基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

初心者から再読者まで、森博嗣の多様で自由な世界を示す10冊を紹介する!

本の雑誌に寄稿した「森博嗣の10冊」原稿を転載します。ちょこちょこブログ用に書き換えてます。あと、そんなにひねったラインナップにはなってないかと。強いていえば『スカイ・クロラ』が入ってないことぐらいかな。大好きな作品ですが、『ヴォイド〜』と迷ってこちらを選択しました。

はじめに

森博嗣は一九九六年にミステリィ作品『すべてがFになる』で第一回メフィスト賞を受賞してデビューし、その後破竹の勢いでシリーズ作品を刊行。デビュージャンルのミステリィの枠を超え、エッセイ、日記シリーズ、SF、幻想、絵本、詩集、趣味の庭園鉄道やジャイロモノレールについて書かれたノンフィクションまで、数多のジャンル・テーマの作品を開拓し続けてきた。総作品数は文庫化などの重複を除いてさえも二〇〇を超える。そんな作家なので一〇冊の選定は困難を極めるのだが、今回はできるかぎり間口を広く、森博嗣の多様な側面を紹介してみたい。

ミステリィ

最初は、さすがにこれは外せないということでデビュー作にして代表作『すべてがFになる』を紹介したい。愛知県の孤島に存在する、天才・真賀田四季の研究所で発見された四肢が切断された死体の謎を、工学部助教授の犀川創平と相棒役である西之園萌絵が解き明かしていく。そのトリック、謎解きの鮮やかさ、理系学生たちのリアルな会話、ミステリィ愛好家でキレ味鋭い思考を披露する西之園萌絵をはじめとした人物造形などデビュー作にして完成形といえるほどの作品だ。

だが、読み直して驚いたのは提示されている未来観だった。研究所では仮想現実の研究も行われており、真賀田四季による『仮想現実は、いずれただの現実になります』を始めとした仮想現実についての語りは、現代の物語として読んでも違和感がない。

森博嗣作品の多くは世界観が繋がっており、犀川創平や西之園萌絵らは後の『黒猫の三角』から始まるVシリーズや、『φは壊れたね』から始まるGシリーズといった他作品にも顔を出すことがある。中でも真賀田四季はその天才性によってこの世界のあらゆる領域に影響を与えているがゆえに、ほとんどのシリーズでその影が見え隠れする。そんな彼女の人生を描き出す、《四季》四部作も存在する。

《四季》四部作の中でも、彼女の幼少期を捉えた『四季 春』は、僕がすべての小説の中で最も読み返した一冊だ。彼女は何を読み、見てもすべてを一瞬で記憶してしまい、情報の処理速度は誰よりも早く自分の中にいくつもの人格を抱えている。常識外の能力を持つ彼女はしかし、最初はまだ親の庇護下にある子供に過ぎず、まずは自由を得るため、金を集めるためにその知力を用いていく。いまだこれを超える「天才の思考」を読んだことはない。それぐらい圧倒的な、天才についての小説だ。

単独作

シリーズ作品以外はないの? という人向けには、『喜嶋先生の静かな世界』を挙げたい。大学四年、卒論のために配属された喜嶋研究室で、勉強が大嫌いだったはずの橋場くんが「研究・科学のおもしろさ」に触れ変質していく人生が描かれる、森博嗣の自伝的な要素の含まれた研究者小説だ。本作では、研究とはまだ世界で誰もやっていないことを考え、最初の結果を導き出す。人間の知恵の領域を広げる行為なのだと語られる。そうした研究の意義と魅力だけではなく、大学というシステムの中で研究者としての切れ味を保ち続けることがいかに難しいのか、その現実も描かれていく。もうひとつ、単独で読めるものとしては、森博嗣自選短篇集である『僕は秋子に借りがある』をオススメしよう。大学の生協で見知らぬ女の子に強引にデートに連れ出された男子大学生を描き出す、とびっきりにミステリアスで魅力的な女の子についての短篇「僕は秋子に借りがある」。街中が砂に覆われ、色彩が失われてしまい、そのことを住民たちも認識しているようだが、なぜか大騒ぎをするわけでもない。そんな故郷の街へと帰ってきた男性の困惑と幻惑を描き出す幻想奇譚「砂の街」。

父親が何者かに殺され、その現場に残されていた小鳥をしばらく飼っていたが、ある日逃げ出してしまう。だが、数年後に自分はその小鳥であると名乗る若い女性が現れ、私が小鳥であることは誰にも話さないでくださいとお願いをする──と鶴の恩がえしのような童話テイストから鮮やかなミステリィ的解決に繋がる「小鳥の恩返し」など、幻想からミステリィまで森博嗣の多様な側面が味わえる短篇集である。

日記・ノンフィクション

森博嗣はデビュー直後からwebで日記を書き、それを文庫や単行本として刊行するスタイルを先駆けて実践していた。いくつもの日記シリーズが刊行されていて、それぞれに良さがあるが(たとえば最初の『すべてがEになる』からのシリーズは、後期の日記よりもあけすけに家族のことや読んだ本、観た映画についてなども触れられている)、中でも『MORI LOG ACADEMY 1』とそのシリーズをオススメしたい。

ACADEMYとついているように、本シリーズは授業の体裁をとっている。最初にホームルームとして日記が、後半は算数、理科など、授業項目に応じたテーマについて書かれている。日記とはいえ時事ネタを取り扱うことはあまりなく、抽象的な物事について論じられている。客観と主観の違い、文章の攻撃力と防御力について、原稿料の解説……後に多数刊行される新書のエッセンスは、すべてここに書かれていると思えるほどだ。何度も読み直したが、毎回新たな気づきを与えてくれるシリーズである。

そうした日記シリーズ以外にも森博嗣は、寂しさを感じることは「悪いことだ」とされる風潮があるが、本当にそうなのだろうか? と孤独の意味を問い直す『孤独の価値』。やりがいは仕事をする上で本当に必要なものなのか? と問いかけ、仕事について語った『「やりがいのある仕事」という幻想』など多くの新書も出している。その中から一冊選ぶならば、『自由をつくる 自在に生きる』を挙げたい。なぜなら、作家・森博嗣を一言で表現するならば、それは「自由」だと思うからだ。

森博嗣は本書の中で、自由とはなにかについて、簡潔に『「自分の思いどおりになること」』と答えている。当たり前のことではあるのだが、それを実践するのは難しい。たとえば、寝たい時に眠り、自堕落に過ごすこと。これは一見自由だが、実際には休みたい、寝たい、という肉体の支配を受けている状態だ。そうした支配を完全に無にすることは不可能だが(寝ずに生きることはできない)、支配を認識し、自由の領域を拡大していくことはできる。自身をできるかぎりコントロールし、将来を思い描き、計画を立てて実践する。それこそが森博嗣が創作で、趣味で、それらをひっくるめた人生で行ってきたことであり、本書では、その核心部分が語られている。

絵本・剣豪・幻想・SF

ここからは、ミステリィ系以外の多様な小説・絵本を紹介していきたい。森博嗣は小説を書き始める前はマンガを描いていたことでも知られるが、『STAR EGG 星の玉子さま』は森博嗣が文章だけでなく絵まで手掛けた絵本である。玉子さんと愛犬ジュペリが旅に出て、人が一人いられるぐらいの小さくて特殊な惑星をめぐっていく。すべり台だけがぽつんとあったり、野球をしている少年が一人だけあったり、二つの惑星がお互いを周りあっているように見える惑星であったり……。どの惑星の描写にも物理にまつわる知見が込められていて、宇宙の絵本であるがゆえに、上下左右どこから読んでも問題ないようになっているなど、美しく、また楽しい本である。続いては、森博嗣による全五巻の剣豪小説《ヴォイド・シェイパシリーズ》から、第一巻『ヴォイド・シェイパ』を紹介しよう。本作の語り手は、幼き頃から山中で、剣の達人であるカシュウと稽古をしながら生きてきたゼンという男。彼はカシュウの死をきっかけに山を下りて旅を始めるのだが、その過程で、真の強さとはなにか、自分はどこの誰から生まれた人間なのかを探求していくことになる。

山育ちのゼンは、社会の常識など何も知らぬ空っぽの存在だ。だが、空っぽだからこそ、社会のしがらみや剣の在り方に疑問を覚え、しがらみなく思考できるが故の強さを得ることができる。登場人物がみなカタカナで表記され、英語タイトルであることに加え、ゼンのそのフラットな視点もあって、内容的には完全に時代小説でありながらも、異世界の物語を読んでいるような浮遊感を体験させてくれる。

森博嗣による世界観に繋がりのある作品群の中で今のところ(明確に判明している限りでは)一番の未来を描き出しているSF作品が、『彼女は一人で歩くのか?』から始まるWシリーズ(とその続篇のWWシリーズ)である。舞台は現代よりも数世紀あとの時代。人間は細胞を入れ替えることで寿命を飛躍的にのばし、人工細胞を用いた、人間とほぼ見分けのつかないウォーカロンが(ウォーカロン自体は森作品の初期から描かれている)人と共に生活している。本シリーズは、そんな世界で人とウォーカロンを高精度で識別できる手法を開発した研究者ハギリを通して、「人間とはなにか、その特性とは」を問いかけてゆく。人と非人間、生と死、仮想現実と現実など、すべての区別が曖昧になった未来像が描き出される、圧巻のSFシリーズだ。最後に紹介したいのは、森博嗣による究極の幻想小説『赤目姫の潮解』。『女王の百年密室』から始まる《百年》三部作の第三部でもあるのだが、登場人物の繋がりは(ほぼ)なく、本作独自の世界観とスタイルが展開している。登場人物の視点や場面は次から次へと飛び、因果関係というよりもイメージの連鎖によって紡がれていく本作は、作中でいったい何が進行しているのかよくわからないのだが、その描写はひたすらに心地がよく、こんな語り、描写のスタイルをやってもいいんだ、と、僕の小説観、その可能性を広げてくれた。作家・森博嗣の「自由」を象徴する傑作である。

おわりに

森博嗣作品を読んだことがある人は多くても、エッセイからミステリィ、SFまでそのすべてに手を出した人は多くないだろう。本稿が、森博嗣をはじめて・再度読み始めるきっかけとなってもらえれば幸いである。