たかだか作家歴20年ぐらいの人間が創作の極意と掟なんて本を出したらこいつアホか何言ってやがるとなるところだ。が、著者は筒井康隆だ。そりゃ極意といっても許されるというか、むしろ正座して背筋を伸ばして読むレベル。
さて、どんな本なのか。文学部唯野教授で文学理論をめためたにこねくりまわし数々の実験小説を世に放出し現在も『聖痕』などという変てこな小説を出すような、あの筒井康隆が真っ当な小説作法なんてものを書くだろうか。
はじめに、の中で『「小説作法」に類するものを何度か求められたのだが、いつもお断りしてきた。小説とは何をどのように書いてもよい文章芸術の唯一のジャンルである、だから作法など不要、というのが筆者の持論だったからだ。』と語っているが、だからこそこの本はそうした作法には一般的にいって書かれない内容が詰まっている。
たとえば冒頭の項目から凄い。「凄味」だ。創作の極意といって最初に出てくる項目が凄味! それが既に凄味だよ。小説作法は作法というからにはある程度パターン化されていなくてはならず幅広く人が使える術のようなものであってしかるべきだが、いきなり凄味だ。作法もパターンもあるかという抽象的な項目、概念だ。
しかしむしろ小説の面白さとはそうした言語化できない部分にあるのだから真っ向からそこに向かってくれる、表現できないことこそを表現するのだという作家魂を感じた。
しかも次の項目は「色気」だ。今まで文章の色気について解説した小説作法なんてあったかといえば、たぶんないだろう。このような項目が続いていくので、パターン化、作法化はだから期待するようなものでもない。基本的にはエッセイのような体裁だ。たとえば「薬物」なんて項目があったりする。名前を出しちゃいけないお薬を使っていかにして執筆するかということを書いたエッセイだ(嘘だが)。
また過去の名作や現代の作品がいくつも「事例」として紹介しつつ取り上げられるのでブックガイドとしても使えるのが良い。たとえば凄味の項で取り上げられるのは色川武大だ。彼の作品はギャンブル小説に限らずその作品にはすべて凄味があり、純文学系等の作品であっても凄味があるという。たしかに僕は彼のエッセイも小説も好きで好んで読んだが、どれも常に命をかけて勝負に出続けているような切迫感があるんだよなあ。
凄味とは何か、というのは実際このエッセイを読んだだけではよくわからない。一言でいえば「底の知れなさ」のようなことではあるのかな。
自分の考え方すべてに自信満々という人の書いたものには、まったく凄味がない。なぜ自信満々なのかというと、その考え方が誰にでも受容れることのできる凡庸な、陳腐極まりないものであることが多いからだ。
と書かれているように「簡単に受容されて」しまっては負けなのである。一瞬立ち止まる、うおっとのけぞる、なんだこれは、といぶかしむ、そしてそこに「なんだかよくわからないがこれはすごいことが起こっているようだぞ」と思わせること。それがおそらくは凄味の何たるかなのだろう、ともう一度読んでみると理解が深まってきた。
その後の項目に含まれるどんな言葉も、半世紀にわたって小説を書いてきた、しかも傑作とかつて誰もが見たこともないような新しい表現の小説ばかりを書き続けてきた筒井康隆だからこその内容だ。『この文章は謂わば筆者の、作家としての遺言である。』と冒頭の一文にあるが、まさに遺言の名にふさわしい後進への言葉達だったといえよう。
- 作者: 筒井康隆
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/02/26
- メディア: 単行本
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