基本読書

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兵士たちの肉体 by パオロジョルダーノ

これがまたヘビイな……ちょっとすぐには表現すべき言葉が見つからない、今まで読んできたものとは手触りがずいぶん異なる一作。割合たくさん読んできているのでそういう感想は珍しい。本作『兵士たちの肉体』はアフガニスタンに派兵されたイタリア軍の兵士たちが元ネタもある事件に巻き込まれていく様を描いていく小説作品。描写のほとんどは戦闘というよりかは出発前の心情や駐屯地で滞在している時の出来事に充てられる。彼ら彼女らがそこで一体何を考え、どのような「肉体的な反応」を表出させていくのかの表現が楽しかった。

著者のパオロ・ジョルダーノは素粒子物理学Ph.Dをイタリアでとっている理系だ。だからこそ一作目から随分と雰囲気を変えて兵士を書くというのは以外だった。ちなみにWikipediaパオロ・ジョルダーノ - Wikipediaを信用すると31歳でイケメンでデビュー作の『素数たちの孤独』はいきなりベストセラー、イタリアで最高の文学賞を受賞して、世界中で翻訳され映画化までされるというちょっと出来すぎな男なのだ。ぐぬぬ

しかしその後第二作を待望する声があまりに大きくて三年も次作が書けなくなったというのだから(訳者あとがきより)メンタルは強くないみたい。それでもこうやってちゃんと次作をしっかりとしたクォリティで出せるのは、一作で尽きるような才能ではなかったということだろう。まだ二作しかないが、今後リチャード・パワーズ的などっしりとした世界文学作家になっていくとええなあ。

今まで読んできた作品と手触りが異なると、それを読んで感じたこともなかなか言葉には出てこない。本作は明確な主人公というものはおらず、イタリア軍の若き兵士たちの事情や心情をそれぞれ書いていくのだが、それは実際に戦地に行っていない人間が戦地に行って残酷な目にあった相手に対して「君の気持ちがわかるよ」とはいえないように、ここで描かれている心情といったものを容易く言い換えることが出来ない。描写の多くは戦場の空気とでもいうような、生々しい肉体の感覚に根ざしているからだ。

ちなみに著者自身は現地ルポを書くためにいった本作と同じ基地で、これまた同様に若き兵士たちと出会っている。まさにこんな感じ↓

「ここがどんな場所か、姉さん、僕に聞いてくれたことなかったね」
「いきなり何よ?」
「この土地がどんな場所か、姉さんは僕に尋ねたことなんかないんだ」
アフガニスタンがどんなひどい場所かなんて、だいたい想像つくけど」
「いや、無理だね。姉さんに想像できるわけがない。ここには大きな山がひとつあるんだ。木も草も一本も生えてない山。今はてっぺんが雪で覆われていて、雪と岩の境目はまるで線を引いたみたいにくっきりしている。こんなふうだとは誰も想像しないはずだよ。ほかにも山は見える。でもずっと遠くだ。夕暮れ時になると、そうした山が一つひとつ微妙に違った色になって、まるで劇場の緞帳みたいなんだよ」

ここでいっているのは、「とても美しい土地なんだ」ということだ。アフガニスタンに行ったことがない人間は、たしかに戦場のイメージしかわかないだろう。砂だらけで、白いローブみたいなのを着ている人間ばかりで、ろくな土地じゃないような気がする。でも実際そこにいて毎日変わっていく風景を見れば全く別のものが見えてくるのだろう。実際に戦場にいって、兵士として日々を過ごしているうちに、普通はまったく想像しない数々の出来事に遭遇するのだろう。

本書は実に見事にそうした微細な描写の一つ一つから、「雰囲気」みたいなものを切り取ってみせる。何を食べていたのか、見張り番は何時間交代だったのか、髭は何日に一回ぐらい剃るのか。いったいどんな命令で、どんな心情で危険な任務につかなければいけなかったのか。原著タイトルがどのような意味なのかはわからないが、『兵士たちの肉体』というのはまったくこの作品をよく表していると思った。

兵士たちを書いたというよりかは、たしかにこれは兵士たちの「肉体」を書いているのだ。「肉体」、それは生理反応のことだ。結局のところ生きるとは「肉体が生きる」ということで、生物学的に何を持って生きるといえるのかといえば日々飯を食べて排泄をして性欲を何らかの形で処理して恐怖や喜びといった感情と上手に付き合っていくことにほかならない。「肉体の反応」こそが、ある意味では生そのものなのだ。

食中毒が蔓延して誰も彼もが腹をくだしてトイレ目指して駆けずり回る光景、男だらけの現場で沸き上がってくる性欲、残してきた家族への追憶、死が近くにあると思えば恐怖が襲ってきて動けなくなり親友ともいえる兵士が死ねば吐き気がむらむらと襲ってくる。肉体的に体調が悪ければ判断力に影響をあたえるように、すべてが彼らの判断や行動に関わってくる。そうした当たり前の、誰もが持っている生理反応の延長線上を実に忠実に書いているからこそ、描写の一つ一つに惹きつけられたのだと思う。

ここまで「人間は身体で生きているんだ」という当たり前の事実を実感させられる小説もあまりない。「手触りが異なる」と最初に書いていた「違和感」は、おそらくその辺にあるのだろうな。

兵士たちの肉体

兵士たちの肉体