舞城王太郎の最新短篇集。原題(?)YOUTOPIA、ユートピアの語源は『どこにもない場所』になるけれど、YOUTOPIAはここでいうと君と私のどこまでも現実的な世界になるだろうか。7編の短編が収められていてそのどれもが身近にある人間関係の、夫婦関係の、あるいは自分との関係の、どこにでもある身近な関係を題材として扱っている。
舞城作品として格段できがいいわけではない。が、読んでいるとそのさくさくとした人間関係の歯ごたえが共通していてこれが作品を通して一貫している。
人間関係というのはひどくわずらわしいものの上に成り立っている。主婦だったら主婦のあるべき姿みたいなのが社会にはある程度存在しているし、たとえば男だったら日本では「基本はたらくもんでしょ? 働かない奴はクズでしょ?」という考え方が蔓延している。そのどれもが本当にくだらないが、しかし、現にあるわけであって、なんとかして折り合いをつけてみんなやっているのだ。
そういう社会通念上のルールみたいなのとか、あるいは個人の制御できない思いとかそこから出てきちゃう行動とかが折り重なって複雑な人間関係ができあがっていく。子どもが生まれたら親は離婚しづらくなり、子どもを育てることが夫婦の目的になってしまう。それを指摘すると厄介なことになるし我慢してもつらいとなったときにどうしたらいいのか。
まあ、そんなものはどこにでも転がっている。そうした個別のケースを理屈を整理してこれこれこういう理由であなたとの人間関係は打ち切ることにしました、ばぎゅーんといってみたって人間は理屈だけで生きているわけでもないのでそうそううまくいかない。とにかく人間関係というやつはねばねばしていてうまく綺麗に断ち切ったりうまくくっついたりするのが難しい。
だいたいそんなことがどんな短編も書いてあったように思う。そしてある短編ではそれを綺麗に理屈で振り切ってみせて(ただし最終的な落とし所としてはそうもいかずに)、ある時は自分の欲望を肯定し家族をぶっちぎってぶらぶらしてみせるものの家族の縁がなかなか断ち切れなくて電話でおいかけてきたりする。
ある時は昨日の自分が毎日毎日あらわれて自分との対話を余儀なくされる。あるいは浮気した浮気されたの友人の付き合いに巻き込まれて腹を薙刀でぶっ刺されながら自分の人生の選択について思い悩む。どれもこれも簡単にはいかない。単純な理屈は綺麗ですべてがあっているように思えるけれどそれを現実に移すときにはいろんなしがらみにとらわれるものだ。
この短篇集はそうした理屈としがらみの間の話しとしておもしろかった。あるものは振り切り、あるものは囚われ、あるものはその中で生きていく。まあいろいろなキミトピアががあるってこったな。
- 作者: 舞城王太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/01/31
- メディア: 単行本
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