『旅行人』の発行人である蔵前仁一さんの本。とかなんとか書いている僕は旅行人(雑誌)を一度も読んだことがなかったのだけど、読み終えたら思わず片っ端からバックナンバーをあさりはじめてしまった。それだけでもずいぶん本書が楽しかったことがわかっていただけるだろうか。僕がもっと衝動的な人間だったらたぶんバックナンバーを漁る前に飛行機を手配して日本から飛び出していたかもしれない。それぐらい旅の面白さと、旅人の面白さについて触れている一冊である。
たぶん誰もが今いる場所に満足できなくなったり、つらくなったり、未来が見えなくなったりした時に「旅にでたい」と思うのではなかろうか。なんでもいいからいまいる場所を離れて、とにかくまったく別の場所に行きたいと思う。逃避の側面もあるだろうし、別の場所にいって気分転換をしたいということもあるだろう。そこから何かを得られるかもしれないし、そもそも世界は広いし……。
蔵前さんもフリーランスのイラストレーター、デザイナーとして、三時間しか眠れないような激務の日々を送っていくうちにふと「そうだ、インドに行こう」と決定する(ほんとはもうすこし紆余曲折あるが)。そして仕事をすべて整理し、インドにいつ帰るともわからないぶらり放浪の旅に出るのだが、いいなあ、時間の期限もなく好き勝手にぶらぶらできる時間というのは実に貴重だ。
そしてそのままインドの魅力に取り憑かれ、日本に戻ってきてからもしばらくは寝ても覚めても旅、すべては旅の中にある、といった状況だったようだ。この本の中には蔵前さん以外の旅人も大勢出てくるが(旅行人発行の話になると、雑誌における文章の書き手はみな旅人である)その人たちの話はどれもみんな変てこで、平均的な日本人の尺度からはかなりズレていて、でもそのズレ方も誰一人として重なっていないところがとてもおもしろいのだ。
ようはみな物事の価値観の尺度が違うのだ。それはそのまま旅をしてきた国、民族、土地の価値観が混ざってくるからだろう。砂漠には砂漠の価値観が、実り豊かな土地には実り豊かな土地の、極寒の地には極寒の地なりの、広い大陸、多民族の土地には多民族なりの、それぞれまったく異なった価値観がある。儀式を大事にする人たちもいれば、村人がアリに化けて襲ってきた! なんて神秘的な価値観を未だに持っている人たちもいる、勇敢さを証明するためにライオンを戦う民族だってある。
そうした価値観と出会い、受け入れてきたのが(受け入れていないかもしれないが)長年の旅人というものなのだろう。日本での価値観なんて、一歩外に出てしまえば役に立たない。正しかった美徳がところ変われば悪徳になり、悪徳とされていたことが美徳になったりする。ほとんど日本から出ない人間と価値観や、物事を判断する尺度がズレていくのも当然だ。
でも共通しているところはみなあまりお金に頓着しないところかもしれない。蔵前さん自身、発行している旅行人は「利益第一」ではない。もちろんはなから絶対に売れないと思っているような本は(たいていの場合)出さないだろうが、それでも「金のためなら何でもやるぜおらあ!」という商売人のような感じがまったくない。最終的に旅行人が縮小していき、休刊するのも「金のため」でやっていたわけではないからだ。
不思議な人たちだ。旅をするのに金がなければなくなった時に稼ぐか、あるいは金がなければないなりに安く暮らしたりする。満足を追求していくその有り様は、一言で言えば「自由」な人たちなのだ。だから読んでいてとても痛快なのだろうな。
この世界をリアリティを持って感じられることが、僕にとって切実な欲求だった。僕は中国大陸の東側に浮かぶ島国の一員に過ぎない。一歩、外へ足を踏み出すと、僕の知らない世界が果てしなく広がっている。それを見ずして、どうやって人生を過ごせというのか。有名になどならなくてもけっこう。世界を見たい、リアルに感じたい。それだけが僕の願いだった。
そして、旅は無限におもしろく、どこまでも自由だった。
だから、僕はまた旅に出た。
休刊号である『旅行人165号』をさっき手に入れたので読んでいたのだけど、これがまたすごい。「世界で唯一の、私の場所」というお題でいろんな人が自分にとっての特別な場所について書いている。どれも写真つきで、思わず涙が出てきてしまうような美しい中国の棚田風景があるかと思えば、乾燥しきった砂漠だったり、ジャングルに佇む像だったり、信じられないぐらい雄大なギアナ高地だったり、「世界って、ほんとに広いなあ」と溜息が出てきてしまう。
本書の後半部はそんな「旅行人」の蔵前さんによる立ち上げから、最終的に休刊するまでの裏話(隠しているわけではないから表話か。)。これもまた楽しく読んだ。なーんにもビジネス……というか本作り、雑誌作りのことを知らないで刷り数をミスったり、思ったより全然売れなかったり、時間がまったく足りなくて徹夜続きで仕事に忙殺されていく。その苦悩と葛藤がまた面白い。
売れるか売れないかわからないけど、おもしろそうだから出そうという態度では、社員の給料はまかなえない。売れるものを出さないと会社はやっていけないのだ。しかし、これまで書いてきた通り、売れると思って出したものが売れたためしはなかった。結局のところ、売れるか売れないかはほとんど運次第。これではとても社員など雇えない。
前述したような旅人基質の人間がそもそもちゃんとした会社の経営なんかできるはずがないと思ってしまうが、でも旅行人はそれでもちゃんと雑誌だったはずだ(僕のようなにわかが言うことではないが)。でもやっぱり、その体裁を整えるために、発行する側にはそれだけの葛藤があった、ということだろう。
でも救いなのは、どれもみんなつながっているってこと。
本を出せたのは旅をしたことと、イラストを描けたからだろうし、「旅行人」をつくれたのもグラフィック・デザインができたからだ。そして、旅に出たからこそ「旅行人」に書いてくれた人々と出会うことができた。自分がやってきたことが全部つながって、それらが「旅行人」へと結実した。
そして「旅行人」がいったん休刊した後の蔵前さんは、きっと今までの旅行人でやってきたことを踏まえてまた別の、新しいことをやってくれるのだろう。ごくごく個人的な満足を追求する旅かもしれないし、あるいはまた旅行人みたいな、僕のようなただただ隅っこで待っているだけの人間も楽しくさせてくれるような何かかもしれない。
でもこの後蔵前さんがなにをするにせよ、そうやって自由に先に進んでいく姿こそがまさに「旅行人」だよなあと、思うのだ。
『さて、それじゃあまた旅に出ようか。』
- 作者: 蔵前仁一
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2013/07/12
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