基本読書

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霊長類 南へ/筒井康隆

霊長類 南へ (角川文庫)

霊長類 南へ (角川文庫)

 核戦争が実際に勃発してしまった世界。人々は少しでも長く生きようと、一路南極へと向かう。

特にネタバレもなく感想でも

 筒井康隆のパニック系で御馴染みの『ドタバタ』SF。特殊な状況下に人類を叩き落として、うわーぎゃー! と喚き散らす人間を書く筒井康隆の常套手段である。それが、今回は核戦争という身近なテーマになったことで緊張感がより現実のものとして感じられる。その中にレイプあり、グロありと読んでいる最中に思わず眼をそむけたくなってしまうような残虐な表現の数々が詰め込まれていて、その一方で何故人間は戦争なんて愚かなことをするのだ──という哲学的な問いも並行して進められる。 

 物語は、中国人民解放軍にて、核発射ボタンを間違えて押してしまうところから始まる(実際は手相を見るところだが割愛)。一発なら誤射かもしれない、なんて言っている暇もなく世界に核が広まっていき、撃たれた方も報復として核を打ち返す。そんな状況を、世界は核の炎に包まれた──なんておざなりな一言でスルー『しない』のが筒井康隆先生の凄いところで、各国がいったいどういった手段をとり、また人々がどんな反応を起こすか、またどの国にどれだけの攻撃能力があって、核が落ちたら具体的にはどうなるのか──、そんな細かいところまで描写しきっている。

 筒井康隆先生の文章での才能は疑う余地もないところで、言うならばこれは天才のようなものだ。だがそれだけが彼を大作家にしたのではないことは、ここで書かれている情報量の多さでたやすく納得することができる。さりげなく描かれていく情報は勉強、努力のたまものである。とにかく妥協というものがない。もう一つおまけに晴らしいのが、人々の反応。誰もが死ぬのを嫌がり狂って、警察もとち狂い、あるものは仕事に没頭し、また助かるかもしれない可能性、蜘蛛の糸のごときものが垂れ下がった瞬間に醜いエゴを丸出しにして殺到する。子供を踏み殺し、妊娠した女を射殺し、自分が生き残るために他者を蹂躙していく。自分は単にそういった残虐描写を素晴らしいと言っているわけではない。それがさもあり得ることだ、と思いこまされるように書かれていることに感心しているのである。以下色々

作中で他言語を喋る際の違和感

 最後に、英語と小説の関係についてもお話ししておきたいと思います。ミステリーを読んでいて、例えば探偵が外国人と話をする場面に、「○○という名探偵は、……と英語で言った」と書かれているんですが、これは絶対おかしい。英語を知っている人間から見ると、こんな文章は英語ではありえないというケースもあって、リアリティが感じられませんでした。僕は自分がリアルと感じられることしか書けないので、『コズミック・ゼロ』では、僕がリアルと感じる英語をかなり使いました。

 上は清涼院流水先生が、コズミック・ゼロ特設ページにて語った内容である。確かに小説に限らず、物語内で英語やら他言語が出てきた場合は勝手に日本語にされていることが多い。英語をよく知らない自分からすればそれ程違和感があるわけではないのだが、ある人はあるのだろう。そんなこんなで流水先生は『コズミック・ゼロ』の中では最初に英語で文章を書き、その後に日本語の文章を書くという手法を使っていた。

 そのやり方に問題があるとすれば、誰も英語の方を読まない事だろう。自分の自己満足でそれをやるのは結構だが、誰も読まない文章を一冊の本の中に挿入することには問題があるような気がしてならない。これの問題は、英語と日本語が完全に別離していることであって、日本語がそっちにあるならそっち読むよ、英語なんて読まないよ、というのがこっちの読み方である。さて、本題に戻るとこの『霊長類南へ』には中国人が出てくる。そして彼らの会話は、ちゃんと中国語で書かれているのである。つまり流水先生のやっていることと同じ、といえるかもしれない。たとえばこう書かれている。「放手。放手。大家放手。(はなせ はなせ みんな放してくれ)」()内はルビとしてふられており、ルビを読むと自然に元の言語も目に入ってくる。長い前置きになったが、これは非常にうまいというか、ああなるほどこうすればよかったのかと腑に落ちる。別々に描くのではなく、英語でかいて、その横にルビという形で日本語を書く方がよろしいのではないか?

蜘蛛の糸

 作中で最も感動した場面があって、それは本筋とはほとんど関係ない、慌てふためく人類の一ケースとして語られたにすぎないところなのだが凄く印象的だった。核がぼこぼこと世界中に落ちている中、首相官邸から偉い人々がたった二機のヘリコプターに我先にと突っ込んでいくところだ。結局オチも蜘蛛の糸と同じように、ヘリコプターは二機とも墜落してしまうのだがそれはもう凄まじい展開であった。警察は本来警護するのが役割なのだが、銃持ってるしいけんじゃねえ・・・!? とヘリコプターに突撃するし、ヘリコプターの中に入れないとわかったら尻尾にしがみついたり、さらにはプロペラにしがみつくバカも出てくる。当然動き出した瞬間にプロペラにしがみついているやつらはコマ切れになって飛んでいく。

 明らかに尋常な場面ではない。しかしそれがどうしてかおかしみを持って受け入れてしまうのは明らかに作者がユーモアでもって書いているからであって、茶化すことによってしか酷さを語れないという逆説的な部分も確かにあるのだ。また239〜240Pの、人々が苦しみ抜いて死んでいく残酷な描写の数々も、圧倒的だ。度肝を抜かれる。