ドーキンスといえば『利己的な遺伝子』の著者として知られ、今だと『神は妄想である』などでであまりに激しすぎる切込みをかけたりして、歳をとってなお精力たくましく活動している生物学者である。本書はそんなドーキンスの自伝であり、人生の転機ともいえる『利己的な遺伝子』出版までが語られた、自伝のPart1だ。Part2は現在執筆中らしいので、訳までのタイムラグを考えると数年は待たされそうだ。
自伝を書くような特別な実績を揚げた学者は、どうにもその家系や、幼少期の体験にその後の人生を決定づける出来事が語られるように思う。ところがドーキンスの場合おもしろいのは、アフリカで幼少期を過ごす両親共に自然科学にのめり込んだ人間(父親は植物学者)だったにも関わらず、彼自身は外に出た生物の観察よりも、ずっと家に引きこもっての読書の方に興味を惹かれていたことだ。
もちろん何の関係もないということはありえないだろうが、人間の人生はそうそう単一の要素によって決定されるものでもない、とはいえるだろう。実際ドーキンスも最後の、総括的な章で、アフリカで過ごしたこと、イギリスに渡ったこと、学校が男子校だったこと、一つ一つ影響を与えたかもしれない要因をあげていけばきりがなく、そのどれかがズレていれば人生は異なったものになり、本など書いていなかっただろうと書いている。
そらそうだよなあ。結局事後的に振り返ってみるから、点と点をつなぎあわせられるのであって、別のルートをたどっていたらまた別の線がひかれるだけだ。人生なんてしょせん今こうした形になっているのは偶発的な事象の積み重ねでしかないのだというドーキンスのこの達観──ともちょっと違うが、人生への認識はこの自伝全体にわたっていて、その分統一感みたいなのは薄れてしまっている。「この話、いらなくない? 祖父さんの話なんかどうでもいいんだけど」みたいな。自伝なんて全部そんなもんだろうといえばそうなんだけど。
幼き日のドーキンスが熱中したのは言語学であり、後に生物学者としてのキャリアを歩みだしてからも情報科学に熱中して言語を一つ創りあげてしまうほど精通してしまうなど、どちらかというと実験科学的な、引きこもって情報の流れを考え、構築していく能力に向いていた人間なのだろう。そして言語へのこだわりと、幼少時から好んでいた詩への造詣などの文章能力があいまって、利己的な遺伝子が書かれたのだし、神は妄想であるというような本を書いて世界に一大論争を巻き起こしていった。
自伝の面白みとはやはり一人の一生の時間スケールに沿って、出来事の一つ一つを点検していくところにあるのだろう。人生どん底の時もあれば、絶頂の時もあるというシンプルなその事実は、まだ道半ばである人間にとってはある種の慰めにもなる。そしてやっぱり人生ってのは、点と点が最後には結ばれるようになっているんだね、となればひとつの人生を総括し、羨ましがられながら幕を終えるには上出来というものだ。
たぶんドーキンスに何の興味もなく自伝を読む人もいないだろうから、注意書きも必要ないと思うが、ドーキンスの本を読んでそれなりにこの科学者のものの考え方に興味を持っている人間でないとあまりおもしろくはない。家族の話、幼少期の話なんか読んだってしょうがないだろう。おもしろこぼれ話がそうたくさんあるわけでもないし、しかも「1」、まだ半生しか語られていないのだから。
おもしろこぼれ話といえばひとつ笑ったお話があった。最後にそれを紹介して終えよう。利己的な遺伝子をドーキンスが出した後、日本のマスコミがインタビューにやって来た。ディレクターはたどたどしい英語で(通訳はまったく情報を伝達できなかった為機嫌を損ねて追い返された)、「タクシーに乗っているところが撮りたい」と言ってきたのだという。
ドーキンスが困惑して、なぜそうするのかと質問したところ、「あなたは進化のタクシー理論の著者じゃないんですか?」と答えられたのだという。これをドーキンスは日本語の翻訳者が「ヴィークル」を「タクシー」と訳したに違いないと推測を述べているが、実際の翻訳はキチンとヴィークルになっているので、これは日本のマスコミがよくわかっていなかっただけだろう。
この手の翻訳ノンフィクション読んでいるとちょくちょく「日本のマスコミにこんな変なことを聞かれた。」というお笑いエピソード要素として盛り込まれることがあって、笑えるのはいい。笑えるのはいいが、日本のマスコミが日本だけで通じるようなノリ、論理を外に持ちだして困惑させている(書かれているよりもっとたくさんの件数があるのだろう)と思うと、かなり残念な気持ちになる
好奇心の赴くままに ドーキンス自伝I: 私が科学者になるまで
- 作者: リチャードドーキンス,Richard Dawkins,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2014/05/23
- メディア: 単行本
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