基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義

それ程内容が詰まった本でもないが、簡単な現状把握として読むと大変楽しい。

何に対しての現状把握かというと当然インターネットのことだ。『閉じこもるインターネット』というタイトルはなかなかよく現状を表している。かつて「開かれている」ものとしてあったインターネットが、今ではだんだん「私」に対して閉じこもっているのだ。

というのも今のインターネットには情報が多すぎる。あまりにも情報量が多すぎて、自分にとって何が重要なのか、といった選定をするのに多大なコストがかかるようになってしまった。そこで出てくるのが情報を代わりに選定して伝えてくれる「キュレーター」であるというのは巷で言われる答のひとつだが実際その役目を担っているのは「人」ではなく「システム」である。

たとえばグーグルのページランクはより多くのリンク数を集めたサイトがより検索上位にくるシステムだが2009年12月以降はより複雑なシステムに進化している。いま返ってくる検索結果は単純にページランクが上のものではない。では何が返ってくるのか。あなたにぴったりだとグーグルのアルゴリズムが推測したものである。

 この結果、大きな違いが生じていることは簡単に確認できる。2010年春、メキシコ湾原油流出事故がまだ収まっていないころ、友人ふたりに「BP」の検索をしてもらった。ふたりは似たようなレベルの教育を受けた左寄りの白人女性で、米国北東部に住んでいる。だが、検索結果は大きく異なっていた。片方が観たのはBPの投資情報、もう片方はニュースだった。片方は1ページ目に流出事故に関するページへのリンクが含まれていたが、もう片方はBPの広告ばかりだったのだ。
 ヒット数さえも大きく異なっていた。片方は1億8000万、もう片方は1億3900万。東海岸に住む革新的な女性同士でもこれほど結果が違うなら、テキサス州に住み共和党を支持する老人や、それこそ、日本の会社員とではすさまじい違いになるはずだ。

ふむう。そんなアルゴリズムが追加されていたとは知らなかった。日本とは事情が違うのかもしれないけど、そんなことする理由も思いつかないので同じなのかな。同じようなこおてゃフェイスブックや他の企業も行なっている。検索結果や閲覧結果から、その人が何を求めているのかをアルゴリズムが判断し、情報を勝手に選定してくれるのだ。現代のキュレーターは個人ではなくフィードバックして成長するシステムである。

このような傾向こそが「閉じこもるインターネット」の意味で、ウェブの未来は「私」に焦点を合わせた、というよりパーソナライゼーションされて島宇宙化したインターネットに行き着く。たしかにこれは便利で、莫大な情報を自身の傾向に合わせて取捨選択してくれるのだから素晴らしい技術的進歩と言える。

ただし──当然ながら危険もある。まず第一に考えられるのはそうした我々の選択の基準となる知識、そもそも選択肢そのものさえもが「一企業」に左右されてしまうことだろう。しかもそれは一企業に過ぎないが為に、国からの要請があればたやすく個人情報を引き渡すことにも繋がる。

第二に、かつては新聞やニュース、あるいは個人のキュレーターといった目に見える人達が運営していたものに関しては左寄りだとか右寄りだとか。どういう選択傾向があって意図があるのかはある程度は把握出来ているものだった。

しかしグーグルやフェイスブックアルゴリズムはその仕組が公開されていないし公開されても誰にもわからない複雑怪奇な物になっている可能性がある(グーグルの検索エンジンは何十万行ものコードであり、検索チームはあちこちいじって調整しているけれどなぜそうなるのか、どうしたらいいのかは本当にはわかっていない、結果を見ているだけだと語ったグーグル社員もいるという)

第三の理由として挙げられるのは創造性がなくなることだろう。名著『アイデアのつくり方』ではアイデア作成に必要なものとして二つの原理を上げている。一つは『アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ』であるということ。二つ目は『既存の要素を新しい一つの組み合わせに導く才能は、事物の関連性をみつけ出す才能に依存するところが大きい』ということ。

重要なのは一つ目の原理で、既存の要素の組み合わせこそがアイデアであるという点だ。パーソナライズされた情報ばかり取得していると、最悪今まで見てきた物しか自分の目の前には現れなくなる。新しい素材を得ることは出来ずに創造性は阻害される。また広い認識を持てずに、同じような情報ばかり得ることで誤解を深めることもあるかもしれない(確証バイアスという)

そうは言ってもとれる対抗策はいくらでも思いつく。検索結果にランダムな要素を加えるとかさ。そんなみみっちいやり方以外に、そもそもの思想的な部分で考えていかなければならないことも多い。最近は技術的、科学的変化の速度が速すぎて、そのような「技術の変化に伴う倫理」のことを考える時間が、ゆっくりととれていないのが少し心配である。

でも結局のところ、「考え」なんてのはいつだって発明、発見の後から来るものなのかもしれないな。

閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義

閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義