基本読書

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ヒーロー、ヒロインはこうして生まれる アニメ・特撮脚本術

基本特撮系の脚本家同士の対談集だけれども、ほとんどの人はアニメ脚本もやっている人達だ。「物凄いオススメ! コレは凄い本だ!!」という物ではないけれども、実写なりアニメなりの脚本家同士の生の会話が読みたい人にはこれ以上ない本だろう。実写とアニメの現場の違いとか、制限のキツイテレビ側の養成にいかに脚本家として答えるのかという業界裏話っぽい話も面白いので単なる物好きでも充分たのしめる。僕なんか特撮なんかろくに興味ないというか、見たこともないけど面白く読めたしね。

対談している人達を紹介代わりに目次を引っ張ってくると次の六人だ。⇒第1章 平成仮面ライダーとは何か?――井上敏樹×虚淵玄 第2章 東映特撮と『セーラームーン』をめぐって――小林靖子×小林雄次第3章 平成ウルトラをめぐって――小中千昭×曾川昇 みなベテランの方々。虚淵玄さんはそういう意味ではキャリアは一番浅いけど、その分大ベテランである井上敏樹さんからいろいろ聞いていてバランスはとれている。

制約の話

最初にあげた幾つか特徴的なところをピックアップしていくと、虚淵玄さんは当時仮面ライダー鎧武の脚本を最後まで上げ終わったばっかりで大きく反省しているのが(失礼かもしれないが)面白い。一年通してほぼ一人で脚本を上げることを求められ、実写初挑戦で、自分の大好きな仮面ライダーでもあるという極度のプレッシャーがかかる状況だったんだろうなと。井上敏樹さんに「何を反省してんの?」ときかれて『書いてる間、プレッシャーが常にかかっていたので、道に轢かれかかってる子猫を助けられなかったのをいまだにすごく後悔しているんですよ。あの猫、見捨ててよかったのかなって……。』なんだそれ笑 ちょっと病んでないか。

反省しきりな虚淵玄さんに向かって井上敏樹さんがひたすら豪放洒脱なのも面白いところ。視聴者の声なんか無数にあるんだから、そんなのをいちいち聞くのはプロじゃないよ。とか、なかなか言い切るのも難しいことをガツっというのは気持ちが良い。

あとは、制約の話がなあ。こればっかりは画面を見てるだけでは見えてこないところだから「ふうん、やっぱけっこう制約がキツイんだな」と他人事のように読んでいて思った。たとえば仮面「ライダー」なのに、バイクのシーンが道路交通法とかその辺の制約で撮れないとか。ライダーなのにバイクに乗れないって、それはもう仮面ライダードライブになるよな。車だったらいいのかって話はあるが。「え、そんなもんが禁止されちゃうの?」みたいな事もいくつかあったりして、そこまで禁止されて脚本が酷評されたら可哀想だよなあと思うことばっかりだ(艦これアニメとかでも随分と脚本家が叩かれてたけど)。

だいたいフルーツでギャグならまだしもシリアスで一年間通してストーリーの展開する仮面ライダーをやれっていう段階でムチャぶりがすぎるからなあ。いったいどういう会議で決まるんだろうか。もちろんおもちゃとかグッズ販売ありきの映像作品だから、そうしたおもちゃ側の要請に従って降りてくるのは当然の部分ではある。あるんだけれども、何がどうなったらフルーツが出てくるのかさっぱり意味がわからない。まあ、決定して仕事をふる側はフルーツで仮面ライダー創るわけじゃあないからなんだっていいんだろうけど。井上さんに「またやりたい? 仮面ライダーの脚本」ときかれて「うーん……(笑)」と即答できない時点で随分な現場だったんだろうなあというのが想像に難くない。

別の対談でもそういう話は山盛りで、小中千昭×曾川昇対談の中で曾川さんが『SAMURAI DEEPER KYO』っていう侍人斬り漫画のアニメで「人が人を殺す絵はやめてくれ」って言われた話とか、笑ってしまう。人をざっくざく殺していく漫画なのにそれが出来なかったらまともなアニメにできるはずがない。しょうがないから敵が全部剣を持った妖怪という設定に変えたらファンは当然怒るしどうせえっちゅうねんという。なんだか映像表現における制約の話だけで随分書いてしまったけど、まだまだあるんだよなあ。

実写とアニメの違い

みんな実写とアニメをやられている脚本家の方々なので、その違いの話もたびたび話題にあがってそれも面白いところの一つ。たとえば実写とアニメで書けることが随分と違うこと。食事シーンも実写だと描きやすいけど、アニメは手間だけかかって絵が地味になるとか。確かにアニメに出てくる食事シーンって少ないか、もしくは極端にオーバーな記号表現にされていることが多いからな。今は食事アニメとかもやるようになったけど。あとはアニメだからって何でも書けるかっていえば、宇宙ステーションが出てきて〜なんていったって「宇宙ステーションをリアルに書ける人なんかいないから無理だよ」って当然制約もある。

そういう制約の話はやっぱり実際に日々苦闘されている人達の話だからリアリティ(納得感)があって、みてるだけじゃ想像がつかないところに注目してくれて良いな。東映のプロデューサーはホンの良否を判断して理詰めで直しを要求してくるけどアニメのプロデューサーは脚本の責任は持たずに初号でいい絵がきちっとあがってることに責任を持ってるとかね。だから脚本家からすれば東映の仕事は最終的な責任を負わなくていいから楽なんだと。直しをきちっと入れてくれるから、良い悪いの判断を他者に委ねられる部分があるんだろうね。その気持は確かによくわかる。

とまあいろいろあげてきたけどめっぽう面白い本だ。もちろんどのようにして脚本をあげるのか、悪役の描き方とか、もっと「それっぽい話」もあるんだけど、そんなことまでだらだら書いても仕方がないからこんなところで。少なくともこれを読めば物凄くつまらない作品であっても脚本家だけを攻めようと思うことだけはなくなる本だ。

ヒーロー、ヒロインはこうして生まれる アニメ・特撮脚本術

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