旺厦の明確な次期当主を殺してしまうことでひとつだった物が千に別れ果てし無きゲリラ戦を強いられる可能性があるからです。
また同時に語られることとして、翠の国の外から、海を渡って独自に発達した文明が侵略してくる可能性が高いことが示唆されます。だからこそ今内部で争っている状況ではないのだと。外敵からの脅威から身を守るために喧嘩をしていた勢力が結束するという話は結構あります。
でも本書では他の物語ではメインテーマとなるそれも「今まで殺し合いをしてきた二つの国が、恨みを乗り越えて何十年といった歴史スケールでひとつになっていく政治過程を書く」ことのうちの一要素でしかありません。この『黄金の王 白銀の王』物語られるのは「どのようにして和解するのか」ではなく「和解を達成していく道のり」にあるのです。
本書ではそれを「川の流れを変える」とうまく例えています。川の流れは一度に変えられるものではなく、少しずつ環境を整備し、進みやすい方に少しずつ、進路をずらしていく他ない。長年に積み上がった恨みをどのようにして解消するのか。どんな困難が巻き起こってくるのか。お互いの父母が「相手を殺せ」と遺言をしてなくなっていくような時代でこれがとても難しい。
物語を語る上で外せない重要な要素が「迪学」(じゃくっていう漢字どう変換していいのかわからん……。)です。この学問を翠の国の人達はみな学ぶのですが、これが非常に、リーダー論っぽい。中心となるのは心構えで、どういう考え方をして、判断基準をどうやって持って、どのような行動をとるべきなのかを定めた学問なのです。
最も単純な形にまでこの教えを落としこむと「なすべきことをなせ」になるようです。
「迪学の訓をひとことに約めると、何だと思われるか」
「なすべきことをなせ」
薫衣は即答した
「では薫衣殿のなすべきこととは」
「おまえを殺すこと」
なすべきことをやり、してはならないことをしない。これが迪学の根本的な教えです。しかし一番難しいのは「いま何をなすべき時なのか」「いま何をすべきでないのか」を判断することです。
──そうか。迪く者としてあることの、いちばんの困難は、なすべきことをなすこと自体でなく、何をなすべきかを見極めることにあるのだな。
二人の王は「今自分たちが為すべきなのはお互いに争うことではなく、親の遺言に背いてでも争いをこの世から消すことなのだ」と自覚していきます。しかしそれは非常に難しい。偏見、道徳、すべての基準が今よりも強い時代なのです。でも凄いのは、「親から相手を根絶やしにしろと遺言され、長年殺しあってきた相手と和解するのが自分のなすべきことなのだ」と自覚できたことなんだよなあ。
「困難からお逃げになるのか」
「困難ではない。不可能だ」
「困難と不可能を見分けよと、師は言われなかったか。血が重く、迪くものが多いほど、困難の度合いが大きくなる。我々は、常人には不可能なことも、なしとげなくてはならないのだ」
一国のリーダーという立場は重いなあと本書を読むと当たり前のことを考えてしまいます。何しろ自分に命令を下してくれる人はだれもおらず、自分がとった決断の責任はすべて自分でとらなければならない。本書は困難なことにどのようにして立ち向かうべきなのか、迪学を通してリーダーとしての心構えを教えてくれます。困難なことに挑戦していかなければいけないということも。
いやあ本当に面白かった。これはオススメ。
- 作者: 沢村凜
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2012/01/25
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