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村上春樹さんの小説の記述をめぐってのこと

村上春樹「心苦しく、残念」町名変更へ 小説のたばこポイ捨て記述めぐり (デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

下手な手を打ったなこれは、ということに尽きる。世界の村上とはいっても話題が盛り上がりに盛り上がった長編で300万部を超えるぐらい。短篇集は当然ながら100万部を超えることもない。いったいそのうちの何人が、その将来単行本に収録された短編に書かれた町のタバコのポイ捨てのことを気に留めるだろうか。もちろん気に留める人はいるだろう。

また気に留める人がいるいないに関わらず、これはプライドの問題、事実無根のことが書かれていることへの反論であるというだろう。もちろんそうに違いない。そんなことを否定するつもりはない。これはきっと実態とは異なる間違った記述だったのだろう。一方で、所詮架空のキャラクタがいったことでもある。また一方では現実に存在する地名であるがゆえに、架空のキャラクタだからといって何もかもが許されるわけではない。

どこからが問題で、どこからが問題にならないのか。その境界は(某ドラマが騒がしているように)曖昧だ。今回のケースが大雑把に境界を「あり」と「なし」にわけて考えてどちらに転ぶかといえば、まるで町に無関係な立場の僕ははっきりと「なし」だと思うが、当事者からすれば譲れない思いもあるのだろう。それ以上に「真意を問いただすにしても他にやり方があったんじゃないの」という気持ちのほうが強い。

報道のされ方でいろいろ歪んでいったのかもしれないが、「屈辱的表現」などと言いながら真意を問いただすとは最初から随分な喧嘩腰ではないか。修正を願うにしても、態度を含めていくらでもやりようはあったのでは……そういう意味で「下手な手を打ったなこれは、ということに尽きる」と最初に書いた。

そして村上春樹さんの立ち位置はこれはこれで立派なものだ。表現の自由だなんだのと大きい話ではなく、「不愉快にさせるつもりで書いたわけではなかった」からこそ相手を不愉快にさせてしまったことを受け、町の名前を変更することにした。相手へと寄り添った考え方だ。もちろんそれほど重要な箇所ではなかったからこそ変更がきいたのだろうし、根幹に関わる部分なら突っぱねただろうけれども。

ですから僕としてはあくまで親近感をもって今回の小説を書いたつもりなのですが、その結果として、そこに住んでおられる人々を不快な気持ちにさせたとしたら、それは僕にとってまことに心苦しいことであり、残念なことです。中頓別町という名前の響きが昔から好きで、今回小説の中で使わせていただいたのですが、これ以上のご迷惑をかけないよう、単行本にする時には別の名前に変えたいと思っています」

自分の都合を押し通せばいくらでも押し通せる場面であったように思う。味方が多ければ多いほどいいものでもないが、「真意もなにも、フィクションの登場人物が語ったほんの一言ですよ。それ以上でもそれ以下でもありません」と突っぱねたとしても「村上はひどいやつだ」と思う人が過半数を超えるとは思えない(これは微妙か)。

むしろその程度で一度決めた表現を曲げるのか、とかこんなことがまかり通ったら今後も同じようなことが起こるとか、むしろこうした態度に対する批判もいくらでも起こりそうなもので、また面倒くさい事だ。それでも僕はこの態度、応答は村上春樹さんのこれまでやってきたことの延長線上のように思えて、ちょっとほっこりしたのだ。