ひょっとしたら森博嗣作品の中でもっともマイナ(少部数)なのがこの『森博嗣の浮遊研究室 MORI Hiroshi's Floating Laboratory (ダ・ヴィンチ・ブックス)』シリーズなのではなかろうか。残念ながら文庫化もされていない。Amazonにも中古ばかりで既に新品は存在しない。これ、いったいどれだけの人間が読んだんだろうな。まあ、どの程度売れたのかなんて知らないし、興味もないところではある。
本作の成立過程としては、『ダ・ヴィンチ』で連載されていた『奥様はネットワーカ』がそろそろ終わる頃に、次の企画として立ち上げたばかりのウェブマガジンで週刊連載を……ということで始まった。その頃自身のHPで連載していた日記も同時期に(2001年いっぱいで)終了の予定だった為、要素をこちらの浮遊研究室にまわし、ライトなエッセイを試みる予定だったそうである。
そこだけ読めば「じゃあ日記の続編を場所を変えてやるのかな」と思うところ。ただ読み始めてみればわかるが、随分と趣が異なる。まず森博嗣さん一人で構築されているわけではない。架空のキャラクタとして4人(うち一人は森博嗣)が登場して、その4人があーでもないこーでもないと恐ろしくどうでもいいことだったり、わりと真面目なことについてだったり、時折ミステリや小説全般をテーマにして会話をしていく形式である。
むかしのウェブサイトによくやった架空の存在と自分が会話を繰り広げる形式というか……(今はもうめっきり見なくなったけどほんのちょっとまえはいっぱいあった)。この形式、連載当時はブームまっさかりだったかもしれないが今は珍しい。なんで廃れたのか、と考えてみたけど、そもそもなんで流行っていたのかが謎なのでわからない。
で、このネタばらしはしたくない類のものではあるけれど、その4人のうち森博嗣さん以外の3人は実在の人物が中の人をやっているのである。
最初読んでいて「この4人の会話、話題と発想の幅が広すぎ、反応にリアリティがあるので、1人で作ったものとは到底思えない。でも一人で作っていたらそれは凄いなあ」と思いながら読んでいたので、そのネタばらしは「あ、そうですよね」とあまり驚かなかったけれど、これから読む人(がいるとしたら)驚きを奪ってしまったかもしれないので謝っておきます。申し訳ございません。
形式としては最初に『ご案内』という内容で、森博嗣さんの半ページ〜1ページ程のエッセイが入り、『今週の一言』『今週の諺』『今週の新商品』と続いてメインコンテンツである雑談に入っていく。これがまあなんともどうでもいい、くだらないことばかりで、読んでいるとにこにこしてしまう。「ひょんなことで知り合った」の「ひょん」ってなんだろう? とか「7曜日制が今後変更されることはあるか?」とかのテーマなのだ。
これは学術的な研究の書でもなんでもなく架空のやりとりと明記されているし、森博嗣さん以外の3人は特に専門なども明かされない素人だからあまり「実のある」本とはいえないと思う。僕も最初読んだ時はなんかあまりハマらなかった。森博嗣さんの発想が読みたいのに、これでは25%に薄められてしまっているじゃないかと不満もあったし。ただ5冊読み終えてみるとこれはこれでなかなかない良いコンテンツだなと思うようになっている。
ひとつひとつはとてもくだらないものだし、何らかの満足いく結論が出てくるわけでもない。でもそれは即興演奏、ジャズみたいな表現になっていてライブ感がある。ま、いってしまえばただの「会話」ってことだけど。無意味といえば完全に無意味、無内容といえば無内容。役に立つものがあるかといえば、ないかもしれないし、あるかもしれない。そんなのは読み取る側次第でいくらでも変わる。
しかし「会話のリアリティ」が十全に表現されていて僕は好きになった。いってみれば、連載でずっと聴いているラジオを聞いている感じというか。楽しい話題もあれば、興味のない話題もある。でもそうしたあんまり興味のない話題がでることまで含めて、個性への理解が深まって、ずっと聞いているうちにだんだん一人一人のパーソナリティに愛着がわいてくる。
もちろん見ず知らずの人たちの何でもない会話を聞いているだけで「リアリティがあるから面白い」とはならない(よくマクドで隣に座った女子高生の話をTwitterに面白おかしく書き込む人がいるからそうともいえないけど。でもこれもほとんどは創作だろうな)。
やはり森博嗣さんは4人の中では唯一のプロであるし、本書を自身の名前……つまりは責任で発表しているのであるゆえに、ところどころで話題に介入を行っていくのだが、それがまた読み応えがある。場がかき乱され、話題はちりぢりになったり、方向付けがなされたりする。ああ、たしかに会話ってこういうふうに予測不可能的に流れていくよなあと思うのだが、その起点をつくっている(メールで集めた文章をそれっぽく流れにしているので編集のセンスだと思うが)。
また森博嗣さんも専門ではない分野についての話なども当然ながら出てくる。おそらくそうした話題は森博嗣さんが一人で書かれていたら出てこない類のものだろう。だからそうした突発的なテーマにたいして森博嗣さんが何を考えているのかが知れてマニア心が満たされるのだ。いまだと対談集とかはそうした予想外の反応を引き出す機能を持っていると思うけど、3年半、5巻にわたってそうしたエッセイ的なディスカッションを4人でやるというのは当時も今でも珍しい試みだと思う。
世紀の大傑作というわけでもないが、それでも十分読み応えのあるシリーズ。『ご案内』は森博嗣さんの日記シリーズで時折書かれる日常の描写以外のエッセイ部分そのものだしね。
森博嗣の浮遊研究室 MORI Hiroshi's Floating Laboratory (ダ・ヴィンチ・ブックス)
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