森博嗣著『ブラッド・スクーパ - The Blood Scooper 』を読んでいたら、各章の引用元がこの『茶の本』だったのでそこから興味を惹かれて読んでみる。周辺情報から攻めると、この『茶の本』、岩波文庫から1929年に出版されている名作古典のひとつである。茶の本なるタイトルから「茶かぁ……茶はどうでもええなあ……」と僕などは思っていたのだが、これが意外というかなんというか茶を入り口にした禅の思想に至る過程を書いた本であった。
もうひとつ驚いたのが原著は日本語で書かれたわけではなく、「禅」の悟りの境地を「茶」で「西洋人」に理解させる為に書かれたものを、日本語訳したものだという。茶を通して禅を、禅を通して日本の思想を西洋に伝えようとしたのだ。そういった過程を知って読むとすごく面白くなってくる。いや、それ以前に、禅や道教という思想の奥深さがわかる。仏教などと並んでも、これは大変面白い思想である。
道教は浮世をこんなものだと諦めて、儒教徒や仏教徒とは違い、この浮世のなかにも美を見出そうとする。老子はものの真に肝要なところはただ虚にのみ存在すると主張した。
たとえば室の本質は、屋根と壁に囲まれた空虚なところに見いだすことができるのであって、屋根や壁そのものにはない。水さしの役に立つところは水を注ぎ込むことのできる空所にあって、その形状や製品のいかんには存しない。虚はすべてのものを含有するから、万能である。虚においてのみ運動が可能となる。おのれを虚にして他を自由に入らすことのできる人は、すべての立場を自由に行動することができるようになるであろう。全体は常に部分を支配することができるのである。
森博嗣先生の『ブラッド・スクーパ - The Blood Scooper』ではゼンと呼称されるひとりの侍が主人公となって物語を駆動するが、彼はたった一人の師と二人っきりで長年山篭りをして過ごしてきた。それ故世間を知らずに、人の社会や常識といったものを知らない。空っぽの器、今引用した部分でいうと「おのれを虚にして他を自由に入らすことのできる人」に近いのであろう。虚であることによって、なんにでもなれる。どんな立場でもとることができる。
もう一つ、禅の思想で感銘を受けたことがある。事物の大相対性から見れば大と小の区別はなく、一原子の中にも大宇宙と等しい可能性がある。極地を求めンとする者はおのれみずからの生活の中に霊光の発見を反映せねばならぬととく。むかしの人は、凄いことを考えるものだ。娯楽も何もないからきっとそういうことばかり考えていたのだろうな。素晴らしい、グレートである。
自分自身なんて取るに足りないちっぽけな人間だが、しかしそれでも大相対性からみれば宇宙とも等しい可能性がある。禅林の組織では祖師をのぞいて禅僧はみな禅林のしごとを課せられた。そこでは妙なことに、新参者には比較的軽い仕事しか任せられないが、立派な修行を積んだ僧には比較的うるさい下賎な仕事が与えられたという。
茶道のような取るに足らない、ちっぽけな作業に思えることでも、禅ではそこに宇宙を見出す。禅林で禅僧が行なっている作業には、くだらなく下賎なものにみえるほど人生の些事のなかにでも偉大を考えるという思想が生きている。
茶道と掃除をするということに関連して、利休についての面白い話がある。利休はその子紹安が露地を掃除して水を撒くのをみていた。紹安が掃除を終えたといっても利休は「まだ充分ではない」と返す。いやいや一時間も掃除しなおして利休に再度「おとうさん、もうすることはありません」といったら利休はこう返すのである。
「ばか者、露地の掃除はそんなふうにするものではない。」と言ってその茶人はしかった。こう言って利休は庭におりたち一樹を揺すって、庭一面に秋の錦を片々と黄金、紅の木の葉を散りしかせた。利休の求めたものは清潔のみではなくて美と自然とであった。
それはいくらなんでも無茶だろと思うが禅というものを理解する上でも象徴的な話だ。禅では「完全」に重きをおかず、「完全」そのものよりも完全を求める手続きに重きをおいた。真の美はただ「不完全」を心のなかに感性させる人によってのみ見出されるとして。ようするに「不完全」なもののなかに、見る人が自分を入れることでそれぞれの心のなかで完成させるのだということだろう。
都会は煩雑だ。物に溢れ、ルールに溢れ、とても物事をじっくり考えたり、美を求めるような場所ではない。機能性、効率性が物事を決定して、不完全さをあえて演出するようなゆとりもないようにみえる。茶室は簡素にして俗を離れており、落ち着いて真の美の崇拝に身をささげることができる。
僕は別に茶室を作れと言うつもりはない。作れと言うつもりはないが、茶室に表される精神はむしろ現代にこそ必要なのではなかろうかとふと思った。
- 作者: 岡倉覚三,村岡博
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