基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

世界認識はひとつじゃない『動物と人間の世界認識―イリュージョンなしに世界は見えない 』日高 敏隆

森の中にはダニがいる。木の上とかにいる。ダニはそこで獲物をじっと待っている。混血動物の生き血が栄養源だからだ。だから混血動物が木の下を通り掛かるのを待っている。たまたま哺乳類が通ると、ダニは即座に落下してその身体にとりつく。どうやって哺乳類を見分けているのか。ダニには目がない。なので最初ダニが落ちるのは哺乳類の皮膚からでている酪酸の匂いをキャッチすることがトリガーになる。

次に働くのは温度感覚で、自分が温かいものの上に落ちたことを知るとダニは触覚によって毛のない場所を探し出し、口を差し入れて血液を吸う。ちゅうちゅう。この一連のプロセスを経てダニは血液というかご飯にありつけるし、それによって卵をつくって繁殖することが出来る。『この一連のプロセスは、生理学的に理解すれば、まず光、次いで匂い、そして温度、最後に触覚に対する機械的な反射行動の連続のように思える。』

ならば。ダニにとって世界で意味のある情報とは酪酸の匂いと体温の感触と皮膚との刺激感覚だけであるとはいえないだろうか。つまるところこの広くいろんなものがごちゃごちゃと存在している世界の中で、ダニの世界を構成しているものは匂いと体温と皮膚刺激のみだ。これを最初に言ったユクスキュルはこれがダニにとってのみすぼらしい世界であると言ったが(まあ人間からすればそうみえるだろう)、ダニの生存戦略的にはシンプルかつ長持ちするいいシステムなのだろう。

また別の例をあげると、チョウは紫外線をみることができる。モンシロチョウのオスとメスは人間の目からみると何が違うのかさっぱりわからないけれど、紫外線をみることができるチョウたちの目からは、オスとメスの翅の裏はいろが異なって見える。だからオスとメスを簡単に見分けられるのだ。しかし人間は紫外線をみることができない。同じ世界をみているようでいて、僕たちはまったく異なった世界をみている。

厳然たる現実というものがある。そこには紫外線もあって、超音波もあって、光も色もある。生き物は長い変化の中ですべてがみえるわけではないが、自分の生存戦略に必要なものがみえる。人間は超音波はきこえないが、コウモリは聞こえる。チョウは紫外線がみえる。ハエにとっては光が重要な意味を持つ。誰もが見ている世界、注目している世界はそれぞれ違っている。

これをユクスキュルの『環世界』という。本書がそこから先に進めているのは、環世界をイリュージョンという言葉で説明を広くしたことなのだろう。ユクスキュルの本を読んだこと無いから知らないけど。人間でいえば世界はまっ平らだと信じられていた時代があるが、これもある意味イリュージョンである。

そして実際には世界がまっ平らだろうが、まんまるだろうが、ちょっと潰れた楕円形だろうが、普通に生活している分には何の問題もない。衛星打ち上げたりナビ作ったりする人たちは普通に困ってしまうだろうが。人間のえらいところは超音波も紫外線も聞こえたり見えたりしないのに、それがあるのはちゃんとわかっていることである。

さらにはニュートリノとかいう意味不明なものまであることがわかった。あることがわかったといっても、それらを実際にみたりさわったりできるわけではない。超音波は人間が聞こえる音に変換してあることがわかるだけだし、紫外線も同様である。だから「そうしたものがあるというイリュージョン」の世界を常に変革、構築していくのが人間の世界認識の仕方なのだ。

唯一絶対の真実の世界などというものは存在しない。ダニのみている世界は真実じゃないなどおてゃいえないのは、僕らもまたダニのみている世界と同様のイリュージョンの世界で生きているからである。しかし人間の場合は新しいイリュージョンをつくりだして、古いイリュージョンをバージョンアップさせることができる。

読書の楽しさっていうのは、世界認識が塗り替えられていくまさにその瞬間にあると僕は思っていて、この考え方は腑に落ちた。関連としてこの漫画をあげておきます⇒『環世界が合わない同士は合わせづらいものよ。『人間仮免中』 - 基本読書統合失調症患者はまったく違った世界認識で生きていることがわかる。

動物と人間の世界認識―イリュージョンなしに世界は見えない (ちくま学芸文庫)

動物と人間の世界認識―イリュージョンなしに世界は見えない (ちくま学芸文庫)