基本読書

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この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた by ルイス・ダートネル

30年ぶりにシリーズ続編として公開された『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は突き抜けて凄まじい、破壊的なエンターテイメントだった。崩壊した地球文明の後に残った脳筋の男共が滅茶苦茶に改造されもはや原形が何だったのかさっぱりわからない車とバイクに跨り、何故か火を吹くギターを持って、裏切り者の女共を追いかけ上映時間の殆どをカーチェイスに費やす。走れども走れども砂漠以外何も見えない、荒廃した大地。資源は限られ少ない物資をヒャッハー!! と、暴力によって奪い合う、力こそ正義! な地獄絵図な世界が広がっている。

この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた

この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた

しかし、仮に核戦争なり宇宙人の侵略なり異常気象なり隕石の衝突なり、原因をどこに求めるにせよ、文明がいったん崩壊してしまったとしたら、本当にそんな破滅的な状況になるのだろうか? 失われてしまった文明はもはや戻らないのか? 逆に復興できるとしたら、どうやって? 本書は書名である『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』そのままに、我々の知っている「この世界」が終わった時に生き延びる方法──「ではなく」生き延びた後「いかにして文明を再興するのか」を教える、復興の為の速攻手引書だ。

文明が崩壊し使えるものが殆ど残っていない状態で、内燃機関や正確な時計、顕微鏡をつくることができるだろうか? 作物や、衣服をつくることは? 少なくとも、最先端の工場も無しにスマートフォンをつくることなんてできやしないし、インターネットをゼロからつくれる技術者もいない。あまりに複雑化した現代社会において、職業は専門毎に分断されており、我々の身の回りに存在するなんてことない製品、たとえばトースター一つとっても一人の人間がゼロからつくることは想定されていない。

であればこそ「ゼロから文明を再興する為には、どんな情報を残せばいいのか」という想定は壮大な思考実験の体をなしてくる。いったいどのような情報を優先して残すべきなのか。自己啓発書や経営のルールを残しているような場合ではないだろう。あらゆる知識を網羅した百科事典が残せればいいが、それを現実的ではないとするならば巨大な知の体系を展開できる知識の種を残すことが重要になってくる。文明を一刻も早く元の水準に戻し、快適な暮らしを取り戻すために。

そこで速攻手引書は、大破局後の世界に合った適切な技術を供給するものであることが肝心となる。今日、援助機関が発展途上国の社会に適した中間技術を提供するのと同様である。こうした技術は、現状を大いに改善する解決策──既存の初歩的な技術からの進歩──だが、それでも地元の職人によって実際的な技能と道具、および手に入る材料で修繕や維持ができるものだ。

いったん文明が崩壊したあとの世界で当然想定されるのは資源の枯渇だ。森林資源……は文明崩壊の余波でいったんは回復するかもしれないが、石炭、石油、天然ガスは減ったままだ。資源を無尽蔵に使い尽くす資源ブーストはもはや使えない。再生可能エネルギー技術を重視し、資源を極力使わずに進む、これまでとは違った方法が必要になる。つまるところ文明の再起動は、これまでたどってきた歴史の「再演」にはならない。別のまったく新しいルート、新しい歴史を切り開いていくことになるだろう。

医療

さて、それでは実際どのような知識が『何百年にもまたがる遅々たる発展は省略する』形で有用となるだろうか? たとえば医療。個人レベルでもっとも効果的なのは単純に手をあらうことだ。かつて人類は自分の手が病気を媒介させているとは夢にも思わず様々な菌や寄生生物を媒介させ多くの命を奪ってきたが、それも手をあらうだけで回避できる。

加えて、飲料水が排泄物で汚染されないようにするなど、多くの病気が微生物によって引き起こされ人から人へ移動するという大原則を覚えているだけで1850年代ぐらいの健康レベルを維持することが出来るだろう。そんな単純なことに気がつくまで人類は長い間犠牲を払い続けてきたのだとも言える。

食べ物

命を守るすべをある程度整えた後は当然ながら食べ物が必要になる。スーパーやコンビニの長期的に耐えうる食品だけを食べるのは一時の猶予になっても長期的な解決にはならない。やはり農業をやるしかないだろう。世界にはシード・バンクといって何十億もの種子を保存している機関が幾つもあり、そうでなくとも農地に早急に駆けつければある程度の種の確保はそう難しいことではない(と仮定する)。

何を育てればいいのかは現代社会を見ればある程度答えが導き出せる。アメリカ、アジア、ヨーロッパの主要な文明はトウモロコシ・米・小麦のわずか三種類の主要な産物の上に成り立っている。その後は鋤や鍬、砕土機やすじまき機といった原理的には簡単でありながらも優秀な装置を早急につくりあげ、ノーフォーク農法によって土の肥沃さを保ったまま農業を持続的に展開可能とすることで18世紀レベルにまで農業の歴史を進めることができるだろう。

中世の農学者は穀物を連続的に植え続けることで土地が痩せることには気がついていたが、その原因を理解していなかったせいで、回復のためには何も植えずに休ませるほかなかった。これは連続で穀物を育てることで植物栄養素が失われるからだが、マメ科の植物を生産することで回復を促すことができる(この現象を取り入れたのがノーフォークの四輪作法だ。)。それを知っているか・いないかだけで食料生産効率が大きく変わってきてしまうのだから、知識こそ正義である。

科学的方法

この他にも本書では医薬品、物質、材料、エネルギー、輸送機関さらには紙の作り方まで、それぞれの分野において重要な技術を凝縮してまとめていく。一つ一つの知識が文明そのものであるのだから、復興の為にはどれも重要なものだ。しかし、それを推し進める為の原理・基盤としての「方法論」も忘れてはならない。仮に科学的な方法論が失われてしまったら、迷信と魔術が蔓延し人々の世界認識は神話の世界に逆戻りしてしまうかもしれない。知識として残すべきものの一つに、科学的な検証方法があることは間違いがないことだ

科学的方法とは何かについて、人によって重要視するものの違いもあるだろうがまず重要なのはその実証性だろう。100人がみて100人が納得するような結果を元にすること。棒と、その棒が入るかどうか怪しい穴があったとする。この穴に棒が入ると思うと述べるのが主観であり感想だ。そして穴に棒を実際差し込んでみて入るか入らないかを確かめるのが客観であり実証だ。もちろんことはそう単純ではないにせよ、証拠を基軸とする物の考え方を失わせてはならない。

『アイ・アム・レジェンド』、『マッドマックス』、『ザ・ロード』と映画だけでも文明崩壊後の世界を描いた作品はいくらでも上げられる。それは我々のどこかに、いまある世界が崩壊した姿を見てみたいという破滅的な欲望と、たとえそんな状況でも人類は決して諦めず生き抜くことができると信じたい気持ちの両輪があるからではないかとも思う。

本書はその希望の側面に光を当ててくれる一冊だ。