
- 作者: ジョーン・スロンチェフスキ,加藤直之,金子浩
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2015/06/29
- メディア: 文庫
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- 作者: ジョーン・スロンチェフスキ,加藤直之,金子浩
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2015/06/29
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あらゆる要素がこれでもかこれでもかとてんこもりにされてどこを取り上げても素晴らしい作り込みなのだがいかんせんその結合があまりよろしくない。正確にいうと、あらゆる要素が結末のクライマックスへと向けて収束していく流れ=それ自体は見事なのだが、いかんせんその要素が「過剰すぎ」ほとんどの読み手はそれに面食らってすらすらと読み進めることが不可能だろう(僕も含む)。
政治の話が、選挙の話が、スポーツの話が、恋愛が、当たり前のように3Dプリンタで人々は生活の身の回りのものを全て出力し、使い捨てていく生活が、学校の授業は生き生きと専門的な用語で綴られていき、それ本筋に関係あるの? と思えるほど専門的な分子生物学、遺伝子工学の話題が次々と挿入されてくる。何しろ著者は大学で現役の微生物学教授を務めているのだ。*1
せめて筋を一本にしぼって要素を集中させてほしかったと思うものの、それではこのめちゃくちゃなごった煮感の魅力が薄れてしまうかもしれない。本書のことが僕は大好きだ──あらゆる要素が楽しい──けれどもこの物語をなかなか人に薦めようとは思わない、そういう扱いの難しいじゃじゃ馬である。
膨大な情報量
時代は2112年、地球では紫外線を吸収し青酸ガスを吐く有害な地球外生命体ウルトラ・ファイトが増殖して(ひでえ名前だな)地球環境は悪化の一途をたどっている。そんな中、大統領を輩出し親戚筋も政治家の多い上流家系で生まれ育ったインテリの女の子ジェニファーが軌道学園都市に地球外生命体の研究を志し入学する──というのがざっと冒頭の展開だが、わずか25ページのここまでの話で膨大な情報量が投入されているのでまずそこでSFを読み慣れていても面食らうことだろう。
まず一文目からして『太平洋上を宇宙エレベータが炭疽菌ケーブルを伝って上昇していた。』で、いきなり炭疽菌ケーブルなる存在が当たり前のように出てくる。またみなトイ・ボックスと呼ばれる攻殻機動隊でいうところの脳と直結した電脳空間・ネットワークみたいなものを使っており、話すのが苦手な人はそれでテキストメッセージを誰にでも送って会話することもできるし、そこで授業を受けることも、装飾をすることもなんでもできる。
さらに登場人物がみなインテリで、特にジェニーの家系は大統領を輩出しジェニー自身もいずれは政界入りが確実とされているお嬢様だから会話がとても常人ものとは思えない。たとえば冒頭、有害なウルトラ・ファイトをジェニーが見かけた時の父親との会話はこんなかんじだ。
ジョージが、(速さは?)というテキストを送ってきた。
(ウルトラファイトは約五秒で一メートル這ってから向きを変えるわ)(ランダムウォークをすると仮定すると、もっとも可能性の高い距離は一〇・二メートルだね)(ありがとう、パパ)
ありがとう、パパ、じゃねー! こんな会話をする親子がいるか!(いるかもしれない)しかも全編こんな感じで進むんだから凄いし、読みづらい!
お嬢様だから不潔なものは大嫌いだし、でも同時に頭がはちゃめちゃにいいからどんな科目でもほぼトップでたまに最高の成績を逃すとショックを受ける、恋仲になった男の子がちょっとつれない態度をとったりすると『無作為に誕生した男の子が、どうしてあんなふうにスイッチをぱちっと切ったみたいにふるまえるの? あの役立たずのY染色体が』と悪態をつく。
このインテリ故の傲慢な態度と異常なプライドの高さ、僕はこういうの最高にタイプですね(なんだそれ)。無自覚的にしろ、ある程度自覚的にしろこういう「自分がほとんどの人類より優れた存在である」とする傲慢さは、この作品の場合は「愚かさは治療可能な病気なのか──」というテーマにつながってくるんだけど、それはまた後述しよう。
これだけ列挙してもまだまだ25ページまでの情報を伝えきってないし(悪態をつくのは25ページ内ではないが)、この後上下巻を重ねてそこまでと何ら変わりないペースでその情報量は増し続けていく。
たとえば軌道学園都市は当然地球から物資をそうそう何度も運ぶ訳にはいかないから、みんな衣服から食べ物、はてはエボラウィルスまで興味本位で3Dプリンタで出力して大騒動を引き起こす。これの面白いところはただ出力させるんじゃなくて、みんないくらでも出力できるから服やら靴やらをほとんど使い捨てで出力するんだよね。
無重力スポーツ、気候の変動や空気などをどう管理しているのか、ゴミとゴミの衝突が新たなゴミを生み出すケスラーデブリに軌道エレベータがどう対処しているのかなど圧倒的に細々としたディティールが押し寄せてくる。ここでそうした要素を一つ一つピックアップするのは、無駄なのでやめておこう。
愚かさは病気なのか
文庫裏のあらすじ紹介みたいなところには「傑作学園青春小説×ファーストコンタクトSF」とあって、確かにそれも間違いではないんだけれども、幾つもの主題が同時的に走っているからそれだけでもないんだよね。未来ガジェットがめちゃくちゃにつめ込まれた青春学園物という側面、はじめて人類が出会った地球外生命体とのファースト・コンタクトと、その研究の側面(これは著者が微生物学者なのも手伝って物凄く描写が細かい)。
またこの生命科学に関連した多様な人間の在り方(遺伝子異常、遺伝子操作、無操作の人間=普通人と遺伝子コントロールを受けた人間=エリートとの差・確執、などなど)、環境悪化していく地球と、理想郷として作られたフロンテラの脆弱性=軌道都市の脆弱性、誰もが電脳で繋がっている単一ネットワーク故の極端な脆弱性、政治・選挙を通した理想社会の実現──「愚かさは病気なのか、病気だとしたらそれは治療されるべきものなのか」という問いかけ。
こうした全ての主題が同時並行的に走って、最終的に炸裂させてみせるのが本書のとてつもない魅力である。そこに何らかの中心軸みたいなものを求めるのは難しいところがあるが、あえていうならば記事名に掲げた「愚かさは病気なのか」というテーマだろう。ジェニーの指導教授で植物学者のアベイネシュは自身の研究テーマについてこう説明する。
「人間の認知モデルをつくることよ。人間の複雑さは単純なモデルから生じている。たとえば、単純な眼点が目の基礎になったり、驚いたときの笑いが元になってユーモアが生まれたりした。計算能力なら容易に測定できる。知性は──だれでも高めたがってる。だけど、知力を持つわたしたちはなにをしてる? わたしたちの惑星を破壊してるじゃないの」アベイネシュは首を振った。「わたしの研究の対象はもっと難しいもの、知恵よ」植物の茎を軽く叩いた。「それを知恵、判断力、”正しい選択”をする能力と呼ぶことにしましょう。わたしが必要とするときにアリがわたしの角帽を見つけるのと、わたしがきょう、その角帽をかぶって外出するのが正しいかどうかを判断するのとじゃぜんぜん違うのよ」
人間の知恵情報化学物質などといものは発見されていない。アベイネシュ教授は植物をつかって、笑いのような単純な反射作用を引き起こすように=知恵を植物から引き出せないものかと実験を繰り返しているが、その成果は一向に現れない。しかし、実際に人間に対して人為的に「賢い行動をとらせる」ことが、「正しい選択をする能力」を人間が身につけることが出来たのだとしたら、愚かさは治療されるべきものとなってしまうのだろうか。
軌道上の環境の不安定さ、地球環境の悪化、未来になっても一向に改善されない人間の愚かさと「人間の愚かさを治療しなければならない」と考える基盤となる状況は揃ってしまっている。中心軸が存在しないように思える本作で様々な要素が密接に絡み合っているが「ちえはどこにあるのか」「にんげんにちえはあるのか」という問いかけは各テーマに反響し響きわたっているように思える。
おわりに
むちゃくちゃな小説だ。あまりにも要素が混在しすぎている。それでもここに投影された、要素が混在して溢れかえっている世界のヴィジョンが、暗い世界状況や愚行を繰り返す人類、未来に起こりえる未曾有の危機を描いておきながらも楽観に振り切るその明るさが、頭のいい人間の嫌味たっぷりな会話が、オススメはしない、オススメはしないが、どうしようもなく大好きだ。
ちなみに、東京創元社は電子書籍化がすごく早くて、上下巻の物は合本版まで出るという充実っぷりなので電子書籍派の人は電子書籍でも。僕は今回は文庫版です。

- 作者: ジョーン・スロンチェフスキ
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*1:ちなみに本書が初訳で最新作。1980年から著作があり、2011年の本作が7冊目になる。