基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

宇宙の創生から終局までを壮大なスケールと幻想で描き出す、オラフ・ステープルドン代表作の全面改訳版──『スターメイカー』

本書は、オラフ・ステープルドンによって1937年に發表された、壮大なスケールでこの宇宙と数多の文明の行末を描き出すSF長篇である。1990年に国書刊行会から刊行され、04年に新版が出ている。今回はちくま文庫から全面改訳での刊行となった。

僕も昔、SFを読みだしたばかりの頃にこの作品の噂を聞き(SFの古典として有名だったので)あまりにも難解というか通常のSF、小説の文脈から外れていたためにうお〜読みづれえ〜でもなんだかよくわからんがすげ〜〜!! と思った記憶があるが、10年以上経ってからあらためて読み返しても、特にその感想は変わらなかった。

登場人物の会話も、個人の登場人物もほぼ存在せず、ただひたすらに宇宙の長大な時間の流れ、そしてその中で繰り返される惑星と文明の生成と消滅。その過程が紡がれていくのである。その合間合間にはこの宇宙が生まれた目的と創造主であるはずの「スターメイカー」についての考察が挟まれ、SF小説というよりも哲学書を読んでいるような気分になってくる。しかしその筆致は荘厳なもので、読んでいる間中、「とてつもなく大きなものに触れている!!」という実感も与えてくれる。このような壮大で何度も開きたい本こそ、文庫で本棚に並んでいると嬉しくなるものだ。

あらすじとか世界観とか

舞台になっているのはこの宇宙全体、時間軸も何千億年といったスケールで展開する。最初こそイギリスで暮らす一人の男が、ヒースの丘で昏睡状態に陥る場面からはじまるが、その後彼は肉体を離脱し精神で宇宙空間を光速をはるかに超える速度、また時間さえも過去から未来へと自由に飛び越える形で飛翔し、様々な文明や惑星を探索し、この宇宙が存在する意味、スターメイカーへの考察を深めていくことになる。

SF的な読みどころの多い本作だが、ひとつはこの男がみていく様々な文明、生物、惑星の具体的な描写にある。最初は、長い放浪の果てに太陽のような星のある星系に降り立ち、そこに人間のような存在──直立二足歩行し、脚は鳥のようで、大きさはピグミーよりは大きく巨人よりは小さい──を見つけるのだが、精神体である語り手はしばらくそこで暮らし、この文明はどのようなものなのか、とスケッチしてみせる。

たとえば、この惑星の知的生命は地球人類に近い種だが、嗅覚と嗅覚が驚異的に優れていると描写される。彼らは手や足にも味覚があり、視覚は地球人類よりも劣っていたので、彼らが取り扱う情報のほとんどは嗅覚に関するものとして表現される。そして、民族や主教の違いも見かけではなく味と臭いの差によって決定されていて──など、地球人類との相違からどのような文明が立ち上がるのかが詳述されていく。

この〈別地球〉とでも呼ぶべき惑星の人々は、食料を自動生産し、ベッドに篭もってラジオ番組を聞いているだけで過ごし、生殖も死も自動で行われるレベルにまで文明を発展させるも、最終的にはゆるやかに破滅へと向かうことになる。高度な文明が後に何らかの理由で崩壊に向かう流れは、本作ではこの後何度も繰り返されるのだが、これは文明の帰結そのものであり避けがたいものなのか、それ以外にこうした事態を引き起こす原因が存在しえるのか、といった大きな問いもここでは投げかけられる。

 真の説明がどうあれ、過去何度も高い水準の文明が実現しては、幾度となくある種の強力な作用が人類の精神の力を沈滞させたのである。このような巨大な波と波の谷間で、〈別地球人〉は、われわれ地球人類が亜人類から目覚めて以来経験してきた以上に絶望的な、精神的・神霊的な無気力状態へと落ち込んだのだった。しかし波の頂上では、人間の知力、道徳的な誠実さ、神霊的洞察力は、超人とみなすべき高位にまで昇りつめたように思われた。(p86)

語り手は〈別地球〉で哲学者ブヴァルトゥとコミュニケートすることに成功し、その後その人物を自身の精神体に取り入れ別の惑星への探索へと向かう。

異種生命・文明の描写としては、別地球以外にも、甲殻人と魚類人で争いの果てに共棲関係を獲得した二つの種族が、甲殻人類は地上でも生活できたためにそこで科学を発展させ魚人との格差が生まれ戦争が始まる惑星の話や、貝類から帆船そっくりに進化した人類の特殊な文化(生まれたのが左舷か右舷かで支配階級か労働者階級かがわかれる)の話、誰もが妊娠できる種族や、無線電波によって精神的につながった複合存在と個体主義者たちの戦争など、無尽蔵にアイディアが展開されていて圧倒される。

スケール

だが、そうした個々の描写以上に魅力的なのは、そうした個々の生物・文明をより大きな視点からまとめあげるそのスケール性である。最初は個々の文明を詳述しているわけだが、語り手も、文明を渡り歩くたびに構成要員がふえ、多様性を持った集合的な精神へと変質していく。〈別地球〉自体が実は宇宙の生成初期の方の文明であったのだが、彼らは時間さえも自由に飛び越え大きな視点でこの宇宙を眺めるのだ。

様々な文明が興る一方で、様々な文明が消えていく。医療科学が成熟する前に病原菌に破滅された人類種、気候の変化に屈した人類種、巨大隕石の群れと衝突して終わった人類種、衛星が消えたせいで終わった世界──それらとは異なり、無事に発展を遂げユートピア世界とでもいうべき状態を作り上げる文明もある。そうした社会は、民主的でありながらも共産主義的な性質があるなど、普遍的な文明論も語られる。

そうした破滅へと向かわなかった文明では星間旅行が極めて効率的なものとなり、その中の一部は自分たちの文明を伝播しようとするため、宇宙には戦争の嵐が巻き起こることになる。それが(あるきっかけによって)終わると、今度はテレパシー能力によって空間を超え繋がった銀河共同体によるユートピアに向かう時代がはじまり、めでたしめでたしかと思いきや惑星自体の寿命がつき次々と崩壊していく終局が始まる。

この局面に至ると文明は惑星や恒星を高度に制御できるようになっており、テレパシーで繋がった遠く離れた他文明と接触するために星の軌道をずらして銀河を横断させたり、太陽のような恒星が放つエネルギーを無駄なく利用できるように光を捕獲する網で囲んだりとやりたい放題なのだが*1、こうした操作が原因で新星爆発が多発するようになっているのだ。もちろん、何百億という時間が経てば星は死に、エネルギーを放射しなくなるので、これを利用する周辺の文明も死に絶えてしまう。

移動することもできるが、エントロピーは増大し続けるから、生存可能領域は時間経過と共に少なくなっていく。語り手も含めた共同参与的精神は回避できない宇宙の終局を前にして何を思うのか『遠のいていく数多くの銀河を目の当たりにして、わたしは自分が野人と野獣の荒野に置かれた孤独な知的存在であるかのような気がしていた』、そして探し求めてきた「スターメイカー」の存在と、その意図が把握されることはあるのか──など、物語はページをめくればめくるほど壮大さを増していく。

時間的なスケールもそうだが、集合精神の規模も次第に増大していき、最初は一つの文明の興亡が焦点だったのに、それが銀河中の文明、宇宙自体の興亡に焦点があたるようになり──とすべてのスケールが増していくのだ。

おわりに

1930年代に書かれた本なので、宇宙の記述に関しては現在知られている科学的事実と反する部分もあるものの(テレパシーとかあるからあれな話だけど)、当時すでに宇宙が膨張していることやアインシュタインの相対性理論など基本的な部分は出揃っていて、それが作品にきちんと活かされているので読んでいても驚くほど違和感がない。

読み通すのは大変だと思うが、それだけの価値はある本である。手にとってみてね。

*1:これはフリーマン・ダイソンによるダイソン球が有名だが、ダイソンはこの『スターメイカー』の描写が着想元だとしている『今やあらゆる太陽系が、光を捕獲する網に囲まれ、それにより放出される太陽エネルギーを知的な用途に差し向けており、その結果、銀河全体が薄暗くなったが、それだけでなく、太陽に適さない数多くの星たちが解体され、核エネルギーの莫大な蓄えを根こそぎ奪われた』