基本読書

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有頂天家族 二代目の帰朝 by 森見登美彦

『面白く生きるほかに何もすべきことはない』一行、読み始めたところからああ、この世界に帰ってきたんだと感じる。愛すべき、それぞれ違って阿呆な狸達。前作有頂天家族 (幻冬舎文庫) by 森見登美彦 - 基本読書 から森見登美彦さんも経験を積み重ね、複数のストーリィラインが同時に進行しながらもその事による煩雑さを微塵も感じさせずに、狸らしいやんわりとした着地点に落としこんでみせる。その一つ一つの描き方に、阿呆な、だけどどこまでも魅力的な狸らへの愛情が満ちている。

本作は書名も続いているし、時間軸もそのまま続き物なので基本的には第一作目から読んだほうがいいだろう。Kindle版も出ているし、アニメもあるし、文庫も当然ある。どこから入っても良い。そしてもし仮に第一作目を読む機会があったなら──あるいは第一作目を既に読んでいるのなら、第二作目まで是非読んでもらいたい。三部作であるこの有頂天家族世界だが、第二作目まででいったん、狸サイドの区切りを迎えたように思う。前作からの流れも含めて(まったくの未読の人間でも問題がないように)説明しておこうか。

狸たち

下鴨四兄弟という京都狸界においてその名を轟かせる阿呆な兄弟がいた。母親はのんびり屋で、ただししっかりと子どもたちのことを愛している。父親は狸たちの頭領として君臨していたが、ケタ外れの阿呆でもあった為天狗たちに喧嘩を売って、なんやかんやあり人間たちに狸鍋にされてしまう。京都界隈の一部人間達の間でひそやかに行われる、捕まえてきた狸を鍋にして食べる会合の餌食になってしまったのだ。ケタ外れの阿呆と息子に回想されるぐらいの父親だから、その血の流れる息子たちもそれぞれ違った意味で阿呆共である。本作はサブタイトルに『二代目の帰朝』とあるぐらいだから、実際に帰朝する天狗や狸の「血」をめぐる話と、総括することもできるだろう。

長男は堅物で融通がきかず、好きな相手に自分の気持ちも伝えられない奥手野郎。次男ときたら子供のころからぼんやりとして光り輝く才能をみせることもほとんどない。熱血漢でもなく頼りもない。人のいかぬようなところへふらふらと迷い込んでいき、やらぬようなことをいつのまにかやっている。三男はこの物語の語り手だが素直じゃないわ、到底他の狸がやりそうもないところへ頭をつっこんでいくわ、天狗に憧れるわ人間を真似るわで狸であることの自覚に欠ける。とにかく場を引っ掻き回し騒動を起こすのが得意な狸である。四男はやたらと化けるのが下手くそで、気が弱くかわいそうになってくるような末っ子体質だ。

明確に阿呆と呼べるのは次男と三男ぐらいだが、長男と四男も時としてその血脈に流れる阿呆を発揮させることがある。しかしそもそも阿呆とは何なのか。それはやはり、人(この場合狸だが)がやらないことを、それも嬉々としてやるような輩のことをいうのではないだろうか。人に迷惑をかけたらダメな阿呆だが、人を楽しませ迷惑をかけない阿呆ならば愛すべき阿呆だろう。長男は凄味の欠片もない、ぶきっちょなところがたまらなく魅力的である。そしてそのぶきっちょさは目標を見定めた猛牛のように力強さをみせることがある。次男は常に常道から外れているせいで物の見え方がほかと違っている、万事において頼りないが『しかしそのやわらかな賢さのようなものを、どれほど私は好きだったことであろう。』と三男が語ってみせるようにそこにはゆっくりと伸び縮みして状況に対応することのでいる知性が宿っている。

そんな阿呆共の日常を描くだけではなく、ストーリィラインが存在している。一つは狸世界における指導者を決める総選挙のような制度で長男が亡き父の遺志を継いで当選を目指すこと。ただしこれには因縁深い一家からのケチや命さえ失いかねない謀略が渦巻いておりなかなか簡単にはいかない。もうひとつは各々の狸に存在する恋の行方。長男もそうだし、三男の矢三郎にはかつて許嫁だった海星との間に少なからぬ因縁がある。昔は仲が良かったのに、いつからか海星はその姿を隠してしか矢三郎の前に見せなくなってしまった。しかも事あるごとに矢三郎の悪いところを舌鋒鋭く指摘してくる。影に潜んで、矢三郎のことを手助けしながら罵倒を繰り返す海星がめちゃくちゃ魅力的なのだが……説明が難しいからおこう。そして矢三郎と弁天と呼ばれる美しい人間(のような天狗のような)の間に存在する憧れとも恋ともつかぬ感情がある。

こうしたメインのストーリィラインは第一部が語り終えられた時点では、それなりに事態は進展しているもののはっきりとした決着はついていない。だからこそ第二部、本作まで読んでもらいたいと最初に書いたのだ。第二部が始まってさらにいくつかのストーリィラインが追加される。たとえば狸界に君臨している天狗である赤玉先生と、その息子であり百年だかなんだか距離をとっていた二代目の天狗が戻ってきたことに寄る後継者をめぐった確執などなど。恋愛関係だけでも複数走っている状況でよくもまあこれだけたくさんの話を同時進行させて、なおかつそれがまったく煩雑でなくすっきりとした印象を与えられるものだと思うが森見登美彦さんもそれだけ成熟した書き手となったということだろうか。

選挙をめぐった権力争い、天狗間で行われる苛烈な跡継ぎ争い、狸間恋愛の行方とここまでこれでもかと盛り上げてきた物語がこの二作目にあたってようやくいくらかケリがつくことになる。このあたりのケリの付き方の早さは、さすがの狸といったところだろうか。何しろ言葉を喋り、人に化け社会を構築しているといっても所詮狸である。人間のような通勤なんか存在しないし、世界は家族と、多少の権力欲と、あとは周囲の狸関係とシンプルに構成されている。時がくれば恋愛をし、時がくればあっさりと死んでいく。毛玉の一匹や二匹のこと、そうそう重大なことじゃあありんせんといった雰囲気が物語全体の空気をふんわりと軽くしている。

『ふわふわしていればなんとでもなるわ。だってわたしたちは狸だもの。やわらかいのだけが取り柄なのよ』と作中で歳を重ねた狸がいう。そうとも、もふもふとした狸達、そのやわらかさだけがとりえなのだ。権力争いも、跡継ぎ争いも、恋愛の行方も、どれもがやわらかく、ただしどれも「面白い方向へと」どんどん舵をとっていく。『「波風を立てて面白くするのよ」「波風立てるよ。ずんずん立てるよ。」』というやりとり通り、矢三郎も、その兄弟たちも自身の中に流れる阿呆の血に従って京都狸界を大いに盛り上げ、自分たちの道を切り開いていくことになる。「すまんな、けっきょく俺も阿呆なのだ。」と兄弟の中のひとりの狸がいう。それは他の狸とは、通常考えられる物とは全く別の行動をとるという宣言だ。だがその阿呆の切り開く道は底しれなく格好がいい。

たかが狸、されど狸、やわらかく、だがその中にしっかりとした勇気を抱え込んでいる狸達の姿に、今こうして読み返し、思い返しながら書いていても涙は止まらねえし鼻水も止まらない、こんな陳腐な表現使いたくないがだがそれも仕方がないのだ、だって事実なのだから。そしてまだ物語はすべての禍根を終わらせたわけではない。狸たちの物語は一段落したかもしれないが、まだ天狗が残っている。第三部、『天狗大戦』。coming soon……かどうかはわからんが、いやあ、楽しみになってきた。

有頂天家族 二代目の帰朝

有頂天家族 二代目の帰朝

有頂天家族 (幻冬舎文庫)

有頂天家族 (幻冬舎文庫)