可能な限りの想像力が打ち込まれた最高の物語がここにある。
もうとにかく感無量という他ない。これだけの長大なシリーズが、一度もテンションを落とすことなくここまで続いて、さらにその凄さを増してきている。およそ考えたこともないような状況を現出させ、細部の描写にまで手が行き届き、なおかつとことんエンターテイメントなのだ。過去作からどこか小川一水先生の作品にはキャラクタに対して甘いところがあると思っていたが、このシリーズにおいてはそれも既に振り切っている。
西暦2502年、異星人カルミアンの強大なテクノロジーにより、“救世群”は全同胞の硬殻化を実施、ついに人類に対して宣戦を布告した。准将オガシ率いるブラス・ウォッチ艦隊の地球侵攻に対抗すべく、ロイズ側は太陽系艦隊の派遣を決定。激動の一途を辿る太陽系情勢は、恒星船ジニ号に乗り組むセレスの少年アイネイア、そして人類との共存を望む“救世群”の少女イサリの運命をも、大きく変転させていくが―第6巻完結篇。
本作の射程はとんでもなく広い。宇宙を舞台にした広さが圧倒的なのはいわずもがな、時間的な意味でもそれは広く伸びきっている。時系列的には二巻が最も古く、一巻が最も最新の時系列になっている。その間にあったことは謎であり、何がどうなって物語は一巻につながっていくのか予想もつかなかった。
その間で語られる物語、英雄たちは、子孫あるいは本人そのものが身体を変え思考を変え蘇ってくる。時間軸が移動し、主役がどんどん入れ替わっていくが、常にその血脈は受け継がれており作品に縦軸の結合を感じさせる。彼ら彼女らが対峙するのは未曾有の致死率95%の病原体、世界中が混乱に陥り、誰もがそれぞれの立場、それぞれの思惑から、この事態に立ち向かっていく。
このスケールの広さ。想像力の幅は太陽系をも越えていく。コールドスリープ技術の発展により、長期の冬眠を行った後太陽系外への移住計画。現実でも「帰れない前提で火星に行く」人間を募集するなどの企画が巻起こっているが「火星移住希望者の募集」正式に開始 « WIRED.jp 人はたとえ帰れないとしても、未知を開拓したいと思うものなのだろう。
この途方も無いスケール感が、言うまでもなく天冥の標シリーズの魅力のひとつだ。もちろんそれだけじゃない。宇宙的スケールで繰り広げられる物語は、場所的なスケールだけではなく時間的なスケールでさえも物語を広げてくれるが、広げられた物語の枠を埋めていくディティールもまた見事だ。
そしてなんといってもそこを縦横無尽に駆け巡る、3つの人間をはるかに超えた高度知性体による人間を代理にたてたパワーゲーム、勢力均衡の論理がここには渦巻いている。高度知性体がそれぞれの思惑でお互いを牽制しあっているという状況が既にとんでもなく燃えるのだが、彼らが天冥の標世界におけるスケール感を常に満たしてくれているのだ。
僕はこの物語の主人公はある意味3つの知性体であるのだと思っている。彼らは物語の最初からいて、常に物事の発端となっている。今なおゲームを動かしているのは彼らの動機であり彼らの能力だ。人間は残念ながら彼らの思惑の上で生み出された状況にたいして、後手後手にまわって微力ながらの抵抗をしているに過ぎない。だが人類は常に自分たちの背後に、自分たちを超えた何かがいることに気がついた。
ここから人類はどう対応するのだろう。シリーズの主人公は、もちろん3つの知性体だけではない。もう一ついる。それは「人類」と全体でカテゴライズしなければいけないようなもので、常に情報を代謝しながらその存在を後世へと残していく。個体としては死んでも、血筋としては何百年といった月日を越えていく。
もはやこの物語がどこへ向かっていくのか、その全行程の6割を消化した現在でもまるで読むことができない。単純な善と悪など既に消滅しており、人類が高度知性体にに勝利をすればそれで終わりかという単純な問題でももはやない。凡百の語り手なら匙を投げてもよさそうな風呂敷の広げ方、ただそれでも小川一水なら……やってくれるに違いないという信頼は、過去作からとうに得ている。
信じて、待つ。
- 作者: 小川一水,富安健一郎
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2013/01/25
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