基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ティアリングの女王 by エリカ・ジョハンセン

跡継ぎの石と呼ばれるネックレスを持ち、人知れず森の奥で歴史学者と元近衛兵に育てられていたが、19歳になった日にティアリング国から近衛兵の迎えがやってくる。今は亡き先代女王の娘、次期の国を率いる女王として──という冒頭の流れだけを見ると「おいおいおいおい、いまの時代にまともに眠れる森の美女かなんかをやるつもりかよ、それはないんじゃないの」と思っているが読み進めていくうちに「あ、これは全然ちがいますね……」と痛感させられる。ぼんやりとした世界観だと思っていたらその背後に流れている歴史が顔をみせ、単なる類型的なお嬢様だと思ったら芯が強く苛烈な怒りを携えた、新しいヒーローとしての女王へと変貌していく。

ティアリングの女王 (上) (ハヤカワ文庫FT)

ティアリングの女王 (上) (ハヤカワ文庫FT)

ティアリングの女王 (下) (ハヤカワ文庫FT)

ティアリングの女王 (下) (ハヤカワ文庫FT)

中身は完全にファンタジィではあるのだが、実際のところSFといっても良いような背景を持っているし、一面的に切り取ってみれば日本の異世界ファンタジーのようにも読める部分がある。その一部を紹介していこうと思うけれど、まず面白いのがこの世界が明確に我々の時代との相関を保っていることだ。この世界では渡りと呼ばれる事象が起こって、科学文明の大半は失われたけれども人間といくらかの物資、技術はこのファンタジックな世界に転送されているようだ。だからこの世界には当たり前のように指輪物語が存在しており、ハリーポッターも存在しているのである。ただし印刷技術など基盤技術は軒並み失われており、近代以前程度の技術レベルにとどまっている。

主人公となるケルシーは森の中でずっと一人育てられてきたわけだけれども、育ての親がこの渡り以前を専門とする歴史学者だった故に、数々の歴史と、ここには存在しない物の渡り以前の革命的な技術の数々の存在を知っている。英才教育を受けてきているのだ。本も渡ってきているとはいえ、その存在をよく知って価値を認識している人間は殆どいない。だからこそ彼女が後に度々の裏切り、暗殺未遂などをくぐり抜けて王座へとたどり着いた後に、この世界に印刷技術を取り戻し、本を普及させ、文明をここに打ち立ててみせると宣言するシーンはかなりぐっとくる。ここからこの科学的に後退した世界に、科学を導入し歴史を早送りしてみせるぞという宣言ですからね。

「目的はなんですか?」
「このキープには、ずっと原本を置いておくつもりなの。でも、遅かれ早かれ、印刷機を作れる人をみつけるわ」
タイラーは短く息を吸った。「印刷?」
「この国に本があふれかえるのがみえるの。誰もが、読み書きができて、本はどこにでもあって、クロッシング以前に流通していたときのように、あたりまえのようになるの。貧しい人にも買えるものになるのよ」

しかも時代背景やこの世界の状況は、貧困が蔓延し、絶対的な武力を持つ隣国には年に何百人も奴隷と貢物を要求されと悲惨な状況なのだ。このように魔法世界で過去の(実際には未来なんだけど)歴史から政治や科学技術を学び、科学革命を起こしながら貧困を撲滅し、戦争状況を終わらせるために英断をふるっていくというとまあ『まおゆう』シリーズを思い出したりもするけれど、もちろんそこまで似通っているわけでもない、科学技術はそこまで本作では中心的な論点とはならないから。

面白いのが、ケルシーと対になる存在である隣国の女王の存在。こっちは圧倒的な戦力と魔法力によって、奴隷と金品の貢物を常にティアリング含む周辺諸国に要求しているとはさっきも書いたが、こいつはこいつでけっこう必死であることが描写されたところで「おお!」と俄然のめり込んだ。現状は周辺諸国は疲弊しながらも反乱を起こすでもなく奴隷らを送ってきてくれているから安心だが、実際には反乱を起こされたら見せしめに軍を出さないわけにはいかない。しかし軍を出して制圧したからといって、幅の広い領土を維持し守りぬくためには戦力が心もとない。

「奴隷の供給なんざやめじゃあ! 攻めたいなら攻めてこいやあ!」とぶち上げるティアリングの新女王ケルシーと、それをいさめる周囲の人間の「そんなことしたら隣国に叩き潰されます女王様〜〜」という悲鳴とは裏腹に隣国は隣国で「うーん、見せしめに攻めたいのはやまやまだけど制圧し続けられないだろうし……どうしよう……」と、ファンタジックな世界であってもその辺の感覚はかなり現実寄りに設定されている。女性版氷と炎の歌シリーズ(ジョージ・R・R・マーティンの)などという感想も本国ではあるらしく、それはちょっとぶち上げすぎなんじゃないのとは思うものの、ファンタジー世界でありながらもリアルに戦争の有様を描こうとする気概はそう外れてもいない。

あとはやはりなんといっても女性主人公の描き方だろう。ファンタジーといえば有名ドコロはどうしたって男性主人公のイメージが強いが、本作はその穴を埋めるかのように力強い女性が主人公となっている。まず顔がそう美人でもなく「地味だ」というのが良い。最初に地味だ〜という描写が出てきて、それにショックを受ける様子が描かれた時に「そうはいってもどうせ後で化粧したり着飾ったら絶世の美女でしたオチなんでしょ」と思っていたら特にそんなこともなく最後まで地味でコンプレックスを抱えたままだったので驚いた。もちろん歴史を誰よりも学んできて、本をこの世界に普及させ貧困を撲滅させると宣言するぐらいだから考え方は作中誰よりも理性的だ。

同時にこんな貧困な状態を維持せざるをえなくし、理不尽な要求をする隣国への燃え盛る怒りも持っており、戦闘になれば王が先陣を切らなければ誰もついてこないだろうといって自ら剣をとって最前線に突っ込んでいく。いろいろな意図が詰め込まれた本作だがそのうちの一つに、様々な面で能力を発揮する女性主人公をファンタジーできっちりと描きたいとする思いがあったのは間違いないと思う。

余談だけどファンタジーにおける女性主人公の割合は日本だと昔からライトノベルも数に含めればめっぽう多いからそうやり玉に上がることはないが、アメリカ等ではけっこう問題になっている。たとえばWeb上で発表されたSF関連のレビューやエッセイの傑作選として毎年出ているSpeculative Fiction 2013: The Year's Best Online Reviews, Essays and Commentary - 基本読書の2013年版では、意識的に女性と作品の問題を扱ったエッセイを多く取り上げている。 で、そのうちの一つに女性主人公のファンタジーが少ないから女の子はファンタジーを読まなくなるし、それによってファンタジーファンが減っていくんだというエッセイがあったりする。そういう状況から本作が出てきた──かといえば別にそんなことは知らないのだけど、まあ新しいし、求められている潮流ではあるよね。

ちなみに本作は三部作の一作目であり、ワーナー・ブラザーズが既に映画化の権利を取得済み。企画はハリーポッターチームが手がけ、ハーマイオニー役のエマ・ワトソンがケルシー役を演じるのと同時にプロデュース側にも参加するという。エマ・ワトソンは美人すぎて地味なコンプレックスを抱えるケルシー役にはちょっとどうかと思うが、きっちりと自分の意見をいって道理にあわない状況を正して突き進んでいくキャラクター的にはよくあっているように思う。