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いろいろな要因が複雑に絡んでいる──『魔法の色を知っているか?』

魔法の色を知っているか? What Color is the Magic? (講談社タイガ)

魔法の色を知っているか? What Color is the Magic? (講談社タイガ)

人口が減少した未来社会が描かれていく森博嗣さんによるWシリーズの第二弾。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
例によって例のごとく、特にナンバリングがついているわけではないので本書から読んでも問題はない。前作ではこの世界はいったいどのような経緯で今のような状態にあったのかということが明かされていった。人工細胞でつくられた、人間とほとんど区別のつかない生命体ウォーカロンが大勢いること。人間もまた細胞を入れ替えることによって寿命を乗り越え、生と死の境界は揺らいでいることなどなど。

その代わりに、なぜか人間は子供を産めなくなり、結果的に世界的な人口減少が進み、ますますウォーカロンと人間の区別はつきにくくなっていく。前作の物語は、そのウォーカロンと人間を高い精度で判別できる解析方法を構築しつつあった研究者ハギリが、何者かに命を狙われることからはじまる、冒険譚──とまではいわないものの、テロに巻き込まれたり、なぜ人類は子供を産めなくなったのかを考察してみたり、「この世界それ自体を解き明かしていくような」作品である。

前作を「生と死、人間と非人間」といった様々なものの「境界線」が崩れてきたことを問いただす物語だとするならば、今作は──前作の問いかけを引き継ぎながらも、まあ、人工知能かな。たとえば、人工知能が発展していった先に、この世界には何が起こるのか。月並の質問だけれども、「進歩した人工知能は人類に叛逆を起こすのか」という問いかけと似たようなものが、今作では提起される。

プロット的に大きく取り上げられるのはチベットにある「まだ子供が普通に生まれてくる特別居住区」だ。その存在は前作でもほんのちょっとだけ触れられていた。前作でなぜ子供が生まれないのかにはある仮説が提示され、この特区の存在はそれを裏付ける存在である。そして、当然だが子供が産まれなくなった世界では、子供を産むことのできる人々は非常に価値のある存在だ。ハギリ君は、そこにまたのこのこと出かけていって、反乱軍に出会ったりしてまたまた危ない目に遭い続けてみせる。

面白いのは、この世界では兵士が過去のものになっているという世界設定。兵器も何もかもオートメーション化が進んでしまって、ほとんどシュミレーションで勝敗が決してしまうからこそ物理的な被害が出る前に終わってしまう。そもそも放っておいても勝手に人間は減っていくんだから、殺し合いなんてわざわざするまでもなく、ある意味平和な時代ともいえる。そんな時代で、反乱軍のような武力行使手段がとられること自体が「特異なこと」であり、物語の契機になっていく。

ウォーカロンと人類、そして人工知能

「なぜ彼らは反乱を起こしたのか」はプロットで追求されていくのでさておき、人工知能などの諸々について。前作からわかっていたことだが、この世界ではウォーカロンと人間、人工知能などの関係は非常に微妙なバランスを保っているようである。たとえば、ウォーカロンは当然ながら「人間より圧倒的に優れた存在」にすることができる。しかし、計算能力も知識量もその能力は人間並に規制された状況下にある。

この先に起こるのは、人間がウォーカロンにも人工知能にも大きく能力的に引き離されていく状況だろう。ウォーカロンの能力を抑制しているのは、人間の単なる思い込みに過ぎない。ウォーカロンを抑制せずとも、人間だって自分自身の身体を置換していけば、頭脳の方まではちょっとわからないが同程度の水準に移行できるはずだ。

つまるところ、現状この世界は変化が大きく進みつつある一方、人間の伝統的な宗教観がその変化を押しとどめているような状況、ただしその均衡が崩れつつある状況にあるといえるかもしれない。ウォーカロンの性能はより上がりつつあり、恐らく子供さえ産めるようになるだろう。逆に、人間はその数を減らしつつある。

興味深いのは、人間にはそこを乗り越えられるのか否かだ。

古来よりの細胞は既に捨て去った。その次に、古来よりの「人間という形」「人間の能力」を、どこまで捨てさることができるのか。身体をどんどん機械に置き換えるのはどうだろう? 脳を電子頭脳に置き換えるのは? どこまで人間はその形を変えることを受け入れられるのだろう。いずれにせよ、人間は消滅するか、ウォーカロン的なものと同化、区別がつかなくなっていくのは避けられないように思う。

一方、人工知能が人類に叛逆するか──という問いは、基本的にはナンセンスなものだ。ルンバが叛逆するか──といえば、そりゃ足をこずいてきたりするかもしれないが、叛逆とはいえない。将棋指しソフトだって同様で、どれだけ人工知能が発展しようが、基本的にはその延長線上の発想で運用していれば敵対することはありえない。

しかし、実質的に支配される事は考えられるように思う。人類自身が望む、地球環境などのシュミレーション結果によって、人類全体への指示・抑制からくる実質的な支配──は、実際にはこの世界では既に起こっているレベルであるといえる。とはいえ、あくまでもこれは「提案」のレベルだ(と思う)。実効力を持った支配ではない。

入り混じり、適度に利用する、そのあたりの微妙な均衡が、人類とウォーカロン、人類と人工知能の未来的な関係性なのではなかろうか──。

といえば、そこで終わるほど本書は単純ではない。本シリーズには、ウォーカロンにせよ人工知能にせよ、背後にはその根幹を発想し、創りあげているマガタ・シキの影がある。数々のテクノロジー、この世界で起こる状況の一つ一つにその影を感じる。多数のシリーズに名前が出、そのどれもで途方もない天才として描かれる彼女の存在が「不確定要素」となってこの物語の歴史の行末を予測しえなくしている。

彼女であればどのような影響も与えられる。望めば人類を滅ぼすこともできるだろう。逆に、決定づけられているようにみえる滅びへと向かっている人類を助けることはできるのか? そもそも、なんらかの望みなどというものを抱いているのだろうか? 出演回数は多いにも関わらず、その本心──そんなものがあるとして──が語られることは殆どなく、それを推測していくのがたまらなく楽しい。

まあ、一言で言えば「いろいろな要因が複雑に絡んでいる」社会/世界だということだ。それはなにもこの物語世界に限った話ではないけれども──いったいこの未来はどんな状況へと推移していくのか、二作目にして期待が高まっていく。四作目のタイトルが「デボラ、眠っているのか?」なのもたまらなくいい。

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

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