圧巻。アメリカでは銃乱射大量殺人事件が続くが、一人の人間でもやる気と健康な肉体と武器があればけっこう大層なことができる。というか、人をたくさん殺すことができる。善とか悪とかが言いたいわけではなく、単純な事実として、ひとりの人間がキレると、他の大勢の人間を殺すことが出来る。ここ何十年かの日本ではそんな何十人も殺した事例はそう多くないが(サリンの27人が最多?)、少し時間を遡るといくつも大量殺人事件が出てくる。
本作『夜見の国から~残虐村綺譚~』のネタ元になっているのもそうした実在の大量殺人事件である。これを津山事件もしくは津山30人殺しというらしい。ぼくもそうした事件に詳しいわけではないので本作を読んではじめて知った口だが。事件が起こったのは1938年の5月で、わずか2時間足らずで30人を殺した。もう少し時間を遡ると河内十人斬りなどの殺人事件もある。
物語としてみると面白いのは主人公である都居睦男が村からいかにハブられて、嫌われ、イジメられ、そして国からも不要と宣告されていく鬱屈の過程と、たまりにたまった鬱屈がまさに殺人衝動となってばばーん!!! と解放されていく殺戮パートの揺れ幅だろう。絵の表現力の高さと何よりその表情の恐ろしさ、動作の着実さ、この世にいないものが視界に入ってくる段々と精神が狂っていく表現などが漫画で読んでいると恐ろしくて仕方がない。
当時の本物の村社会からハブかれるというのはどんな気持ちだったのだろう。僕には推測することしかできないが、本作で描かれているのを読むと「そりゃあ殺したくもなるよなあ」と思ってしまう。何しろ自分の生きていく世界がそこにしかないのだ。そこにしか自分の生きていく世界がないのに、その世界から否定されてしまったらどうしろというのだろう。
もちろん大半の人間は自分が唯一所属している世界(だと思い込んでいる)ものから否定されることというのは、たぶんよくあることなのだと思う。学校で居場所がなくなるなんてのは、それに類するものだ。世界はもっと広いと言われてもなかなか「そうかそうだよね」と納得することはできない。
そうはいっても誰もが殺人者になるわけではない。しかし鬱屈を抱えたものが誰もが殺人者になるとは限らないが、殺人衝動を抱えているものはみなすべからく鬱屈した人生を送っているとはいえるのではないか。それはイジメられたことへの復讐なのかもしれないし、あるいはほんの一時の衝動から引き返せなくなっただけなのかもしれないし、色恋沙汰がご破算になったことへの恨みだったのかもしれない。
何らかの原因があって何らかの結論があるというのは非常に科学的というか、デジタルな発想というか、機械的な発想である。配線が故障したから人を殺したのかといえばそう単純なものでもないのだろう。様々な要因が複雑にからみ合って人は人を殺すんだろうし、道の途中で綺麗なたんぽぽが咲いてたとかそんな理由で殺すのを思いとどまったりするものなのかもしれない。
主人公である都居睦男は自分の今まで受けてきた仕打ちを淡々と述べ挙げ、アナタナラドウシマスカと最後に投げかけて殺人をスタートする。僕だったらどうしただろう。そう考えても答えが出るはずもなく。ただ不思議と都居睦男の物語にのめり込んでいく。リアルなタッチで描かれた凄惨な現場を目の当たりにして「善と悪とかどうでもいいが、人はやろうと思えばこんな凄いことが出来るんだなあ」とただただ呆然としてしまった。
人間精神の神秘よ。
これを読んで面白かった人には、小説だが町田康の『告白』もオススメ。ノリにノリまくった文章によって異次元に引きずりこまれる感覚を味わえる。
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