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パワードスーツ、強化アーマー、遠隔操縦人型兵器の短編を集めた垂涎のSFアンソロジー!──『この地獄の片隅に パワードスーツSF傑作選』

この『この地獄の片隅に パワードスーツSF傑作選』は、その名の通りパワードスーツ物を集めた特殊テーマ・アンソロジー。パワードスーツ物とはなにかといえば、『宇宙の戦士』を筆頭に、人間が着込むことによって超人的な力を発揮するもの、というあたりになるだろう。現実にもすでに多数存在する他にも、人型のロボットを遠隔操縦するのもこれに近いジャンルとなり、SFではよく見かけるガジェットだ。

原書刊行は2012年で、23編ある中から訳者の中原尚哉氏によって12編が選ばれている。だいぶ減っているが、一編約30ページ、総計で400ページ近くあって、ボリューミー。パワードスーツ・アンソロジーと聞いてすぐにおもしろそうだな、と思った一方で、そんなにパワードスーツでネタがあるのかなあ……、けっこうな割合でネタがかぶってなんか似たりよったりにならんかなあ……という心配もあった。

それが、読んでみれば(12編に厳選する過程で似たようなやつは落とされていると思うんだけど)、アーマーが心の距離、溝として機能しているラブロマンスな作品もあれば、ガチガチにミリタリーテーマの作品、アイデンティティを問うてくるタイプの作品、蒸気機関×アーマー、深海×アーマー、それどころか過去の戦争にこんな超兵器があったら──を展開するイフ物と、実に多様性に富んでいて純粋におもしろい。

この手の特殊テーマ・アンソロジーは、編者の熱意で成り立っていることが多く、本作もその例に漏れない。そうしたアンソロジーの醍醐味の一つは熱量のある序文にあるが、J・J・アダムズによる本作のイントロダクションもまた素晴らしいものだ。

 未来の戦争の最前線で重要なものはなにか。人間と機械のこの奇妙な共生関係はどのようなものか。そして……アーマーとはなにか。
 アンソロジー編者としては自分が読みたい短編集を編むことを任務と考えてきた。その意味で本書はその典型だ。
 アーマーを装着し、電源をいれ、弾薬を装填せよ。きみの任務は次のページからだ。

ざっと紹介する。

というわけでざっと紹介していこう。トップバッターはミリタリーSF《彷徨える艦隊》で大ヒットを飛ばしているジャック・キャンベルによる、らしい戦争物の一編にして表題作「この地獄の片隅に」。水や栄養を送り込み、空調から娯楽まで含めてすべてが完璧で過ごしやすいアーマーに入って異星人たちと戦う兵士たちの物語。

冒頭はストレートなアーマー×ミリタリ物なのだが、このアーマーに、緊急時フルアシスト機能と呼ばれる、行動不能になった兵士を無理やり動かすシステムが搭載されていることが明らかになったあたりで物語の雲行きは怪しくなっていく。何しろ、身体の上半身をふっとばされた中尉が、その機能によって下半身だけ離れた場所に移動していたり、死後の行動までもを制御しているからだ。脳みそが吹き飛んだ場合、このアーマーはどこまで「フルアシスト」するのか──アイデンティティに迫る一編。

ジュヌヴィエーヴ・ヴァレンタイン「深海採集船コッペリア号」は、ズゴックみたいな形をした深海で活動できるアーマーの活躍を描いた一編。藻類などの採集にいそしむ採集船でアーマーを着込んで作業していた一人が、隠された情報を深海から拾ってしまって──というところからその情報を狙う勢力と戦闘に発展していくわりとシンプルな物語だが、水中で活動する専用のアーマーを用いた、水中戦闘ならではの描写がおもしろい。『メカは大柄で密度が高いので、人間のように水中に滑りこめない。着水の衝撃で海面がお椀形にへこみ、一拍おいて四方から海水が押しよせる。アルバとジャコバにとってはおなじみだが、敵にとっては未知の状況だ。』

パワードスーツの描写がたくさん読めるのが最高!

ここらでちょっとパワードスーツ物、それも短編ならではのおもしろさに触れておきたい。それは、多種多様なアーマーの「描写」が読めることだ。書き手によってさまざまなアーマー描写がある。たとえば「深海採集船コッペリア号」でいえば、これは海中用のアーマーという特殊性があって、描写は次のように成されている。

 メカは水中で行動しやすいように長い腕と、器用な手と、強力な短い脚を持つ。ひれ脚は長い指のあいだに水かきがある。これをたたんでも猛禽類のような鉤爪の脚なので、操縦ピットと保管ポッドのある重い上体をささえるのはあぶなっかしい。貨物ベイからタンク室へよたよたと歩く姿はまるで頭のないゴリラだ。

あるいは、19世紀末のオーストラリアを舞台に、盗賊団の要請によって極悪な蒸気アーマーを作り上げてしまった発明家の物語、デイヴィッド・D・レヴェイン「ケリー盗賊団の最後」では次のようなアーマー描写が堪能できる。

 甲冑のリベット打ちの装甲板を朝日が照らし、黒い人型の輪郭をほのかなオレンジ色の反映が彩る。全長は二メートル四十センチ以上。二本の脚は木の幹のように太い。それもイギリスの大木だ。ウォンバット・レンジにはびこる手首くらいの痩せたマリーの木ではない。銅まわりはワインの大樽のようだ。内部には腕と脚を駆動するピストンや連接棒がおさめられ、分厚い羊毛の詰め物で操縦者を熱と機械の動きから守っている。操縦者の空間もある。

いやーこの描写はかっこいいでしょう! アニメーションや実写でねっとりとカットを切り替えながら、光があたってなめ回されていく感じで脳内で再生されて興奮してしまいますよ! もちろん他にもカッコいいアーマーの描写はあるんだけど、全部バラしていってもつまらないので割愛。

おわりに──他にもおもしろい短編がいっぱい

他に変わり種を紹介していくと、カリン・ロワチー「ノマド」は人間と融合し生きていく、ラジカルという特殊なメカが存在する世界を描き出していく。ラジカルは人間とともに成長し、自由に変形し、構造を変え、適応するが、融合した人間が死んでしまうこともある。そして、その人間を愛してしまうことも──。「人間と異種知性の共生」、「意識を持ったアーマー」というテーマを深堀りしてみせた一編だ。

デヴィッド・バー・カートリー「アーマーの恋の物語」は、その名の通りラブロマンス物。アーマーは、もちろん力を増大させ敵を叩き潰したり活動できない場所で活動させるための道具だが、同時にそれを着込むことで自分の中身、見た目を隠し、他者との間に距離を作り出すことのできるツールでもある。本作はそうした、「他者との距離の象徴としてのアーマー」を時間SFとからめてうまいこと描写してみせた。

キャリー・ヴォーン「ドン・キホーテ」は、「ケリー盗賊団の最後」に近い一編で、スペイン内戦末期の1939年に、戦況をひっくり返せる超火力を持った個人操作可能な戦車が存在したら──という話が展開する架空史もの。これもまた話としてはシンプルなのだけれども、その描写で圧倒させてくれる。『それは戦車であって戦車でなかった。戦車の部品を組みあわせたフランケンシュタインの怪物。つぎはぎで大幅に拡張した戦争機械だ。戦車の設計をもとにしながら極端に改造している。』

最後に、この邦訳版にはパワードスーツといえばこの人な加藤直之氏によるイラストが各編についていることもぐっとくるポイントのひとつ。パワードスーツ愛好家のみならず、おもしろいSF短編を求めている人には安心してオススメできる一冊だ。