男の4人に1人はがんで死ぬ。ずいぶんエンカウント率の高い敵だ。彼を知り己を知れば百戦して殆うからずと孫子はいったが、いずれ自分を殺す可能性が高い敵であるならば、突然目の前にやってきて強制的に対峙させられるその前に、敵のことを知っておくにこしたことはない。そんなようなことを考えながら「がん」についての本を時たま読んでいるけれど、上下巻で4000年以上に及ぶ人類とがん治療における歴史をたどっていく本書はその中でも一番の傑作であった。
著者はインド系アメリカ人。コロンビア大学でおそらくは臨床もする助教授として血液及び腫瘍医学研究に携わっている。その為単なるがん研究者、あるいはサイエンス・ライターには書けない生身の人間との関わり合い、実感が本書には通底している。目の前で多くのがん患者を亡くしてきたであろうし、打つ手がもうないのだと、助からないことを伝えなければいけないこともある。本書を書くことにきっかけとして、インタビューで彼はこう答えている。
本書は、ボストンで受け持ったある患者から受けた質問への、とても長い回答です。その患者は非常に悪性度の高い腹部のがんを患っていたのですが、化学療法後にがんが再発し、ふたたび治療を受けていました。治療の真っ最中のある時点で、彼女は私にこう言ったんです。「このまま治療を続けるつもりだけれど、わたしが戦っている相手の正体を知らなくちゃいけない」
本書でムガジーが取得した賞はピューリッツァー賞をはじめ、たくさんある。賞の数が作品の質を表しているわけではないけれど、さすがにこれだけあると「本物」としての格を魅せつけてくれる。
2011: Pulitzer Prize, The Emperor of All Maladies
2011: PEN/E. O. Wilson Literary Science Writing Award, The Emperor of All Maladies
2011: Cancer Leadership Award (shared with Kathleen Sebelius and Orrin Hatch)
2011: National Book Critics Circle Award, finalist, The Emperor of All Maladies
2011: Time magazine, 100 Best Non-Fiction books of all TIME, The Emperor of All Maladies
2011: Time 100, most influential people
2011: Wellcome Trust Book Prize, shortlist, The Emperor of All Maladies[11]
2011: Guardian Prize, The Emperor of All Maladies
2012: Boston Public Library Literary Lights 2012 ──Siddhartha Mukherjee - Wikipedia, the free encyclopedia
言い回しは考えぬかれていながらさりげなく、名言、名文句が散りばめられ、なぜ、なぜ、と問題の原理的なところから問いを重ねていく方式は難解な概念を根本からわかりやすく解説してみせる。本書は単なるがんの歴史書でもない。がんの治療とともに発展してきた科学の歴史でもあり、同時に研究者として携わってきた人間たちがどんなふうにつまずき、袋小路に入り込み、悩んだのか。失敗と成功の「科学者たちの歴史」でもある。
科学的な大発見を成し遂げた人は……たぶん余人が味わったことがない感覚を持ったはずである。興奮だったり、これで多くの人が助かるかもしれないという楽観的な見込みだったり。おそらくは最も強い緊張を強いられるのは、がん治療においては「本当にこの薬が効くのか、あるいはまったくの思い違いなのか」を実際患者に投与してみせるときだろう。ときに科学者は自身のキャリアのすべてをかけて人体実験じみた薬の投与に邁進してきた。
優れた科学歴史ノンフィクションとは、そうした科学者と、当時それを理解できる立場にいた人たちが味わったであろう感覚を読者にも味あわせてくれるものだ。発見した時の興奮も、失敗した時のとりかえしのつかなさも。科学的反復検証を時として一足飛びに乗り越え、その分野の全体像をいちときに見せてくれるような、真に強力な新説発表のプロセスも。科学者たちの歴史を追体験させてくれる。
だが、テミンが研究結果を説明するにつれ、聴講者はしだいに彼の発表の重要性にも気づきはじめた。ある研究者は語っている。「表面上は味も素っ気もない生化学の話に聞こえた……テミンはいつもの鼻にかかった高い声で一本調子に話していて、その口調からはなんの興奮も感じられなかった」しかし、そんな一本調子の乾いた生物学の話からやがて、大きな意義が結晶化していった。テミンが話していたのは単なるウイルスの話ではなかった。系統立てて少しずつ、科学の根本原則の一つを解体していたのだ。聴講者はしだいに落ち着きを失い、そわそわしはじめた。講演が途中に差しかかったころには、講堂はしんと静まり返り、誰もが畏怖の念に打たれていた。科学者たちは熱心にメモを取り、ページからページヘ、混乱の入り混じった走り書きをびっしりと書いていた。テミンは回想する。講堂の外へ出たとたん、「電話をかけている人々の姿が眼に飛び込んできた……人々は、自分の研究室の人間に電話をかけていたんだ」ウイルスに感染した細胞の中に、長いあいだ探し求められてきた酵素活性をついに発見したとテルミンが発表したことで、彼の説はもはや疑いの余地がなくなった。RNAはDNAを生み出せるのであり、がんウイルスのゲノムは宿主細胞の遺伝子の一部になるのだ。
現代に至ってもがんは依然病の皇帝のままだ。多くの人ががんで死ぬし、治療不可能な部位や状態はいくらでもある。それでもたしかに進展してきたのが、がんの歴史である。その影には誤った場所を捜索したり、間違った認識に基づいて手術を推し進めたりといった失敗の歴史がある。思い込みはたとえば次のように進行する。がんは転移する。おそらくは周囲に最初に転移していくはずだ。だから「根治手術」といって腫瘍などの周囲を「徹底的に」取り除く、といったように。でも歴史としてその有り様をみていると、これが面白いのだ。
たしかに、今挙げた例などは、筋が通っているようにみえる。水の波紋が広がっていくように、発症箇所から円状に広がっていくのだろうとして、根治手術が当たり前として行われていた時代もあった。それよりもっと前の時代には身体に悪い液体が溜まっているからという認識の元瀉血によって血を放出させて治すやり方が一般的だった。しかし血を抜いたところで病気は治らないし、がんは周囲から転移するわけではないことが今ではわかっているし、最初に症状がでたところが、発症の元であるわけでもない。科学的な検証なし、思い込みで世界観を築きあげると、治療はむしろ人の寿命を著しく減らす。
しかし「これが正しいのだ」と思い込んでいる人たちは、何分自分たちがそれで治療をずっとやっているだけに自分を否定する結果を認めたがらないことが多い。だれだって自分が善意でやってきたことが、何の意味もないどころか、有害なだけだと知ることには耐え難いだろう。「科学者の歴史」とは、なにも新発見をした人たちだけのものではない。人間がいかに過ちを認められずに、自説への思い込みに引きずられてきたか、そしてある意味ではそうした失敗の上に、現在の成功が為されたという歴史でもある。
歴史的にみていくと「瀉血」や「根治手術」や「たばことがんの関係性」などなどで「間違った認識」がメインストリームを占めている時でも、常にその意見に反証的な結果を出す抵抗勢力が存在している。その少数派が科学的、あるいは実際に治してみせるという実践的パフォーマンスによって勢力が逆転するということが歴史上何度も起こる。もっとも科学的な手法が確立されて以後の話だけれども。人間の考え方の多様性というか、群衆になっても常に別の考え方をする少数派がいることが科学を前進させてきた。種としてよくできているよなあと感心しちゃうなあ。
きりがないのでこの記事ではがんがどのような病気で〜といった説明は一切しないけれど、そうした説明でも著者ムガジーはうまくやってのける。章の頭には毎回前章から引き続きか、あるいは新しい問題提起がなされる。たとえば「ヒトのがんレトロウイルスが存在しないのなら、ヒトのがんを引き起こすのはなにか?」のようなものである。ラウス肉腫ウイルスはウイルス遺伝子を宿主細胞の遺伝子に挿入することでがんを発生させる。
⇒つまるところ遺伝子変異ががんの原因であることは間違いない。⇒遺伝子変異はウイルスだけによって起こるわけではない。⇒根本的な原因はウイルスが遺伝子を変異させるように放つ「メッセージ」とはなにか、というところにある。⇒4つの遺伝子しか持っていないラウス肉腫ウイルスをさがすと、そのうちの1つ、srcと名付けられたそれが「がんをつくる遺伝子」であることがわかった。
というようになぜ、なぜ、なぜと問いを発し一つ一つ詳細に検証していくことによって多種多様ながんへの理解、患者との取り組み方、困難に直面した医者たちの苦闘の描写が前に進んでいく。最終的に到達するのは、がんはわれわれの遺伝子に元々内在している血管であり、がんを取り除くとはそのまま「自分たちを」取り除くということだ。病の皇帝は、実は自分たち自身だった、ということ。なんとも物語にありがちなストーリーだ。
しかしありがちだ、ということは繰り返し繰り返しの使用に耐えるだけの真理を内包しているということでもある。まだこの皇帝を倒す(単純かつ決定的な普遍的治療法)には至っていないけれど、扱う道具も、認識も、4000年前と比べると驚くほど進歩している。闘いは今だ継続中ではあるが、本書の言葉を借りれば「科学は反響する」、だ。
歴史は繰り返す。だが、科学は反響する。われわれが五〇年後にがんとの闘いで使っている道具はがらりと変わっているはずであり、がんの予防と治療の地形も大きく様変わりしているはずだ。未来の医者は、ヒトという種にとってもっとも本質的かつ高圧的な病気を殺すのにわれわれが用いてきた原始的な毒のカクテルを、きっと嘲笑うことだろう。だが、この闘いの多くは今と変わっていないはずだ。執拗な努力も、創意も、立ち直りも、敗北主義と希望とのあいだで揺れ動く不安な心も、普遍的な解決策を求める強い衝動も、敗北がもたらす失望も、傲慢とうぬぼれも。
- 作者: シッダールタ・ムカジー,田中文
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2013/08/23
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