基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

神林長平「ぼくらは都市を愛していた」刊行記念トークイベントに行ってきたよ(レポ)

神林長平先生のトークイベントに行って来ました。先生はどうも自作について語ったりするのがあまり好きではないようで、こういう機会は希少なので絶対に逃せません。前回は確か2009年だったかな? 30周年記念トークイベントにも行ってきた僕でした。今回も行ってきた! 都市に住んでいて良かった! そして熱かった!! 神林先生の創作への熱意、クリエイターとしての圧倒的自負!! 神林長平こそが真のクリエイターだよぉ!!(燃えた)

今回のイベント、神林先生の他にも大森望さん、それからアーヴァンギャルドの松永天馬さんの三人が主に話す感じ(急に戻った)。僕は前者二人は知っていたのですが、松永天馬さんという方はまったく知らなかったので「うまく話が展開しないんじゃないか……」と勝手に不安に思っていたのですが、杞憂でしたね。なんだかとっても芯のある感じで、一人のクリエイターとして自身の意見をおっしゃられていました。

松永天馬さんがこられていたのは、『ぼくらは都市を愛していた』には松永さん作詞? の曲が発想の元になっていて、スペシャルサンクスとして公の場で発表したかったと神林先生がおっしゃられていました。実際にヴォーカルの方もこられて、その曲を披露してもらえたのですが、とても良かった。CDを買って帰ればよかったな(並んでたし遅かったので帰ってしまった)。

さて、前置きが長くなってしまいました。ここからは主に僕の記憶を頼りに書いていきます。恐らく憶え違い、聞き間違い、色々あるかと思いますのであまり情報源として信用されるのは困ります、と予防線を張っておきます。主な流れとしては『僕らは都市を愛していた』をどんな気持ち、意図で書いたのかという話から、クリエイターとして自分がどのようにして小説を向き合っているのかという至極本質的なところまで幅広く聞けて、とても濃い二時間、圧倒的でした。

『ぼくらは都市を愛していた』が朝日新聞出版から出た経緯ですが、ライトジーンの遺産だったかな? 永久基幹装置だったっけ? まあどっちだか忘れましたけど、これを書いた時の約束が「これともう一作書く」というものだったらしく、まあ十年ほどの時が流れてしまったけれどようやく出すことが出来ましたという感じだったみたいです。

作品内容について。2009年に神林先生はデビュー30周年をむかえて、ひとつの区切りを迎えたわけですが、その時にやり遂げた気持ちになったそうです。確かに30周年トークイベントの時、神林先生とっても嬉しそうだったもんな。円城塔先生や辻村深月先生に囲まれて……(ちなみにこの日辻村深月先生もトークイベントにきてました)。

そこから考えたのが、今までになかったことをやろう、今まで自分がやってきたことをひっくり返してやろうっていうことだった。今までにないものは何か、というのがずっと見えなかったそうですけど、結局、「自分が老いたという実感はまだ書いたことがない」という結論に至った。この自分が老いるっていうのは、観念的な意味ではなくて純粋にフィジカルとしての実感。

たとえば身体が思うように動かなくなる、目が見えにくくなる、そういう当たり前の感覚。そしてそうした身体が鈍く重くなっていくこと=老いることによって、「よりリアルに近づく」といっていました。この感覚が面白い。僕もそろそろ若いといえなくはなってきましたけど、まだあまり身体にしばられているっていう感覚はないですから、なるほどそういうものなのかと。実際『ぼくらは都市を愛していた』を読んでいると、老いというのは重要なテーマになっていておもしろい。まあそれは読んだ後の感想で。

神林流小説の書き方

神林先生の小説の書き方とは、こんな感じで書きたいよね、という感覚をつかみながらかくという。僕にとって小説とは自分にとっての疑問をとくため、小説という装置を使って解答を導くものであるとも言っていた。神林先生にとって小説という形式はひとつの思考実験を行うための装置なのだろう。『どのように読まれようがかまわないという覚悟で書かれるのがフィクションであり、小説というものだと、ぼくが言いたいのはそういうことだ。』と『いま集合的無意識を、』の中で架空の作家に語らせているが、そういうことなんだろう。

老いを具体化したテーマへ

で、そこから繋がってくることなのだが、老いていくとはいずれ死に至るということでもある。『ぼくらは都市を愛していた』で神林先生が追求しようとした疑問とは、たとえ自分が死んでも世界が残るという現実を、どうやったら納得できるようになるんだろう、というものである。これを小説のキャラクターたちに仮託して確かめていく。

そして大震災

そういうことを考えながら本書を書いていた時に、大震災が起こった。『ぼくらは都市を愛していた』には情報震なる、情報のみをターゲットにして破壊してしまう謎の現象が発生するが、これは大震災が起こる前から考えていたものであり、地震の影響はないという。此処から先が、今回のトークイベントで僕が一番感動したところなのだけど、「ぼくはクリエイターとしてそんなにやわじゃない」っていうんですよね。これを聞いた時結構驚いてしまった。そうか、地震が起こったぐらいで自身の創作物の方針が変わってしまうようじゃ、クリエイターとしてやわなのか。それだけ自分自身がこれから創るものについて、確信を持っているから、地震程度じゃ揺らがないのだろう。神林先生の言葉は、話している時でも常に確信があって、かなりドキっとする場面がある。

しかし一方で、テーマ自体に打撃を与えられたという。この作品のテーマは前述のように自分が消えていくことをどう納得させるのかということだった。しかし地震が起こった後の日本は一種の戦争状態である=戦争状態だったら戦闘状態にならなければいけない、黙って「どう消えるのを納得させるか」なんて考えながら黙って殺されるわけにはいかない。最初のテーマはふっとんでしまって、納得していられる状況ではない。テーマが180度外部から変えさせられてしまった時に、作家は書き続けることなんて不可能で、新しいことを書くしか無い。こういうことを考えて、新しい何を書こうと考えていた時に、アーヴァンギャルドの楽曲にインスパイアされたという(対談相手の松永天馬さん作詞)

第二のテーマ現る。

死ぬのに納得出来ないなら、死ぬ反対はなんだ、と考えた時に、愛とか生きることだ、となる。そういう風にテーマが変わって、次に何が愛で、何を生のよりどころにするんだと問いかけを続け、最終的にこの作品のテーマは都市を愛しているんだ、と導き出して話にテーマが生まれた。この流れは凄い。「影響受けまくりやないか」と思ったけど、内容自体は変わってないんだよね、テーマが変わっただけで。最初の仮タイトルは「幻想とリアル」だったそうだが、ここから『ぼくらは都市を愛していた』に変わったのだろう。

都市について

神林先生が考える都市とは、田舎と対しての都市、街、田舎の延長線上にあるものではなく、マシンであるという。人間はあらゆる観念(たとえばお金)を持って生きているもので、都市も人間が観念として作り上げたものだ。だから『ぼくらは都市を愛していた』で書かれた都市は観念としての都市なのだ。

唯脳論

僕がこの話を聞いて真っ先に思いついのが、養老孟司先生の唯脳論だった。養老孟司さんの唯脳論は冒頭で情報化社会について語っている。この本、今ぱらっとめくってみると、驚くほどこの本の内容と類似したことを言っているなあすげえぜ養老先生。まあそれは置いといて、都市にある建物や道の作りとはすべて人間が脳で考えて作り上げたものであって、だから都市とは巨大な人間の脳にほかならないし、過去の人類は自然の中に住んでいたが現代人は脳の中に住む。

驚いたのは松永天馬さんもこの話を引き合いに出したことで、ミュージシャンといえば本なんか読まないだろうしよくわかんないけど松永天馬さんも実際神林長平作品なんてあんまり読んでないんじゃないかとぶっちゃけ疑っていたんだけど、吹っ飛んでしまった。僕なんかよりたぶんずっといっぱいいろいろ読んで考えているんだろうな。

都市についてに戻る

神林先生が考える都市はもう少し「マシン」としての性質を強くしているようだ。たとえば都市では、死ぬ時はみなひとり、だけどそれは裏返せばひとりでも生きていくことが出来る、そういうことを可能にするものが都市としての機能なのだ。あちこちに案内板が立ち、あちこちに案内人がいて、一人暮らし用の家が立ち並び、都市というのは実は「誰よりも人間(個人)にやさしい土地なのだ」(ココらへんは僕の意見)

情報震について

『ぼくらは都市を愛していた』の中に出てくる情報震について。必ず未来は情報を通信するような装置を体内に埋め込まれるようになるだろうと僕は確信している、とおっしゃられていた。本作でも体内に埋め込まれる通信装置が話の核、ギミックとなる。現代では自分の自己は脳内に展開されているだろうと考えるのが普通だが、未来はWEB上にも人格が展開されていく。

たとえば今はまだ目が身体にくっついていて、だからこそ自己が身体に担保されていると言える。しかし目の機能を他の媒体に担保できるようになって、身体機能を次々と身体とは別の場所に置き換えていくことが出来るようになったら、自分っていうのはどこにあるんだろうっていうのはわからなくなる。

そうしたWEB上に人格が展開されていった際、その基盤に一撃が起こった時に世界はどう感じるだろうと考えれば、世界は崩壊するだろう。それは必ず起こりますよ、僕が生きているうちにはどうかは知らないけど。この辺はかなり喋ったまま正確だと思う。

実際現代ではすでにWEB上にかなり人格は展開されていると思う。僕も「自分」っていう存在のいくらかの部分をこのブログにもたせていると感じている。でもこの前あったけど、ファーストサーバがデータをオールクリアしてしまったように(僕の会社もHPとメールが全部消えた。ひでえ)突然このブログの記事が全部消えるってことは全然あり得る。

恐らく僕はその時かなりの喪失感を覚えると思う。自分の身体ではないけれど、自分の一部だからだ。そして未来に、それがもっと接続されたものとなったときに、ファーストサーバの時のようなことが起こらない保証は確かにない。というか、絶対に起こるだろうという確信に、かなり納得してしまう。

いま集合的無意識を、についてと創作について

小説は本当はメッセージなどというものはわかってはならんのです。でもこの短編ではそれをあからさまにやった。このままくたばってたまるかっていう感覚で書いた。あのときあの震災のあとでこんなことしている場合かと言っていたが、人間っていうのは剥き出しのリアルには耐えられない生き物だ。

僕らが感じている世界っていうのは五感によってしか収集できない世界で、それを脳の中のスクリーンに投影して生きている生き物だ。コウモリが出している超音波などはぜんぜん聞こえないし、赤外線は見えないし、感知できないものがいっぱいある。ありのままの現実のほんの一部分しか人間はとらえることができない。

そういう剥き出しの怖い世界にどう対抗するのかといえば、物語、フィクションによって防御しなければ生きていくことは出来ない。生きていくにはパンは当然必要だけど、そこから先に物語とか音楽が必要になってくるというのではなくて、パンを食べるのと同時に言葉が必要なんだ。言葉よりパンなのではなくて、パンと言葉は等価値なのだ。パンと同時に言葉を摂取するんだ。

言葉の強力さについて

言葉っていうのはもっとも人間らしい能力であり強力だ。たとえば宗教は最強のフィクション。言葉はものすごく危なくて危険だからクリエイターっていうのはこれを認識して使わなければいけない。そして言葉を使う人間はそれ故、聖なるものにむかって書かなくてはいけない。小説にとってもっとも重要で大切なことは、言葉によってこの世には聖なるものがある、そういうことを伝えることだ。

言葉によって伝える時に、作家の魂には邪悪なものに対抗する聖なる力、自分自身が信じる力を入れないと、作家自身が邪悪なものに押しつぶされる。ぼくはいつでも書くときには聖なるものを希求する、そういうものが伝わればいいなあと思って書いている。

このあたりの話は、ほとんどトークイベントの最後の方なんですけど、後半に行くにつれて神林先生の言葉に熱がこもって、より観念的になって、同時に盛り上がっていくので最高でした。トークイベントみたいな生の現場で、こうやってテンションを時間軸に沿ってコントロールしていくことができるのは本当に凄いなあ。で、さらに凄いのがこれらの言葉の本気度、全部どまじめに本気なんだ。言葉が危険だっていうのも通常の意味ではない。

2009年のトークイベントの時に僕が最も衝撃を受けたのは、『膚の下は将来アトム的な存在が生まれた時(人造人間)に、聖書とするようなものとして書いた』といっていたことで、その時の眼がマジだったから「あ、この人マジなんだ」と思った。で、きっとそれだけの覚悟で書いていたら、自分の言葉によって未来の人造人間の行動に指針を与えてしまうかもしれないと思っても当然なんだよね。たぶん神林先生が言っている言葉は危険なんだという発言はそれぐらいの時間・世界スケールで言っている。

作品の話も面白かったけど、何より神林先生のクリエイターとしての熱さ、そして論理と言葉の鋭さに圧倒されっぱなしでした。僕の興奮が少しでも伝わればいいな。

ぼくらは都市を愛していた

ぼくらは都市を愛していた

いま集合的無意識を、 (ハヤカワ文庫JA)

いま集合的無意識を、 (ハヤカワ文庫JA)