基本読書

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ミッキーマウスのストライキ!: 米国・アニメ労働運動100年史 by トム・シート

元ディズニー・スタジオのアニメーターでもある著者の書いた、労働組合運動史。そもそも労働組合運動の歴史なんてものをあまり読んだことがなく、アニメーターのともなれば皆無だ。日本でもアニメ制作業者たちの労働環境の劣悪さなどはたびたび問題にあがるが、ドラえもんのひみつ道具のごとく、何か特定の制度やルールや呼びかけによって一気に問題が解決されたりしない。地道な一歩ずつの、確実な歩み寄りと調整が必要なはずで、米国の事例でもみたら何か日本の労働環境への考えの参考にもなるかな、という程度の興味で読み始めたのだけどこれがまた面白かった。

労働運動史、営利事業構造から眺めた個々のアニメーターの存在や役割を論じただけの本でもない。元々内側に居た人間の視点から語られる、ウォルト・ディズニーがどんな人間だったのかという描写や、有名アニメーターの逸話を盛り込んだアニメーション史、技術の継承・断絶といったサブテーマがいくつも織り込まれ、効率を追求し労働者を平然と切り捨てる経営者とそれに抵抗する労働者と、非常に多様な論点を内包した一冊になっている。

また訳者の仕事ぶりが非常に丁寧なのも特徴で、本文中に記載間違いがある場合には訂正が入る、訳版であらたにつけられた注が充実している、わかりやすい見出しが小刻みについている、と至れり尽くせりの内容。さらには訳者解説は日本のアニメにおける労働環境とアニメ制作会社の概観をとらえた内容で、膨らませて日本のアニメ産業労働史みたいなかんじで、一冊にしてくれたら絶対に買うのにな、と思う充実っぷりだった。

600ページを超える本で論点がいくつもあるので単純な要約などできるはずもないが、いくつか気になったところをピックアップしてレビューの代わりとしよう。まず面白いのが、メインテーマに当たる部分でアメリカアニメ界は現状労働者の環境としては、日本と相対的にみると非常にめぐまれた環境にある、その理由だ。それは基本的にはアメリカアニメ界におけるユニオンの存在が大きいだろう。このユニオンだが、職業別、職種別、産業別に労働組合が作られるため「特定の会社組織としての組合」とは異なる。よってスタジオに直接雇用されていないフリーランスであっても協約が結ばれているスタジオで働いていればユニオンに守られる。

ユニオンがあるからこそ、元々週6日だった労働時間は週5日に短縮され、労働時間の改善もはかられ、解雇の前には通知期間が設定されるようになり、1日に2回の休憩といったことまで用意されるようになった。経営者側の人間にとっては、スタッフのことをもっと安く済む労働力が手に入るのならいつでも切り捨て入れ替えることのできる要員であったとしても、雇われている側からすればスタジオに愛着もあれば仕事への自負もある。いきなり机の上に解雇通知が置かれ、「はいそれじゃあさようなら」といって終わらず、会社にとって都合のいいように無給の追加労働をさせられないような強い壁がユニオンという存在なのであった。

こうしたすべてが、最初からあったものではなく過去の要求や、長期間のストによる交渉の末に獲得されたものだということを確認していく過程になる。あるいはユニオンが絶対的な善なのかといえばもちろんそんなこともなく、行き過ぎた要求は結局のところ会社の寿命を縮めるし、時には自分たちの首を締めることにもなる。しかし一度設立され、アニメーターの待遇を守ることのできるようになったユニオンであってもそれで現代に至るまでずっと安泰であったわけではない。ユニオン設立の経緯も知らず、入った時には既にその権利を勝手に持っていると、なぜそれを守らなくてはいけないのかわからなくなってしまうもののようだ。たとえばP406にはこんな記述がある。

ウサギが跳ねまわる絵を描く仕事で、夢見た以上に金が貰えているこの若造たちに、自分の明日を守るために鉛筆を置けと説得しても通じるはずがなかった。ディズニーの新人アニメーターは低予算のテレビアニメの仕事には興味を抱かなかった。この若者たちはディズニーに入れば後はずっと置いてもらえると信じて疑わなかった。何の関心もないことで自分たちの作業がなぜ止められてしまうのか、理解できなかった。

1982年の8月に決行予定のストにあたり、本当にこのストは実行するべきなのか? 職場放棄はするべきなのか? 何か交渉の余地はあるのか? 当然ながらストの前にはこういうやりとりがあって、まさにその現場にいた当人がこの本を書いているので非常に細かいところまで描写されている。この時はトレスや彩色の仕事が海外に外注されることへの抗議ストだったが、引用部のように若いアニメーター側からしてみれば自分に関係のないことなのに何で無一文になって戦わなくちゃいけないんだ? と非難もあがっていたらしい。こうした活動があったから現在の週休二日制度などがあるのだったが、ユニオンを成立させ続けるのも楽ではない。

アメリカアニメーター列伝

そうしたユニオンの結成史、衝突史とは別に著者が見聞きしたアニメーターの逸話、エピソードなどもなかなか読み応えがある。中でも有名なのはやはりウォルト・ディズニーのものだと思うが、腕一本でのし上がった芸術家兼経営者であって、横暴なエピソードがいくらでも出てくる(まあさすがにこのクラスになると伝記が何冊も出ているからあえて彼でなくてもいいのだけど。分量的にもそう多くはないし)。たとえば自分自身が演出した短編をお披露目上映したのち、スタジオで批評を述べろと促したら手厳しい批評が飛び出してきて2名を首にした話など、わりと笑える。『ディズニー社員は大恐慌時代、仕事を失うのをとにかく恐れたので、社内ソフトボール大会でウォルトが打った球がぼてぼてのゴロでも一塁でアウトにしないよう気を使ったと後で漏らした。』

若きキャラクター・デザイナー、ケン・アンダースンがディズニー・スタジオに入ったとき、ウォルトからこう言い渡されたという。「うちの売り物はただ一つ。それは『ウォルト・ディズニー』というブランドだ。そこをしっかりわきまえて働いてくれれば、立派な社員だ。でも『ケン・アンダースン』をブランドとして売ろうとか思ってるなら、さっさと辞めてほしい」

P174から引用。まるで王様だが、実際に王様だったのであり、労働者は基本的に超低賃金で給料をあげてくれといった嘆願にも強い意志で拒絶するのも、自身がまさに叩き上げでそこまで上り詰めたからだったのだろう。ディズニーにはじめてキチンと交渉を行うユニオンができ、ストライキの決行にもつれ込む時もかなり激しい拒絶だったようで、1941年のストには1293人の社員のうち600人の制作スタッフと、事務その他の人間で373人もがストライキに参加したのだという。その後幾人もの才能ある絵かきがスタジオを去った。

ウォルト・ディズニーは悪人だったのか? と小見出しがついた箇所では、それは極論でありこの時代のビジネスマンはたいてい彼のような考え方をしていたとあるが、まあ今でも繰り返されている構図ではあるよね、と思う。宮崎高畑がしいた制作体制だってとても人間的なものとはいいがたい状況であったが、彼らがそれ以上に働いているだけに何も言えないような状況があった。ワタミやらすき家のような経営者陣も似たような理屈をしゃべるし(俺だって500時間働いたとか)「この時代」と限定しない、今に至るまでの叩き上げ経営者に通じる根深い問題を感じる。

問題はこうした状況にどう対応していくべきなのかだ。著者が経験してきたように経営者側と対等にやりあい、時にはストのような形で強制的な交渉の場を設けることのできるユニオンを育てて、行きすぎないように管理する道を選ぶべきなのか? というと日本とアメリカではその精神性にも、業界自体の成り立ちにも大きな違いがあり、日本での有効性は薄いであろうことは本書の解説で語られている。実際日本の労働組合はいくつかは存在しているものの実質機能していないも同然であり、そもそも雇用が廃止され自営業者と変わらぬ扱いを受けている。

現状日本のアニメ産業は、構造的にひどく安定してしまっており、それはつまり既存利権によって固まるべきところががっちり固められてしまっているということでもある。人気原作がいくらでも供給され、一定の消費者が存在し、それを創りあげる低賃金でも働き続けることのできるアニメーターや制作進行といった人間が存在してこの安定構造が成り立っている。ユニオンが唯一絶対の回答ではないといっても、個々人が組織と交渉するのもまた現実的ではない以上、そこには基本的な構造を一歩一歩変革していくことが必要なようにも思う。これがどこかから崩せるものなのかどうか、僕にはさっぱりわからないが、本書の視点は新しい光源となってくれるだろう。

まあお値段は税抜き6200円なので、研究者や物書きか物好きぐらいしか買わないと思うのだけど(僕は物好き)。これでもだいぶ価格は抑えられているそうで、全くその通りだとは思うし、ありがたいことである。図書館に入っているかもしれないので興味がある人は探してみたらどうだろうか。

ミッキーマウスのストライキ!: 米国・アニメ労働運動100年史

ミッキーマウスのストライキ!: 米国・アニメ労働運動100年史