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冬眠研究の最前線──『人類冬眠計画: 生死のはざまに踏み込む』

フィクション、特にSFの世界では「人工冬眠」がよく登場する。意図的に人間を冬眠状態におくことで、人間の一生ではたどりつけない星に向かったり、現代では治せない病気を治すために未来に送り込んだりするのだ。いわば、人工冬眠は未来にしか進むことのできないタイムマシン的なガジェットといえる。当然まだ実現していない技術なのだが、近年の冬眠研究の進展もあって、実現の可能性が見え始めている。

その成果の一端を伝えてくれるのが、『人類冬眠計画』だ。著者は本来冬眠しないハツカネズミを、ある手段を用いることで冬眠同様の状態へと誘導できることを示した研究者であり、本書では動物が冬眠する時、何が起こっているのか。また、なぜ現在人間では難しいのか、なぜハツカネズミは冬眠させられることができたのか、人類が人工的に冬眠状態に入ることができたら、何が起こるのか──を描き出していく。

まだ研究はハツカネズミで示されたのみで人間への実用化はかなり遠い(できるのかどうかすらまだわからない)が、それでも完全にフィクショナルな技術だった時代と比べるとリアリティが増している状況だ。100pちょっとの本なのでサクッと読めるのもありがたく、冬眠研究の歴史まで含めて、「現在」を伝えてくれる良い一冊だった。短い本なので、すべてではなく要点部分についてサクッと紹介してみよう。

まだまだわかっていないことが多い冬眠

「冬眠」とは具体的にいえば、低代謝状態に入ることで、基礎代謝が正常時の1〜25%にまで低下し、エネルギー消費を節約して冬季や飢餓を乗り越えることをいう。とはいえ、低い温度でも細胞が障害を受けない理由や、正常時よりも代謝を落として生体機能を抑制するメカニズムなど、その仕組にはまだわかっていないことも多い。

たとえばホッキョクジリスというリスは、冬眠中の体温がマイナス2.9度まで下がることがある。だが、それで死ぬわけでもなく、ゆっくりとではあるが正常な心電図を刻み続ける。人間の場合は数度体温が変動しただけで死に瀕することを考えれば驚異的な数値と言わざるを得ないが、これができる理由もいまだにわかっていない。

また、ホッキョクジリスも含め冬眠中の哺乳類は体温が下がるが、数日間に1回は37度前後の正常体温に戻る時間がある。下がった体温を上げるためには貴重なエネルギーを浪費することになるので、これは冬眠をしながら生命を維持していくには不可欠な仕組みなのだろうが、これも理由がわかっていない事象のひとつだ。

ハツカネズミでの実験。

人間を含む哺乳類は恒温性の動物であり、自分たちの体の温度を常に一定に保っている。ほとんどの人は36〜37度で安定しているはずだ。それはつまり、体には「これぐらいの体温におさめるべし」という目標となる設定温度と、周辺環境が寒かったり暑かったりする時、目標設定温度に合わせるための調節機構が存在することになる。

数値として目標設定温度を記録を行う人体の仕組みは見つかっていないが、周囲の温度が暖かく/冷たくなると反応する神経は存在している。たとえば環境温度が高い時に発火する視床下部視索前野(POA)があり、これが刺激されると体温を下げる方向に働く。そこを刺激しつづければ体温が下がって冬眠状態になるのでは? と思うが、実際にマウスで実験をすると数時間で10度程度低下して、一定の成果が出ている。

とはいえ、それも数日間にわたっての体温低下ではない。そこで、次に注目されたのが、同じく視床下部を中心に分布するQRFPという神経細胞だ。もともとQRFPを投与されたマウスはたくさん食べ、削除されたマウスは食べなくなっておとなしくなる、食欲に関連した影響が知られていたが、QRFP神経を興奮させたところ、食が進むわけでも、動き回るわけでもなく、ただじっとしていたという。

一回の薬物投与で2日近く体温が室温近くまで低下し、食事や取水もしなくなり、自然に数日賭けて正常な体温に戻る。一般的にマウスは24時間以上絶食すると死の危機に瀕するので、2日近くの絶食・絶水から回復できるのは「冬眠」にかなり近い。それだけで断定するわけにはいかん、と著者らはこの状態のマウスの酸素消費量の推移であったり、環境温度とマウスの体温の変化であったりを調べていくが、その結果もまた、クマなどの冬眠と同様の、本当の冬眠に近いものであった。

人類冬眠計画

マウスという非冬眠動物にたいして、任意のタイミングで冬眠状態を引き起こせるようになったのは、冬眠研究にとって大きな一歩だ。クマなどの本来冬眠をする動物での研究は任意のタイミングで冬眠を引き起こすのが難しいという課題があったが、これによってその枷がなくなり、冬眠研究の速度は加速することになるだろう。

すぐに人間にたいして応用できるわけではないが、人間でも冬眠ができそうと予感させてくれるいくつかの根拠もある。たとえば、霊長類にもすでにフトオコビトキツネザルという乾季に冬眠する事例が存在していること、体の大きなクマが冬眠することから、サイズが問題ではないこともわかる。さらに、人間でも雪山で遭難し、冬眠に近い低代謝状態でないと生存に理由がつかない生存事例も複数知られている。

おそらく、仕組み的に冬眠ができない、ということはないはずだ。『私は人類が好きなタイミングで冬眠できるようになる人類冬眠計画を立てている。人類が冬眠することで、多くの人の役に立つと信じているからである。』というように、著者はこうした研究を最終的にはあくまでも人間を任意で冬眠させるゴールのために行っていて、本書には仮にこれが実現した時、どのような社会が実現するだろうか──という思考実験も行っていて、これがなかなかにおもしろい。

コンパクトな本なので、気になった方は手にとって見てね。