森博嗣先生の新刊。「これからの働き方」をテーマに書いてほしいという依頼を受けて書いた一冊とのことで、就活自殺やら、ブラック企業が〜社畜が〜といった仕事に関する悲観的な言質が多いが、そんな世界に生きている、これから生きていこうとする人へ向けたエッセイになっている。個人的には森先生が最近書いているノンフィクション群の中ではテーマ的に具体的で、今まであまり語られたことのなかったジャンルの話なのでいちばん面白かった。
仕事というのは、ほとんどの人にとっては今必要なものか、いずれ必要になるものであって、それだけ興味をかきたてられる人も多いせいか、自分なりの仕事幻想の投げつけあいで溢れかえっているように見える。ノマドが〜フリーランスが〜なんてのは序の口で、就活生がまるきりなれるはずのない職業を夢みていたり。
あるいはノマドを批判している人間も視点がまるっきり遠かったりする。グローバルなやり方を推進して日本的な働き方をまるっきり拒絶してみたり、社畜なんてやめちまえ! 会社に縛られるな! という言葉も多い。アプリつくって不労所得で丸儲け〜といった記事はどんなに内容がくだらなくても人の目を惹くものだ。それだけみんな、そうした生き方に憧れているということだろう。
そして今ではこどものときからやりがいや将来の夢を求められ、いざ就職しようと思っても「やりがいのある仕事ってなんなんだ」と考えこんでしまう。僕の学生時代もひどかった。何が何だかわからない、小学生の頃から将来の夢を書かせようとする。僕の将来の夢は中学生ぐらいまで忍者だった。
そしてなんとか就職していざ働き出してみればなんだかネットには「仕事が楽しくて楽しくて仕方がない!」「楽しくない仕事なんてやる意味があるのか? やめちまえ!」とこれまた幻想を売るように仕事をする人間がいる。全く逆に「仕事は大変だ」「半端な気持ちじゃできないんだ」とことさら言いたがる人もいる。ノマドだフリーランスだのは、しょせん働き方の形態の違いにすぎない。
本書はそうした幻想を一個一個解体していって、なんのために仕事をするのかといったことを捉えなおす一冊だ。少なくとも僕はそう読んだ。前記のような、幻想としての言葉は読んでいると気持ちがいい。「会社勤めなんてやめて自由になろう!」といわれればそれはたしかにそうできれば良いだろう。できることならば僕も一日何時間も拘束されずに一日中自分の好きなことばっかりやっていたい。
それじゃあなぜ仕事をするのかといえば、お金がなければ生きていけないからだ。当たり前の話。欲しいものもある。読みたい本を買って何か適当に文章がかけていればそれで幸せな僕だが、ただそれだけの為にお金を稼いでいる。仕事はお金を稼ぐための手段にすぎない。『仕事というものは、今どんな服を着ているのか、というのと同じくらい、人間の本質ではない』というのは本書の言葉だが、まさにこの通り。
仕事をしているから偉いわけでもないし─国を動かすような仕事をしているから偉いわけでもない。ノマドだから素晴らしいわけでもない。海外で仕事をしているから安泰で素晴らしいわけでもなければ、博士だからフリーターより偉いわけでもない。仕事ができなかろうが、仕事ができようが、人にうらやまれるような仕事でなかろうが、そのことはその人の価値には一切関係しない。
当たり前の話だが、仕事の目的は金を稼ぐことである。義務とか権利とかそういう難しい話をしているのではなく、ただ、この社会で生きていくためには、呼吸をするように、トイレにいくように、ものを食べるように、やはり「働くしかない」ということ。もう少し別の表現で言うと、生きていくには、「働くことが一番簡単な道」なのである。
仕事とは生きていくための、もっといえば自分の人生を豊かにするための手段、道具なのだ。使い勝手の良い道具、使い勝手は悪いがとにかく目的だけは果たしてくれる道具、自分にぴったりとあった道具というものもこの世にはある。目的を果たすだけの安物だってある。どうしてもダメな粗悪品だった時は、交換するときにコストもかかるだろう。でもそれらはすべて交換可能なものなのだ。
本書を貫いているのは「自分の人生で、自分の幸せなんだから、自分で本当に良いと思うことをやるしかない」ということだ。仕事がどうしても嫌だったらやめればいい。仕事に費やしたコストに対して、得たお金からうまれる楽しさと自由が上回っていればもうちょっとがんばってみればいい。自分のやりたいことがわからないなら、よくよく考えてみればいい。
何故かいつも楽しそうな人は、そもそも自分からはそんなに話をしたがらない。
読んでいてはっとしたのが『何故かいつも楽しそうな人は、そもそも自分からはそんなに話をしたがらない。』という箇所だった。これはたしかに、と思う。僕も基本的に人に趣味の話をしたりしない。ブログを書いていることは言うし、趣味を聞かれれば本を読むのが好きな事は伝えるけれど、それがどう楽しいか、具体的にどんな本を読んでいるのかなんて人には聞かれない限り自分から言おうと思わない。
それは他人に理解してもらう必要なんかないからだ。理解してもらったところで関係がない。人に褒めて貰いたいわけでもない。そもそも他人に話そうという発想がなかったから、こうして本書に書かれていてはじめてああそういえばと思ったのだった。「これが楽しい、あれが楽しい」とわざわざ言い募るような人は、ただ単に「自分の他人に見せたいイメージ」を表現しているだけなのかもしれない。*1
そうはいっても森博嗣は特別な人だから
自分にとって、「他人にはことさら言わないが、自分だけで楽しんでいること」があればそれはきっと人生の目的足りえるのだろう。あとは、どうしたらそれを達成できるのかを考えていけばいい。その方法も、すべて森先生の過去の著作に書いてある。⇒自分探しと楽しさについて - 基本読書 森博嗣の新書三冊を一気に紹介 - 基本読書 しかしこうした森先生の本の感想を読むと、「そうはいっても森先生だからできることなんじゃないか」という記述に会うことがある。
僕自身は、そうは思わない。そりゃ、僕は森先生のようにはできないだろうとは思う。今までの積み重ねを僕は怠ってきたし、そもそも人による能力の違いというものがある。やったことはないが、今から小説を書いてデビューして、そこからさらに何億も稼ぐといったことは、難しいだろう。でも人生を楽しむ、その為にできる限りのことをするという意味において、できないことなど何もないのだ。
森博嗣になる必要はない。だが、自分自身の楽しさを、自分自身にできる範囲で追求していくことはできる。僕らが自分の肉体的制約などを抜きにすれば、縛られているのは基本的に、法律だけだ。人間関係など、縛るものはいろいろある。が、それはぶっちぎれるものだ。僕らは本質的に自由なのだ。
僕はあまり能力のない人間だが、それでも自分なりに考えに考えて、自分の仕事を選んだ。その時のよく考えたことには感謝するぐらいには、今の業種に満足している。そして将来はもっと自由に、できるかぎり自分の時間と、仕事のバランスをとった生活をしていけるように、日々考え、行動を起こしている。
森先生はたしかに特別な人間なのかもしれない。だが、だからといってそれ以外の人間が自由な人生を目指さない理由にはならない。
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2013/05/10
- メディア: 新書
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*1:このブログは楽しかった本を楽しかったぞーと伝えているブログなのである意味めちゃくちゃ楽しさを発散しているのかもしれないが