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どこまでの精密さを手に入れることができるのか、また、それは必要なのか──『精密への果てなき道:シリンダーからナノメートルEUVチップへ』

精密への果てなき道 シリンダーからナノメートルEUVチップへ

精密への果てなき道 シリンダーからナノメートルEUVチップへ

「精密さ」を主軸に据えた歴史&技術ノンフィクションである。現代社会において精密さは当たり前に成し遂げられていて、飛行機だろうが新幹線だろうが人工衛星だろうがスマホだろうがほんの50年前には考えられなかったような超高精度の技術の上に成り立っているのに、ほとんどの人はそれがどうやって成し遂げられているのかを知らない。だからこの書名を見た瞬間にこれはいい! と興奮してしまった。

同時に、精密さはあらゆる場所に見られるだけに題材と構成が難しそうだなとも思ったが、公差(基準となる値からどれだけズレてもよいのか、という許容度)0.1だった時代から公差0.000 000 000 000 000 000 000 000 000 1の物まで順々に、「そこまでやる必要があるの? 精密さにも限界があるのでは?」という疑問まで含めて追っていく構成で、個人語りやら、精密さと関係のない題材の説明が長すぎるきらいはあるが、よくまとまっている。何より、普通のノンフィクションではお目にかかれない人物たちに日があたっており、同じ歴史でも視点を変えることで、見えてくるものは大きく変わってくるものだな、ということを実感させてくれる一冊だ。

いつから精密さは求められ始めたのか。

何をもって「精密さ」の始点とするかによって変わってくるが、本書では個人技などに頼らない、「再現性のある精密さ」をその起源としていて、その視点から最初に取り上げられるのはジョン・ウィルキンソンという名のイングランド人だ。

鋳物技術者の父のもとで生まれ、自身も鉄に執着し鋳鉄工場を営むようになるが、そこで最初の「精密さ」に関する大きなチャレンジを行う。当時、大砲の製造は砲身部分を中空にするために中に鋳型を入れてつくっていたのだが、冷え方にムラが出るし、まっすぐ鋳造できていなかったりと問題が多かった。そこでウィルキンソンが考案したのは、中身の詰まったまま砲身を鋳造し、その後横向きに固定した砲身を、えぐるために作られた棒に押し当ててぐるぐる回すことで穴を空けていくというもので、「そんなん当たり前やないか」感があるけど、当時は新しかったんだね。

大砲をつくっただけなの? と思うかもしれないが、実はこの男、蒸気機関の改良にも深く関わっている。蒸気機関の実用化のために、ピストンがシリンダの中を動いたときの蒸気の漏れを少なくしなければいけなかったのだが、この解決にウィルキンソンが発案した中ぐり盤が役に立ったのだ。で、この蒸気機関製造の時に求められたのが公差0.1(0.1センチではなく、0.1インチ、約2.5ミリ)なのである。

レベルが変わってくる

その後は公差0.0001インチ(0.0025ミリ)の世界に入り、機械をつくるための機械を作った男モーズリーを中心にする第二章「並外れて平たく、信じがたいほど間隔が狭い」。鉄砲を取り上げた公差0.00001インチの第三章「一家に一挺の銃を、どんな小屋にも時計を」──とどんどん必要とされる精密さの度合いが増していく。

特にレベルが変わってくるのは、旅客機を作り出してからだ。それまでも銃や大砲など、暴発することで周囲の人間を危険に晒すものも多かったが、旅客機はほんの僅かな精密さの欠如によって容易に空中分解し、場合によっては大勢の人間を死に至らしめる。たとえば、2010年に起こったカンタス航空の飛行機では、ジェットエンジンで用いられていた一本の短い金属パイプの寸法が0.5ミリほどズレ、薄くなっていたことから脆弱になり、最終的には金属疲労を誘発させて破断してしまった。

レベルが変わったと言っているのは、ようはもうこのレベルの精密さを必要とする部品においては、人間が関与する余地がないということである(カンタス航空の件では人間が作業しており、さらに他40基ものエンジンで同様のズレが発見された)。どれだけ超人的な技術を持っている人間でも間違ったり、疲労するので、絶対にミスをなくすことはできない。「人間の介入を減らす」のではなく、人間の介入を一切挟まない、オートメーションでしかなしえない精密さがこの頃から求められるのである。

人間は絶対にミスをする

まあ、人間の介入を極力減らしても事故は起こるのだが。その例でおもしろいのが、軌道上に打ち上げ・設置されたハッブル宇宙望遠鏡で、何度も失敗と延期を繰り返しようやく打ち上げに成功したと思ったら、天体の光を集める重要な鏡の端っこが設計よりも0.002mm歪んでいて、ろくに性能が出せなかった、ということがあった。

で、その鏡の製造は機械によって行われていたのだけど、研磨でもそのチェックでもミスがあった。研磨する時は端末に0.1と入力すべきところを1.0と入力して間違えて削ってしまう(すぐ止めたが)。そのチェック時にはわずかな歪みも見逃さないヌル補正装置(レーザー光を2枚の鏡の間で反射させ、研磨済みの主鏡の表面に当て、光の波長の一致度を調べる)を使う。で、この測定用の鏡(と主鏡に対して反射する時に用いるレンズ)はそれ自体が正確な距離で設置されていなければならないんだけど、この設置は人間がやっていて、それが幾つかの理由からズレてしまったのだ。

そうすると、絶対確実なチェック機構が誤差ゼロをはじき出しているのに、そのチェック機構自体に誤差が出ていて、0.002mm、髪の毛の太さの50分の1だけのズレが出てしまった。精密さの限界に挑むには、人間は明らかに邪魔なのである。

どこまで精密さを追求できるのか?

じゃあ、極限まで人間を除外していけば、どこまでも精密さを追求できるのか? といえばそういうわけでもない。なぜなら物理には限界があるからだ。たとえば、パソコンやスマホ、各種電子機器に今や必須なマイクロプロセッサ・チップは、面積一平方ミリメートルあたりに一億個のトランジスタが配置されているが、トランジスタ間の距離が縮まれば縮まるほど不可避的に相互干渉する可能性が高まってくる。

トランジスタは原子の格子構造によって電子を制御するが、その小ささがある一定のしきい値を超えると原子一個(0.1nm)のふるまいが不確定性原理などによって影響を与えるようになり、不安定さが増してしまうのだ。つまり、人間が介入しなかろうが精密さには物理的な限界が存在するのかもしれない。グラフェンなどの物質を用いることでさらに小さな(グラフェンは原子一個分の厚みしかない)チップをつくる話もあるが、どちらにせよこのレベルの小ささになってくると、量子の世界に突入しそもそも精密さに不可欠な測定が不可能になってくるというのがおもしろいところだ。

おわりに

『だが、これほど極致のレベルになると、確たる測定はしだいに困難になる。曖昧さが正確さに取って代わって、精密さはパラドックスへの世界へと迷い込む。限界は意味をなさなくなり、量子に満ちた霧の中に消えていく。』この4世紀ほど、人類はひたすらに測定し、精密さの度合いを引き上げてきたが、我々はどこまでその道を突き詰めることができるのか。重力波のような宇宙の極小の変化を検出するために、ほとんど底しれぬ精密さが求められる領域もあるにはあるが、そこまでの完璧さを求める必要は本当にあるのだろうか。本書は最終的にその問いにまでたどりついてみせる。