基本読書

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マネーの支配者: 経済危機に立ち向かう中央銀行総裁たちの闘い by ニール・アーウィン

これはいいcentral banker物。中央銀行物といえば経済学なんてものがまるでなかった果ての国に経済学を導入して立て直していく物語(実話だが)の傑作であるルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書) - 基本読書があるが、本作は世界中の経済を危機に陥れないためにふんばっている三人の中央銀行総裁たちの物語だ。みないい歳のジジイだが中央銀行総裁なんてジジイになってからしかなれないんだろう。

経済学なんてものをはなから信じていない人もいるが、実際問題ある程度は学問として、再現性のある知識を積み立てていっている。だからこそルワンダに赴いた日本人が国を立て直すことが(その後いろいろあったとはいえ)できたのだし、危機からの立ち直りや危機への予防策が「ある程度は」うてる。一時期経済学についての盲信はいきすぎて「これまでの積み重ねがあればもう二度と危機になど陥ることはない」などと思いあがっていたが、リーマン・ショックの発生により今までの安定は、ただたんに幸運の産物だったのだと冷水を浴びせかけられた。

経済は崩壊するのであり、それは経済学だけでなんとかできるようなものではない。つまり金利を操作したりマネタリーベースをいじることで解決できる限度がある、というのがとりあえず現状の認識であろう。中央銀行ができることなんか、たかがしれている。その枠組の中でどれだけのことができて、実際にどの程度の効果があるのかイマイチわからないところも多いのだが──、中央銀行総裁という立場から、危機に対しては現状把握している手をがしがし打っていかなければならない。そうした苦闘が実に面白い。

ちなみに日本にも当然ながら中央銀行総裁はいるわけだが──、中国の中央銀行にさえ一章かけて触れられているのに、日本の中央銀行総裁はほとんど出てこない上に、ようやく速水優氏に触れられたかと思ったら「デフレを継続させ続けた失敗したパターン」の一例として引き合いに出される、汚名しかない日本の中央銀行総裁は残念しかりではある。今書かれればまた一章付け加えられることになるかもしれない。

 バーナンキは二〇〇〇年一月にこう述べている。「外部者から見ると、日本の金融政策は麻痺しているように見え、それはおおかた自己が招いた結果と思われる。なにより驚くべきは、効果が絶対的に保証された政策以外はどんな実験も行おうとしない金融当局の消極性である」

このバーナンキの言葉は重い。それは実際彼のやり方が打てる手はどれであろうとも積極的に打っていくというものであり、経済学が完璧でない以上それは一〇割打率とはいかないわけだがせめて一流のバッターらしく三割は当ててやろうという姿勢でやってきた人間だからだ。慎重すぎた旧日銀は確かに延々とデフレを継続させるだけで、インフレに転換させることはできなかった(デフレでいいじゃねえかと思うかもしれないがケインズを読むべし)。

もちろんバーナンキがいくら紙幣を印刷しそれで資産を買い入れ市中へ金をばらまいて通貨供給量を増やしインフレ誘発を目論んで、それがうまくいったところで今のアメリカの貧困や失業率が日本より高いのだから(実際には二〇一〇年以降失業率は落ち着きを見せ始めているが)、金を刷ってインフレ目標を決めろという提言も、一面的なものの見方なのかもしれない。

が、少なくとも国民一人当たり総生産が一九九一年から以後アメリカと同じ速度で伸びていたら、日本人の年収は平均で100万円近くあがったはずだった。

中央銀行は金を刷ることができる。それは強力な武器のひとつで実際よく活用されるが、だからといってそればっかりやっているわけではない(当たり前だ)。ギリシャがクラッシュしたとなれば世界の中央銀行国債を買い入れて支えるかどうかを協議しなければいけないし(しかもそれがどう転ぶのか完全な予測なんて不可能だ。)、もし買い入れしなかった場合ユーロは崩壊し、世界はリーマン破綻後よりもっとひどい不景気になったかもしれない。

失業率とインフレ率が高まった時の対応もなかなか難しいものがある。失業率が高いだけであれば通貨供給量を増やしインフレ誘導し事業の活性化をはかり、改善するまでそれを続けると約束をとりつけることもできるが、インフレ率が既に充分に高まっている状況であると一九七〇年台の大インフレのようなことが起こるのではないかと別の検討を始める必要がでてくる。

タカ派は高インフレが常態化すると、物価上昇は賃金を押上それがさらに物価を上昇させる悪循環が起こると主張し、ハト派は現在の経済状況は潜在能力より低い成長にとどまっておりインフレはそれほど脅威ではない(本来の値に戻るだけである)という。どちらの主張にも一理あるように思えるが、正反対の主張がどっちにも理があるようにみえるとのならば、それはようするにどっちも理屈が整っていないということでもある。

そんな状況で打てる手を模索していかなければいけないのだから、中央銀行総裁は一手間違えれば世界的な大不況を招きかねない、少なくとも自国の不況を招くことぐらいはありえる(日本を見よ)なんとも恐ろしい役職だ。読みながら「中央銀行総裁になるのだけはやめよう」と何度も思った。寿命が縮まりそうだ。これを読んでいるみなさんも中央銀行総裁にはならないほうがいいと思いますよ。

ただまあ、実直に戦っている中央銀行総裁には頭が下がる。とりあえず危機から五年を経ていまだに大国の間で戦争はおこっていないし、ギリシャとスペインを除けば国家が破綻しかける例もない。ハイパーインフレも起きていない。これがただの運がいい結果なのか、それとも危なげないながらも舵がとれている状況なのか、いまいちわからないところはあるが、大惨事を回避する為に金の支配者たちがどれだけの奮闘と決断を重ねているのかは読んでおいて損はないと思う。頼りっきりにしている通貨という幻想を安定して保つのも、そうそう楽な話ではないのだから。

余談。中国の中央銀行について

中国の中央銀行がどうなっているのかという解説が面白かった。中国の中央銀行も他国と同じく通貨の創出、龍中、金利と為替政策などなどができる。が、中国の制度では独立した中央銀行というものが存在しない。上層部の決定に従う、その手下としての代表が中央銀行総裁にすぎない。中国の制度では最高権力の座につく人々がコントロール権を握っていて面白いのはそれが為に「大胆な施策を突発的に打てる」という結果につながったと本書では解説されているところだ。

二〇〇八年のリーマン・ショック以後世界が混乱状態にある中、中国は五八七〇億ドルというとんでもない額を使って景気刺激策を打ち出し、金融機関の預金準備率条件を引き下げ、金利も引き下げ、公共インフラへの投資を加速させ、銀行融資の割り当て制度を緩和し、とにかく「もっと金を使えやおらあ!」とばかりに打てる手を片っ端から打ったのだ。

アメリカの危機対応と比べてみるといい。どちらの国家も、景気後退と闘うために金融政策を緩和した。どちらの国も、財政刺激策を実施した。だが民主主義の見難い現実から、アメリカの金融救済法案は政争の道具になった。中国では銀行が政府の支配下にあることで、強制的に融資を実施することができたが、危機で体力の弱ったアメリカの民間銀行は、融資がもっとも必要なときにそれを引き揚げた。それだけではない。二〇〇八年末、アメリカの専門家と学者は、救済資金が無駄なプロジェクトに費やされていると批判し始めたが、一方で中国メディアは強制的に否定的な報道を止められていた。アメリカの努力は、自国メディアによってさんざんにこき下ろされていた。

日本は当然ながらアメリカに近いので(メディアの論調も含めて)「中国、いいねえ」と思うわけでもない。即断即決ですべてを抑えこんでしまうだけの力を持った権力があるというのも、見方によっては有益な場面もあるものだと感心してしまう。『民主主義と言論の自由は西洋文明最大の成果である。だが、金融パニックにおいては、全体主義に利があった。』と書かれているが、舵を取る人間の能力に左右されるわけで、一般化してしまっていいものかどうか微妙なところではある。