基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ムカシ×ムカシ (講談社ノベルス) by 森博嗣

 古くから続く血統、お金持ちのお屋敷、探偵事務所、連続殺人……古典的な道具立てを現代的な感性で解体していくXシリーズ最新刊がついに出た。6年半ぶり。中学生だった子が大学生になり、大学生だった子はとっくに卒業して院生かサラリーマンかニートか自営業者になり2年も働いてそろそろ仕事にもなれたなあとか言い出す期間が経ってしまった。その間僕は大学生からサラリーマンになり仕事を変えている。

 まあ随分期間があいたものだが、特に違和感もなくするっと物語に入っていくことができる。椙田、真鍋、小川といったおなじみの面々にあえるだけで嬉しいですね。そして毎度のことながら、今回もいろいろな要素が盛り込まれている。真鍋くんがなかなか危ない目にあったり(何がとはいわないが)、小川さんは小川さんで相変わらず感情豊か、椙田さんはVシリーズの頃からブレることがない。

 ネタバレせずに紹介するのはもうやめて、ここから中味について触れていっちゃいますよ。いくつかポイントをピックアップするなら、「価値とはなんなのか」だったり、何のために人を殺すのかだったり、あと単純に警察の有能さだたり……。一つの読みどころは、真鍋くんが永田さんに押されまくっているところだろうか。あれは読んでいて面白かった。

真鍋くん

 さあ、しかし実際に同じような体験に会ったわけではないけど、そう親しいと認識しているわけでもない相手に、非常識な時間に家まで押しかけられるというのは恐ろしいものがあると思う。なにしろ相手はこちらにそうそう好意を抱くとも、抱いているとも確信が持てない相手であり、23時近くにDVDを借りて、家にお泊りの連絡まで入れて着ているのだからまあ状況から考えてほぼそういう意味なんだろうかと思っても、怪しいこと極まりないしなかなかどうしようもないのではないか。

 「遅い時間に二人っきりになったら、あとは流れでお願いします」みたいな状況は、大学生以後ぐらいだとむしろ当たり前だとも思うが。今回のような例はさすがにちょっと突飛だったぶん裏を勘ぐってしまうような状況である(極端な話色仕掛けで脅されるんじゃないかみたいな)。とにかく人間間のやりとりというのは、相手の考えていることが100パーセント伝わるわけではない為に、読み合いが発生するものだ。

 ほとんどの場合は定型文や「常識的なやりとり」のような一般化されたプロトコルに沿って展開されるので、あまり深く考えることもなく大勢の人間とコミュニケートすることが出来る。その一般化されたコミュニケーション・プロトコルから離れた時に、何を考えてどう行動するのかは、個々人の個性の発揮しどころというか、小説を読んでいる時の一つの醍醐味ではあるよね。最後の小川さんと犯人が同じ部屋にいて感情が高まっていくところとかさ。

 しかし、真鍋くんと永田さんはお互いまんざらでもなさそうだし、S&Mシリーズから続くこの長大な世界観ではじめてまっとうに恋愛してくっついてしまいそうな気がするぞ。二人共ちょっと変だけど、でも普通だからなあ……。真鍋くんの戸惑いっぷりは面白かったが、次巻以後どうなるんだろう、気になる……。

警察は有能

 事件はあっさり解決されてしまった。なんかもう、どうせ警察が解決するんだろうなあ……と思っていたから、途中の捜査状況がこと細かく書かれているところとか真剣に読む気にならない。本当に罪を逃れたかったら絶対に警察を呼び寄せたり、ミステリとしてありそうな派手な事件にしたら絶対駄目なんだよね。警察に殺人事件だと認識された時点ですでにほぼアウト、さらに道具立てが派手だったりしたらヒントが残りすぎる。

 今回も事件が派手になった結果、あっという間に解決に。それ以前の問題で、一族を一人一人殺していったら犯人候補が狭すぎる。まあ、それは仕方がない。元よりバレずに逃げおおせようという思考もない状況下での事件だ。

何のために人を殺すのか?

 本文中で何度も「金の為に人なんか殺すかなあ?」という問答が繰り返される。実際、一昔前のミステリなら金が殺人の動機になることも多かったが、今ではもうそうした動機はリアリティがなくなっているだろう。ミステリに限らずハリウッド映画で大きな事件を起こす目的が金だったりすると「金が欲しくてそんなことするかあ?」と思ってしまう。ダークナイトでジョーカーのような悪役があそこまで鮮烈に描かれてしまうと特に。やっぱり今、リアリティのある動機となると個人的な思想ってのがいちばん「ありそう」になっちゃうな。あとは納得感が薄くても「恨みとかいろいろあってついうっかりやっちゃった」ってやつか。

名探偵なんて現実にいない

 作中にもあったけど、「大泥棒」と言われた人はいても「名探偵」なんて現実にはいないんだよね。あの会話は面白かった。ああ、たしかに、名探偵なんて言われる人は知るかぎりではいないなあ……。しかしいない存在がフィクションの中に描かれるというのは、ようはそれは人々の心のなかで望まれている存在だからこそで。

 ヒーローみたいなもので、人を惹きつける存在である名探偵をわざわざ排除している本作がそれでも読むに耐えうるエンターテイメント作品になっているとしたら、「名探偵」を使わずに、情況証拠やそこら辺の普通に起こりえる雑談をかきあつめて、謎を解体していくわけであって、それを自然に書いていけるところがやっぱり技術なのかなと思う。

何に価値があるのか

 「価値」をどこにおくのかというのが話の一つの軸になっている。たとえば女性は若いほうが「価値」があるとされる。だから歳をとってもなんだか不自然に若く見えた方がいい、若いですねということがお世辞になる。美人すぎる○○なんていうように、美人であることが既に技能のひとつであり、美人であることに加えて何らかのプラス要素があると相乗効果的に評価されるようになっている。

 もちろん、人間の価値は、それだけで決まるものではない。見た目とか、仕事とか、年収とか、もっといろんな評価軸があって、いろんな場面での価値がある。でも世間での評価を必要とする願いもあるわけであって、そこに合致しないというのはちょっときついよな、と思った。たとえばアナウンサになりたくても、ある程度以上容姿が整っていないと、やっぱり現実的に厳しい、となった時に、アナウンサになることが生きがいでずっとがんばってきたんです、という状況で「容姿がちょっと……」と否定されると、やっぱり「人生そのもの」を否定された気分になってしまうんだろうかな、とか。

 そういう人に向かって「いや、あなたの価値はそれだけではないし、もっと他に価値が有るのだ」といっても、やっぱりあんまり効果があるとも思えないな。価値をどう定義するのかにもよるしね。結局、言葉なんてなかなか肉体にまで作用しないからなあ、死にたいと思っている人の死にたさをどうにかするのは、難しい状況が多いように思う。それよりかは、たとえば犬だったり、猫だったりをぽっと周りにおくだとか、引っ越しをするだとか、そういう「状況を変える」ことの方が役に立つのではないだろうか。

 話がそれてよくわからなくなってしまったが。「価値」についていろいろ考えるところの多い話だったね。特に何か価値をめぐる明確な問題があるわけでもないから明快な答えが出てくるわけでもないけれども。昔ながらの道具立て、舞台を現代の(というか森博嗣さんの)リアリティで描いたらどうなるかが読みどころの一つだけど、本作もそれが遺憾なく発揮された一作だった(強引に締めた)。