基本読書

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疎外と叛逆ーーガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話

ガルシア・マルケスとバルガス・ジョサ(リョサじゃなかったっけか?)といえばつい最近ジョサの方が(慣れ慣れしいなおい)ノーベル文学賞をとったこともあって、二人共名実ともに世界的大作家の感がある。本書はその二人が1967年に行った対話(バルガス・ジョサがガルシア・マルケスにインタビューする形式だが)の書籍化。対話で一冊になっているわけではなく、本書の半分を占めていて、あとのもう半分はジョサの作家・ガルシア・マルケスへのラブレター(解説、批評のたぐい)と、バルガス・ジョサ単独へのインタビューになっている。

最期のバルガス・ジョサへのインタビューは気の抜けた内容で面白いわけではないけど、やはり二人の対話は面白い。最後訳者解説でも触れられているように、この二人はのちに仲違いして出会った時に顔をぶん殴るような対立状態に陥ってしまうわけだけど、この時点ではお互いがお互いを非常にリスペクトしている様が伝わってくる、良い対話になっていると思う。僕自身はそこまで二人の良い読者ではないが(代表作をいくつか読んでいるぐらい)、世界文学といったものへのコミットする姿勢みたいなものが共通していると思う。あくまでも自分の書きたいものへストイックに、こつこつと念入りに、細部にいたるまで精密に巨大な建築を築きあげていくような姿勢。

もちろん二人の作家の良さはそれぞれ固有のものであり、そうしたスタイルから大きく離れて独自の建造物を築きあげていくわけだが(性格も大いに違うようにみえるし)、少なくとも文学的な物に対する彼らの態度は(まあその長い生涯を思えば後半年いろいろあったりするわけだけど)誠実なものである。またやはりお互い気心の知れた作家同士であるだけに、質問も作家性を明らかにしようと突っ込んだものが多くそれがまた面白い。いくつか面白かったところをピックアップしてみようか。

たとえば最初の最初から我々小説家はわりと「作家が何の役に立つのか」と聞かれるけど、あなたはこれについてどう思うんですかといきなりマルケスに対してこの質問をぶつけている。マルケスの答えは次のようなものだ。『幸か不幸か、その機能は破壊的とでも言えばいいのか、ともかく、私の知るかぎり、優れた文学が既成の価値観を称揚するようなことは皆無なのです。優れた文学は常に、既成のもの、当然として受け入れられているものを破壊し、新たな生活形態、そして新たな社会を打ち立てよう、言ってみれば、人間生活を改善しようと志向するのです。』

ふーん、へー。僕は正直小説なんてものは腹を満たすとか、壊れた椅子を直す部品になるとか、そういう機能的な部分を明確に限定したものではないと感じるので、こうした質問をすること自体がナンセンスだと思うけど、まあ回答としてはなかなか面白い。質問者であるジョサは、ここでは一貫してガルシア・マルケスはいったいどういうルーツでもって創作を行っているのか、またそれに対する手段はなんなのかといったことを物語が進むようにして聞こうとしていく意図は今後を読めばよくわかるので、このナンセンスな質問から始めるのも理解はできるのだけど。

また面白いのはジョサがマルケスに対して孤独についての質問をしているところか。ガルシア・マルケスの中でも依然として代表作と呼ばれている『百年の孤独』が出たばかりの頃であるから、それに関連しての質問。ガルシア・マルケスの答えを簡潔にいってしまえば人間は誰しも孤独を感じており、だからこそ私は孤独をテーマにするのだといっている。そして話はそこから百年の孤独執筆秘話にうつっていくわけだけど、このガルシア・マルケスの家族の話が実に『百年の孤独』そのまんまで、うそ臭くてヘンテコだ。

訳者の人はあとがきで二人の会話の中でいくつものことが事実と反したり、他で語っていることと相反することを指摘し、この二人の話を鵜呑みにすることはできないとして本書を「文学作品として」読まれるのがよいといっている。たしかにガルシア・マルケスの故郷や親戚の話とか、物凄くヘンテコで彼の書く文学作品そっくりなのだが、面白く、そして同時に嘘くささを感じさせるバランスで成立している。たとえばこんな叔母の話とか。

今話しかけた叔母というのは、『百年の孤独』を読んだ方にはすぐに誰かわかるでしょうが、いつも家で何かしているような、大変に活発な女で、ある時突然死衣を縫い始めたものですから、「ねえ、なぜ死衣なんか縫うの?」と私は訊きました。すると彼女は、「あのね、私はもう死ぬのよ」と答えたのです。それで針仕事を続け、縫い終わると横になって本当に死にました。

『百年の孤独』は読んだ人にはわかることだが、とにかく現実的にはありえないおかしなことがさも当然起こることのように描かれていく小説だ(空飛ぶ絨毯とか200歳近い人とかが普通にいる・ある)。しかもそれがただ描かれるのではなく、執拗に、延々と描写されて、確かにそういうものなのかもしれないなと受け入れられてしまう説得力ある文章として構築されている。

たとえば同じ名前の人が何人も出てくる。読者のほとんどが「同じ名前の人間が多すぎてわけがわからねえ」と悲鳴をあげるものだと思うが、これも現実。だってガルシア・マルケスはガルシア・マルケスの弟と同じ名前なのだ。それも十二人兄弟の長男で、十二歳の時に家を出たら、その間に弟がうまれて「最初のガブリエルはもう出て行ってしまったし、やはりこの家には誰かガブリエルがいないと……」といって全く同じ名前の弟ができる笑 家族で同じ名前ってそれ個体識別する、名前本来の機能を果たしてねえじゃねえかと思うが、まあ出て行ったんだったらそれでいいのか? 集まった時とかどうやって呼ぶんだろう? 大ガルシア小ガルシアとかかな?

ガルシア・マルケスが暮らしたラテンアメリカでは、まさにそういう他人にはなかなか信じてもらえないようなおかしなことが日常で起こっていたのであって、そうした不可思議な実体験を想像力でふくらませて『百年の孤独』を仕立てあげていったプロセスが明らかにされていく。ラテンアメリカで本当に起きた出来事を小説に書くと、誰にも信じてもらえないというが、確かに信じられない笑 名前が重複しまくっているのとか、なんか文学的な意図が含まれているのかといろいろ深読みもしたものだが、まさにそれがそのまんま現実の出来事だとは思わなかったもん。

この他にもガルシア・マルケスが「ボルヘスは逃避の文学だ」なんていって盛大にディスりながらも、実際には全集を買って何度も読むぐらいのファンでもあるというツンデレっぷりを発揮させたりと読みどころの多い対話である。その後のバルガス・ジョサの百年の孤独解説とインタビュー自体はそうそう面白いものでもないが、まあ読めばなるほどと思うし読み応えはそこそこ。薄い本だし、興味があったらぺらぺらってめくってみたらどうだろうか。一流の世界文学作家の思考が垣間見えるだろう。

疎外と叛逆ーーガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話

疎外と叛逆ーーガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話