基本読書

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一本の槍──『声優魂 (星海社新書) 』by 大塚明夫

自分のやりたいことが明確に規定できている人間は圧倒的に強い。

それはいってみれば覚悟がキマっているということだから。この道で生きていく、あるいは自分はこれをやる為に生まれてきたのだという強烈な「思い込み」。もちろんかみさまーが上から現れて「お前がやるべきことは、これ!」と指図してくれるわけではないのだから、我々がいかに「自分はこれをやるんだ」と思ったとしてもそれは思い込み以外のものではない。しかし一旦そう完全に思い込んでしまえば、それ以外の要素は人生から徹底的に排除され、その身はただ目標を達成するために研ぎ澄まされた一本の槍となる。こうなった人間は強い。

本書『声優魂』は、役者という生き方を自己に規定しまさに一本の槍のように突き進んできた男・大塚明夫による声優論である。声優論といってもただ声優とはこうあるべきだ、という話ではない。おおまか本書の構成を二つに分ければ、「声優と一般的に職業として思われている物がいかに職業として成立していないのか」をあくまでも現実の現象を例にとって説明していく「声優諦めろ論」。あとは自分の芸歴を振り返りながら周囲とのかかわり合いの中で大塚明夫さんが声優としての生き方について考えてきたことを綴られている。

そこにあるのは自分の仕事への強烈な自負だ。『私より仕事量の多い声優はいくらでもいますが、そのことで危機感を抱いたことはありませんし、これからもないでしょう。私に危機感をおぼえさせるほどの後輩に、どうか出てきてほしいものです。』とまでいってのけて、しかもそれをまったくの本気で思っているであろうことが伝わってくる。声優という人気商売、立場を安定させる絶対の保証などどこにもなく、次から次へと若い人間が現れる不安定な環境。本書の言葉を借りれば三百脚の椅子を、常に一万人以上の人間が奪い合っている状態だ。それでもそこで生きてきたのだし、これからも生きていく、それだけの技術を磨き続けているのだという確信が語られる。

声優だけはやめておけ

本書はキャチコピー的に「声優だけはやめておけ」と大塚明夫をしていわしめるのは何故かと煽り文句もついているが、何故かも何もない。そんなもん業界の中にいる人間でなくても、外から観ているだけでわかることだ。あんなに声優になりたい人間がいて、パイが極端に限られているんだから職業にできるのは覚悟と技量と才能と運が伴わなければ無理だなんて、常識で考えればわかる。若くてちやほやされるかわいい/かっこいい声優、けっこうなことだ。しかしその中で10年20年容姿も衰えて自分より若い人間が次から次へと入ってくる時、生き残っている人間はどれぐらいいるんだろう。それでもなりたい人間が後を絶たないのはやはり自分の能力を過信しているか、憧れが目を曇らせるのだろう。

ただ外から見ていても「実感」のようなものは湧いてこないしその具体的なところはわからないので、そのあたりをきちんと現実ベースで理屈だてて書いてくれるのが良かった。常に競争率が高く失敗する確率が高くつぶしのきかずリターンの少ない「ハイリスク・ローリターン」というのはまったくその通りという他ない。視点として面白かったのは、「声優は、自分で仕事を作れない」ということ。声優の仕事とは声をあてることであり、その為には既につくられたものがなければならない。だから『私達は、ただじっと仕事を「待つ」ことしかできない立場だ、ということです。』 たしかにそうだよなあ、自分で仕事を作れないのだから。自分で仕事を作ってしまったらそれはプロデューサーとか監督とか別の役職になってしまうだろう。

 先ほど私は、声優は少ない仕事を奪い合わなければならないものだ、と書きました。しかしこの奪い合いにおいてすら、我々がすることは「待ち」なのです。店の棚に陳列された商品のように、とにかく誰かに選んでもらわねば始まりません。
 これは多くの声優志望者が見過ごしがちな点ですが、実は恐ろしいことです。誰かが何かを作ってくれなければ──「この作品のこの部分でこれを喋ってください」と頼まれなければ、私たちの仕事は存在しないのですから。

声優・大塚明夫

で、そうした声優地獄めぐり的な話が終わった後は大塚明夫さんがどのようにしてこの道に入って、何を考え、何をやってこの業界で生き残ってきたのかが語られていく。これがまた抜群に面白い。Fate/zeroのライダー、メタルギアソリッドのスネーク、攻殻機動隊のバトー……どれを取り上げても大塚明夫さん以外の適役が思い浮かばないキャラクタばかり。芸歴と共に語られていくシーンはどれも言われてみれば印象深い物ばかりだった。観ているときは映像やゲームに集中しているので声の演技がどうとか何一つ考えないから「おお、凄い!!」と思わなくても、やっぱり記憶には残っているものなのだ。

そしてやっぱり凄まじいのはその覚悟のキマリ方だ。かつて富野由悠季さんは覚悟について『覚悟というのは気合いではなく、毎日毎日階段を上っていくという作業でしかない。これが原理原則です。』と語ったが*1生き方を定めただそこに向けて全力を尽くす大塚明夫さんの在り方はまさにそれだ。

 私は、制作スタッフと仲良くなって、その人づきあいの中から仕事を得る、というようなことをほとんどしてきていません。素材としての芝居をきちんと納品する。そこで評価してもらい、選んでもらう。かっこつけた言い方をすれば、「仕事で惚れてもらう」のが私のやり方でした。

役者として生きる。生きるためには仕事を得なければならない。仕事を得るための手段として、仕事で惚れさせる。そしてその為にできることをやる。「生き方」を決めた瞬間に自分が何をすればいいのかがあっという間にビシっと決まってしまう。結局のところ「やりたいことを見極めろ」ということになるのだろう。ちやほやされたくて声優になりたいのであれば、それでもいい。ちやほやされる為に全力を尽くせ、と。自分のやりたいこともわからずにふらふらとしている人間は大塚明夫さんのようにしっかりと方向を見据えまっすぐに進んでいく人間には絶対に敵わないだろう。

 重要でない、モブに近い役をとりあえずミスなしで言い終える。それが惹かれる演技でなくても、「まあいいや、口パクは合わせてくれるから次もそういう役はまかせよう」とは思ってもらえるでしょう。でもそこで一歩踏み込んだ主張をする。他の声優にはできない演技をしようとあがいてみる。そうしたとき、初めて「ん? もうちょい喋らせてみようかな」「違う役もやらせてみようかな」と思われるのです。

これなんか、なかなか実際にやるのは難しいと思うんだよね。何しろいくらでも代わりのいる存在なのだから、そうそう枠からはみ出ることもしたくない。変なことをして次から使ってもらえなくなったら、それこそ困る。だからとりあえず及第点的な内容で終えたくなる気持ちは十分に理解できる。しかし『それを自分の方から放棄して、及第点を取ればいいという考え方になっている人には、じゃあお前さんはどこで主張するんだい、と思います。』も、まったくその通りなのだ。圧倒的に正しい。代えのきく存在から代えのきかない存在になる為にはそれを証明し続けなければならないのだから、手を挙げ枠をはみでなければ始まらないのだ。

そして大塚明夫さんは、多少の葛藤や妥協もあれどその道を歩んでいった人間である。だからこそ言葉の一つ一つが深く刺さってくる。大塚明夫さんは「はじめに」で、『多少の厳しい物言いはご容赦ください。あいにく、芝居はできても嘘はつけない性分なものですから。』と書いている。その宣言通りに、厳しい現実も、自分の覚悟も、一切の偽りなくドストレートに語っていることが伝わってきて、内容の正当性がどうだとか、声優がどうだとか以前に、大塚明夫という一人の男の生き方に完全に魅了された。

声優魂 (星海社新書)

声優魂 (星海社新書)