ゆるふわな絵柄を身にまとい、起こる事件はどれも超常現象、超常テクノロジーに支えられめちゃくちゃな事態に発展し、語り手である少女は翻弄される。ただしあらゆる要素が軽い、ユーモアあふれる文体に包まれている。文体と絵柄によりかわいく、ゆるく包んでいたとしても中身を書いているのは『ウィンドウズ用アプリケーションソフトに使用されるテキスト・データの作成』、俗に言うエロゲーのシナリオライターを本業とするいいおっさん田中ロミオである。
そんないいおっさんだが数々の名作、世に受け入れられない変人・狂人やドス黒い人間の悪意を書かせたら天下無敵、根本的にSF思考の男に、かわいい女の子の語り手、妖精さんがいるふわふわとした世界観を組み合わせた結果よくわからない融合を遂げたのがこの『人類は衰退しました』シリーズである。超常現象が起こり、それに巻き込まれ、解決したりできなかったりする、金太郎飴的にいくらでも続けていける現代のドラえもんとしての地位を期待されていた『人類は衰退しました』シリーズもついに完結である。完結したのでこのレビューは総評的な位置づけのものとする。
全9巻。実際にはこの後短篇集が(本編が短篇集のようなものだが)出るらしいので巻数は経済的な要請にしたがってある程度までは伸びていくと思われるが、この世界はひとまず一件落着、いろんな謎が明かされて、最後はついに月にまで唐突して、世界の謎がぱんぱかぱーんと明かされて、というかほとんど勝手に解明して、終わった。完結。感無量。ブラックかつ衰退が迫っているというのに朗らかな安心できる世界、やわらかな、ユーモアたっぷりな文体、既存のアイディアも現代風に、わかりやすく調理する発想、クレバーに現実に起こっている事象に理屈で対処していく女の子も、魅力的なキャラクタ描写で新しかった。
完結に至るまでのあいだいろいろあったものだ。『人類は衰退しました』は途中で絵師が交代したり(割とよくあることなので特に気にもならないが)、アニメ化されたし(出来は良かった)、別で出した単発の作品が映画化されたし(AURA〜魔竜院光牙最後の闘い〜。映画はみていない)、本業であるエロゲーも『Rewrite』を出したし(エロゲーじゃない。出来は……悪くはない。悪くは……システムがひどいが……あとシナリオの調和も……だがMoon編は最高だ! エクセレント!)。
いろいろあった。いろいろ出していた。しかし、家族計画で擬似的な家族を描き、CROSS†CHANNELでループ物の金字塔を築き上げ、最果てのイマでエロゲー屈指のシステムまで巻き込んだSF描写をやってのけ、あらゆる作品でいじめを含む人間の悪意と、それを単に「悪」であり「敵」と片付けない人間への諦観、決して善ではない人間や、変人、狂人がそれでも良い人間になりたいと願い行動に移した時の、何かしらの達成ををいてきた田中ロミオという作家の幅広い作風──。
これは単純なフォーカスの使い分けといったほうがしっくりくる気もする。クローズアップした人間同士のやりとりと、ロングショットとしての組織のいざこざ、社会、国同士のいざこざ、さらには未来から過去へと行き渡る人類史、文明史的な視点、これを縦横無尽に使い分けることが出来るのが田中ロミオの天才性ではなかったか。人類は衰退しましたという作品が始まってからも様々な媒体で仕事をしてきた田中ロミオだが、田中ロミオの天才性が十全に発揮されたのはやはりこの『人類は衰退しました』シリーズだったのではなかろうかと今読み終えると改めて思う。
いろいろ出てきたがこの作品がここ近年では最も田中ロミオらしい、田中ロミオ成分がつまった、縦横無尽にあちこち枠を広げまくったシリーズだったと僕は思う。何よりもこれはSFだった。SFマインドに溢れていた。見たこともない概念、種族を科学的整合性のうちに描き、我々の現実に対する世界認識を一変させてしまうのはSFの醍醐味だが、この『人類は衰退しました』シリーズは全巻かけてそれをやったともいえる。
後ほど解説を加えるが数々のSFネタに加え、いじめネタを筆頭に、田中ロミオ作品でも一貫して書かれてきたのは、言葉の持つ不完全性から起こるどうしようもなすれ違い、あるいは個体間の違い、端的にいって社会から爪弾きにあうような狂人共と、それでもそんな狂人共を抱えながらぐるぐると回りつづけている人間社会とのわかりあえなさだったようにも思う。根底にある「ひとりぼっちは寂しい」という感情まで含めて、『人類は衰退しました』シリーズでテーマは繰り返されていく。何しろ語り手の女の子の職業は「調停官」なのだ。
組織間のやりとりでも個人間のやりとりでも、現実は厄介なしがらみが多く、快刀乱麻を断つごとくスパっと割り切れることばかりではない。かつて赤木シゲルが「なんでみんなもっとスカッと生きねーのかなあ」とぼやいていたが、スカっと生きるのには、現実は摩擦係数が高すぎる。妖精さんという超常現象発生装置がありながらも、本作はあくまでもそうした人間同士のしがらみをハサミでぶった切るのではなく、丁寧に解きほぐしていく、それが調停官の役割だからだ。
簡単なあらすじ
今更のような気もするが、この『人類は衰退しました』シリーズの概略を説明していこう。タイトルの通り人類はとっくの昔に(数世紀前)衰退しており、今では妖精さんと呼ばれる種族が新人類と国連に認定されのさばっている(ただし人類の殆どの人は出会えない)。この妖精さんたちは魔法チックな能力で人間が集まっている場所、楽しそうなこと、糖分などに応じてなんでも作ったり壊したりすることができる。この妖精さんが超科学力によって起こすトラブルだったり、妖精さんはあまり関係なく単純に人類が起こすいざこざだったりを調停官たる「わたし」はだいたい面倒くさがりながら、時には命の危険を感じ、中間管理職の悲哀を背負いながら解決していく。
アルジャーノンに花束を盛大にパロって徐々に知能が失われていくお話を書いたかと思えば(ダニエル・キイスさんお亡くなりになってしまいましたね)、人工知能をアイディアにつかった『たったひとつの冴えたやりかた』パロもあるわ、時間SF、拡張現実ネタ、ループネタがあったかと思えば無人島に放り込まれてそこでリアルCivilizationじみた文明の勃興を描いてみせたり、衰退した人類らしく古代文明の遺跡探検があったりする。
アニメーションを作る話、同人誌をつくる話のような現実パロ、サブカル方面ネタも豊富で、時には超常現象を離れていじめられていた主人公の暗い過去が語られ、ある時はモンスターペアレントと対決し、ある時は失われた文明、遺跡の中を探検し、最後にはなんと月にまでいってみせる。まあ、だいたいなんでもありということだ。
衰退した世界の描写
読みどころの一つは衰退していく世界の描写だろう。しょっぱなから主人公は教育機関を終え調停官として村に着任するところからお話は始まるが、教育機関は実質その代で終了となり、あとは各家庭ごとで教えられることになっている。文明はすでにほとんどが失われていて、残ったものも一度壊れたらもう修理さえ不可能であろうというものばかり。ロストテクノロジーに取り囲まれている。
どうしてか人は廃墟、散り、去っていく、儚いものに惹かれるものだ。桜をみてみるがいい。ほんの短期間綺麗に咲くだけで、あとは見てもなんも面白くないただの木なのに、みんなありがたがってそれを受け入れる。破壊、刹那の美学のようなものがあるのかもしれない。なくなったあとではじめて、今まであったことの素晴らしさ、その成り立ち、必要性がわかる。普段生活していると意識しないありがたみのようなもの、そしてまたどうしたって存在している「文明があることの不利益」に思いをはせるようになる。
シビアな現実と、現実を包むユーモアにあふれた文体
衰退していく世界というとどうしたって悲壮感を帯びているものだ。「ああ、もう終わるんだな」という絶望だったり、「あれもこれもなくなってしまうのだ」という悲しみ。しかし本作の世界観は「先細って、絶滅に向かうだけの悲壮感」だけを描くのではなく、どちらかというと牧歌的な、衰退はしているけれども、まあそれも含めて今はそれなりに楽しく過ごしているよねみんな、あははと描かれていく。絵柄だけでなく文体までユーモアたっぷりに、現実に進行している悲惨な事実を笑いで覆い尽くすように進行していく。たとえば下記は9巻から一行だけ引用したものだが、シビアな話なのに語り口は笑える。
国外の過激な原理主義と貧困が夢のコラボレーションを果たして、促成テロリストが誕生したのです
CROSS†CHANNELで主人公の黒須太一が通常のコミュニケーションをとることができず、すべてをユーモアで包みながらでしか会話を進められなかったように、家族計画で寛が悲惨な現実を覆い隠すように笑いを家族に振りまいていたように、この作品では文体(というか語りか)でやっているようにも思う。しかし根本的に違うのは、この『人類は衰退しました』の現実は、実は我々の知るところの、奇跡なんて起こらない、起こることしか起こらない現実ではなく、奇跡の起こる現実であるところだ。
何しろこの世界には妖精さんがいるのだから。奇跡を起こすことができる存在がいるから、語り手が起こす見せかけだけの、包みとしてのユーモアだけでなく、いじめられたらいじめられっぱなし、悲惨な親に当たった子供の人生は無茶苦茶になってしまう、無残に破れ散っていくだけの「我々の知る現実」とは全く別の「奇跡が起こる現実」がここにはある。この世にどれだけ悲惨なことが起ころうとも、妖精さんは少なくとも死ぬことはないと保証してくれる。それはとても優しい、人生への無条件な肯定に満ちた物語だ。
半ば自虐的に田中ロミオは自身の出した作品は評価はどうあれ「売れない」と嘆いてきたが、ライトノベルという分野に進出した途端アニメ化、劇場アニメ化と調子づいている。収入だけで言えばかつてゲームで稼いできた額をとっくに塗り替えているのではないかとも思う快進撃だ。『エロゲー』から『コンシューマ』へ移植をすることとはまったく別次元のやり方として、そもそも最初から物語の形式を一般向けにフォーマットした世界観でようやくその実力が世間にひろく知られるようになったといえるのかもしれない。
難しいことを簡単に書く、パロディの力
過去の作品、アイディアをパロって、現代風に軽く演出してみせる技術が凄い。『たったひとつの冴えたやりかた』も『アルジャーノンに花束を』も新しい古典になってしまって今ではなかなか自分から手に取らないかもしれないけれど、異種族とのコミュニケーションや知能が失われていく恐怖感、知能の水準が変わることで世界認識のレベルも変わるなど、エッセンスを抽出して蘇らせている。
また現実に起こっている社会問題や技術を軽妙な語り口で見事に描写してみせるのも魅力の一つだ。9巻でいえばさっき引用した部分の「国外の過激な原理主義と貧困が夢のコラボレーションして促成テロリスト」もそうだし、月の行く方法として未来テクノロジーが出てくるのだがその原理についても非常に簡単に書かれて、かつわかりやすい。たとえば八巻は人が出て行ってしまった村で、アニメーションを作って村起こしをしようというトンデモな展開だが、村人が出て行ってしまった理由は援助によって資金がじゃぶじゃぶ注ぎ込まれて働かなくてもよくなった結果誰もが自堕落になり、未来が想定できなくなってしまったことに起因する。
援助によって住民が働かなくなるというのは現在の貧困国への援助でもたびたび話題にあがるグローバルイシューであって、本作においては相変わらず現象発生は局所的な村の話だが現代社会に照らし合わせられる普遍的な内容だ(適当なこといってるが)。「望むものが与えられると働かなくなる」問題はその後の話にも関連していて、拡張現実によって望むものがすべて与えられる世界はユートピアかディストピアか? という問題につながっていったりと、根が深いというか構造が積み重なっていく。
7巻の【妖精さんたちの、ちいさながっこう】では試験的に3人の子どもの教師役をするものの、問題児達の精神にたいしてどこまで教師が踏み込んでいいのかという学校教育の難しさ、また家庭の事情があまりよろしくない生徒について、どこまで教師は家庭の事情に踏み込んだらいいのかというジレンマなど、そのまま書いたら重たくて重たくていかんともしがたい問題をあくまでもライトに、しかし誠実に扱ってみせる。
世の中実際楽な問題ばっかりじゃねえなあ……と思わず嘆息してしまうような、簡単には解決できない問題で溢れている。それでもいつでもどこだって、田中ロミオはその楽じゃない問題についてスカッとするよりも泥臭く、しかし誠実に対応する手練手管を書いてきたわけじゃないですか。この世界には妖精さんがいる、その救いもしかし、「特定の条件下でのみ起こりえること」であり、単なる「何でも装置」ではない。その根本的なからくりが明かされる最終9巻において、ああやっぱりこれは奇跡の体裁をとっていながらも、あくまでも田中ロミオ作品としてまとめられうるものなのだと安心したのだった。
ブラックで、めちゃくちゃで制御不可能なことが次から次へと起こっていく。文化は衰退し人間は減っていき、でも世界と人間自体はとても優しくて、とても楽しく、面白く、美しい世界なのだった。妖精の謎、人類史の謎が明かされていくにつれてああ本当に終わってしまうのかこの物語は……と呆然としながらも読み終え、完結したのがいまだに信じられないぐらいの楽しさでもう感無量だ。
諸君、田中ロミオのエッセンスはこの『人類は衰退しました』全9巻の中にしっかりと刻み込まれている。田中ロミオファンも、そうじゃない人も、読んでないならばみなみな読むといい。あらゆる要素が詰め込まれた、びっくりどっきりおもちゃ箱のようなシリーズだから。※余談。ライトノベルもいいけど、新しいゲームもやりたいんじゃーーーーRewriteだけじゃ満足できないんじゃーーーーーエロゲーで貯めた資金でドイツに城を買うんじゃなかったのか!? もうなんでもいいから新作が読みてーーーーーー……ってことで田中ロミオ先生の次回作に期待しています。
- 作者: 田中ロミオ,戸部淑
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9巻読んだ人用(ネタバレ)
いやーーー面白かったですねーーーーー。面白かったでしょう? 一度読んだあと思わずもう一回頭から読み返してしまうぐらい面白かった。人類史をたどりながらところどころ気になるところでフォーカスしてブラックな日常が描かれるのがイイ。虐げられる子供がいい。そんな虐げられた子供や人類が、妖精さん(Ver0)によって救われるのもいい。徐々に衰退していく世界の前、科学絶頂時代の人類描写がいい。軌道エレベーターの描写なんてもうサイコウですねえ! ナチュラルに「わたし」が悲しみで常軌を逸しているとみて、茶番じみた説得に終始するのではなく全力で物理的に彼女の妨害をするクレバーなYとその仲間たちがいい! そしてやっぱり最後には助けに来てくれる助手くんとYとその他大勢がいいねえ!
何よりここまでのネタばらしが素晴らしい。なぜ、衰退していく、シリアスな事態のはずなのにこんなにのんびりしているのか? なぜ、あれだけ絶頂期にあった文明はすっかり姿を消してしまったのか? 塵となるにも数百数千年の時間が必要なはずなのに、こうもあっさり消えてしまったのはなぜ? 助手くんが喋らないのは、彼ら彼女らにそもそも名前が存在しないかのようにふるまっているのはなぜなんだ。そう、すべては認識の問題である。これまでさんざん自意識ネタ、知性ネタ、人工知性ネタなどで「わたしとは何か」という認識論を議題にあげてきたのは、やっぱりここへ至るまでの布石だったんでしょうねーーーー。
一度ざっと読んだだけだとイマイチよくわからない人もいるみたいなので一応僕が読んで思ったネタバラシ部分について簡単にまとめておきます。
1.「わたし」含む助手さん以外の人間だと思っていたものは実は妖精から分化したものである。妖精から人間へと変化するものと、人間になった際にとりこぼされたものが演算敵挙動(妖精さん)となってそれぞれ産まれる。
2.助手さんは人間である。ただし認識の仕方が異なる為これまでは喋りも認知されないし、そもそもズレた存在として描かれていた。「わたし」に自分たちの存在にたいする自覚が生まれた為、最後助手さんとの認識のズレが矯正され喋っていることが認識できるようになった。
3.地球に根をはった科学文明がほとんど消えたかのように見えていたのは「認識」の問題であり、実際は地球には科学文明がまだまだ残っている。妖精さん達には目がなく、周囲は魔法によって知覚しているためそのような「認識」の差異がおこる。「わたし」たちには現実に残っている科学文明は見えていなかった。
4.「わたし」達はしかし自分たちが妖精であった頃、魔法が使えた頃の記憶を有していない。自分たちは完全に人間のつもりでいる。しかし魔法、考えるものに干渉する力は演算敵挙動(妖精さん)として「わたし」達の認識するちきゅう`をもりあげ、創りあげている。
だいたいこんなところですかね。最後のタイトルが『妖精さんたちの、ちきゅう`』と`がついているのはたぶん、「わたし」達が認識している地球が旧人類が築きあげてきた地球とはまた別の認識で把握している地球だからでしょうね。いやあしかしいい大団円、優しい世界でした。あっぱれ! 興がのって7000文字も書いちゃったよ。