本書は伝記だが、レイ・ブラッドベリの物語だ。
氏の作品は全部ではないけれど、華氏451や火星年代記、それからいくつかの短編集は読んだ。どれも孤独で、文章や比喩表現に静謐なイメージがあるところが好きだ。火星年代記は特にその趣が強い。また宇宙を舞台にしたいくつかの短編はとても静かだ。そんなレイ・ブラッドベリさんもお亡くなりになってしまった。それ自体は僕にとって何の関係もないし、感慨も感情も沸いてこないのだけど、ひとつの節目として読んでみた。
じーさんになっても子供っぽく夢見がちな精神、何でも楽しんでやろうとする好奇心、それから何故それほど? と疑問に思ってしまうほど途切れない執筆意欲と(なんと12歳の頃から、週に一遍の短編小説を60を超えるまで書き続けてきた。なんていうことだ。)、そこからくる約束されていたとも言える破格的な成功。
挫折と、そこからの失敗というのは物語の王道だが、レイ・ブラッドベリの場合は成功するべくして成功して、その人生には大きな失敗と言うほどの失敗、苦労と言うほどの苦労はなかったようにみえる。もちろん誰もが遭遇するような壁や、有名になったが故の困難はあるけれど……。概ね真っ当に生きてきている。そういう意味ではあまり物語っぽくはない。
当たり前だ。伝記なんだからとも思う。僕は普段伝記をあまり読まないのだが、それは下記のようなことを考えていたからだ。『それにしても作家の伝記って作品を作者の生い立ちから解釈しようとする批評家以外で、だれが読むんだろう? どこで生まれて誰と付き合って誰と別れたとかいうどうでもいい情報、なんか意味あんのかな。まあ好きな作家はアイドルみたいなものなのかもしれないし、好きな人のことはいっぱい知りたいものなのかもしれない。』
そんなような考えをもって読み始めたので、最初は生い立ちの話とかは読み飛ばすつもりだった。実際レイ・ブラッドベリが不倫をしたとか結婚したとか作品制作状のごたごただとかいう話とか超どうでもいいので読み飛ばした部分も多々あるのだけど、一方でそれ以外の一つ一つのエピソードがとても胸に染み込んできて、いうならばレイ・ブラッドベリの長編を読んでいる気分になった。
伝記を書くっていうのは、やっぱり一つの物語を作ることなんだろうな。過去を完全に思い出せる人はいないもの。誰だって「うーん、それはね」という感じで、過去に実際に何があったかどうかは抜きにして、自分にとって都合よく脚色され、説明をつけられる形にトリムされた物語を語るだろう。
本書はレイ・ブラッドベリ本人への膨大なインタビューに基づいているのが読んでいればわかる。詩的な表現、出来過ぎなエピソード、でもそれらはとても悲劇的あるいは喜劇的で台詞は洒落が聞いていて、さっきも書いたようにまるでレイ・ブラッドベリの長編を読んでいるようなのだ。伝記なんて、と思っていた僕だけど、考え方を改めなければいけないな。
もちろん作品誕生秘話や、批評的な側面でもしっかり楽しませてもらった。華氏451度はいったいどのようにしてつけられたのか? 火星年代記はいったいどんな状況で生まれたのか? 華氏451度を思いついたきっかけは、作品のタイトルを考えていたときにふと紙が燃える温度にしようと思いついて、各所に問い合わせたものの誰も答えられなかったけど消防士に聞いたら華氏451だと教えてくれたとか。
なんで消防士はそんなこと知っていたんだとかどうやって実験したんだとかどれだけ根拠のある話なんだと即座に疑問が浮かんだだろうが、レイ・ブラッドベリはそんな事まったく追求しなかった。華氏451度、それが、紙が自然発火する温度なのだ。レイ・ブラッドベリの作品は常にそういう姿勢をとってきた。つまり、科学的な根拠なんかどうでもいい。イメージがあって、もっともらしい断定があればそれでいいのだ。科学的な根拠が薄弱なことばかり書くから批判も受けたようだがそんなことはどうでもいいと思う。
もしレイ・ブラッドベリがいちいち華氏451度の根拠は? などと消防士に詰め寄っていたら華氏451のタイトルは別のものになっていただろうし、そもそもそんなことに根拠を求めるブラッドベリが小説を書いたら彼の幻想的な神話の世界はすべて崩れ去ってしまうだろう。
神話に根拠はいらない。神話はメタファーであって、言葉にできない究極の一歩手前である。「そういうものだ」でいいのだ。その意味で言えばレイ・ブラッドベリは宇宙や科学を追い求める「探究心」をメタファーにして多くの作品を書いた神話(ファンタジー)作家であると言えると思う。
本書がレイ・ブラッドベリの長編であるとしたらテーマは「不滅への意志」などだと思う。本書に特に書いてあるわけではないが、ブラッドベリが12歳の頃から60歳を超えるまで短編を週に一つも書き続けたのは、純粋に死の恐怖から逃れるためだったのではないか。伝記が後編になるにつれて、レイ・ブラッドベリの周りの人間が消えていき、彼自身も体力的に劣っていく。
こんな記述もある。
「新しい短編や長編を書きあげて、ドン・コンドンに郵送するたびに、わたしは郵便ポストに向かっていうんだ、『ざまあみろ、死に神、また一点とったぞ!』とね」
「わたしをしあわせな気分にしてくれるのは、いまから二百年後、火星でわたしの本が読まれると知っていることだ。大気のない死んだ火星に、わたしの本は存在するだろう。そして深夜、懐中時計を持った小さな男の子が毛布をかぶって『火星年代記』を読むだろう」
不滅への意志、あるいは死への恐怖が彼に作品を50年以上に渡って書かせてきたのではなかったか。左手が動かなくなってからも、娘に口述をして物語を書いていたそうだ。それは死ななければいけない自分とのゲームと、未来に自分を残していくためのゲームだった。はじめて人類が月にたどり着いた時も、「人類が百万年後にも存続しているための、不死を実現するための努力だ」というようなコメントを出している。
彼の著作はすべて不滅への道のりであって、それはまだ続いている。
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