基本読書

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これだけ楽しそうに映画を語る人を、僕は他に知らない。『Running Pictures: 伊藤計劃映画時評集 1』伊藤計劃

今は亡き伊藤計劃さんの、ウェブログ上に残された映画評をざっくりとまとめたもの。1とついているということは、2も出るのだろうか。正直、彼の死後出版された膨大なウェブログをまとめたタイプの書籍については、コンテンツの重複が多数みられ、死者を金儲けの為に走らせ続けるんですなーと皮肉りたくもなる。

そうはいっても出版されれば買ってしまう。webに散らばっているもんを勝手に一冊にまとめるのも、まあ嬉しい。うーんという思いももちろんあるが、ウェブログから人間が生き返ってくるのを見ているようでこれもまたSFか、という気もするのが一つの救いか。

神林長平の『膚の下』という作品の中で、一人ぼっちの女の子が文字を書く主人公に向かって「だからあなたは一人でも寂しくないんだね」と言ったシーンをふと思い出す。文字を残し、記憶を残して、さらにそれが「再生」されていくことで人は死んでも残っていく。

という諸々はおいといて、映画評に関して言えばこれはもう文句ない出来。ほとんど映画をみない人間なのでここに載せられている作品群はほぼ未視聴なのだが、それでもまったく飽きることなく読むことが出来て、さらには実際に映画を見るところまで誘導させられてしまうその手腕はさすがだ。

伊藤計劃さんの映画評を読むといつも自分の視点の狭さを感じ、同時に高い到達点をみてあそこを越えようという気になる。伊藤計劃さんの映画評は常に間口が広いのだ。まあそれは映画という媒体特有のものもあるだろうが、訳者をみてもよし、監督の経歴を語ってもよし、カット割りを語ってもよし、もちろん脚本を語ってもよし、照明を語ろうがディティールを語ろうが世界観を語ろうがよし。

二時間ぽっちの時間にまとめられた一つの世界には多種多様の間口が存在して、伊藤計劃さんはその中を存分に泳ぐ。映画を見ることの目的は、作中人物になりきりたいというこどもじみた目的のためでもなく、生きる術を学び取りたいといった目的論的な意図でもなく、自分たちの社会の思想にあてはめて作品を無理矢理解釈するようなアホみたいな語り方をするためでもない。

面白い映画を面白かった、という。このページでいろいろ書いていることは、結局そういうことだ。*1』ただひたすら感じたままに、何が面白かったのかを徹底的に描写する。映画をみるのは、ただただそこで行われる描写、その世界に浸るためなのだと、教えられているような気がする(直接的にそんなことが書いてあるわけではないが。)

これだけ楽しそうに映画を語る人を、僕は他に知らない(まあそもそも映画批評をほぼ見ないからサンプル数が5人ぐらいしかいないんだけど)(台無しだ)。

Running Pictures: 伊藤計劃映画時評集 1 (ハヤカワ文庫JA)

Running Pictures: 伊藤計劃映画時評集 1 (ハヤカワ文庫JA)

*1:p13