- 作者: リー・ビリングズ,松井信彦
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/03/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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滅亡するといっても、太陽が燃え尽きるまでは何十億年もある。だが、地球の内部が冷えると火山活動が低下し、大気中に出てくるCO2が減る。同時に太陽は光が強まっていくから水蒸気が増え岩石が風化し、CO2はさらに減る。その結果大気中のCO2濃度は光合成が起こせないほど下がって、食物連鎖の土台は崩壊する。単純化した流れだが、ようは話は聞かせてもらった! 人類は滅亡する! ということだ。
そんなわけで、長い目で見て私たちは選択を迫られている。生か死かの選択を、科学の枠を超えて精神の領域に踏むこむかどうかの選択を。地球はかくも貴いからこそ、その孤独とこの世の終わりに待ち受けている忘却とを受け入れるというのもありだし、惑星というこの揺りかごの外に、天空のどこか遠くに救いを求めるというのもありだ。
というわけで本書は、来るべき破滅に向けて、途方もなく進歩した銀河文明を探して宇宙にあてもなくメッセージを送ってみたり、地球の気候の成立過程や条件を調べてハビタビリティー(生命居住可能性)の限界をさぐってみたり、どこか手頃なところに移住できそうな惑星を探している──"ちょっと変な"人たちの物語だ。その人々の中には、コンタクト可能な地球外知的生命体の数を推定するドレイクの方程式で有名なフランク・ドレイクや、exoplanetologyやastrobiologyの専門家がいて、地質学天文学生物学者らと総合的に「地球外生命体探査の今」を描き出している。
"ちょっと変な"人たちとわざわざいうのも、正直言ってこれは非常に困難な試みだからだ。5億年先のことを心配するより先にもっと目の前に差し迫っている危機があるだろうとは言われればそれはもっともな疑義であろう。未知なる文明が見つかればあれだが基本は金にならないし、そもそも「生命が地球でどう生まれたのか」さえわかっていないのに、地球っぽい環境の惑星を見つけもそれは生命とは関係がないかもしれない。思いもよらぬ環境から生物が生まれてくるかもしれないではないか──。
とまあ、直接的に金にならない分野だからこそ、こうした問いかけに答えなければ公的な予算を獲得することさえできない。予算が獲得できなければ観測は劇的には進まない。宇宙に高精度の望遠鏡を幾つも設置するのが一番いいが、そのハードルの高さゆえに何百億ドル規模の予算を必要とする、当然他分野の天文学者からすればいい気分にはならないだろう──と、本書はそのあたりの「予算上の挫折」も描いている。
そもそもどうやってハビタブルな惑星だと判定できるのか
よくハビタブルゾーンで惑星が見つかった! とニュースが流れることがあるが、観測事態は珍しくなくこれまで何度も見つかっている。恒星10個につきハビタブルゾーンに存在する惑星は1〜3個ぐらいはありそうだという話もあり、そんなにいっぱいあるんだったらいくらでも生物見つかるじゃん──とはならない。この発見数の多さは技術の進歩もあるが、定義がゆるいのも関係している。
恒星から適度に離れており(表面温度が300℃とかではない)生命が誕生する最低限の可能性が見込める、ぐらいのノリだから(もちろん算出のための詳しい式はあるが)こんなにたくさんあるのでる。重要なのはここからで、そうやって見つかったハビタブルゾーン内の惑星にたいして、質量はどうだ、半径はどうだというデータを集め実際の居住可能性がどの程度存在しているのかを算出する過程がはじまる。
たとえば中心星の光が惑星に当たれば、放射エネルギーが注ぎ込まれるが。このときどの程度のエネルギーが注ぎ込まれるかはその惑星の大気、光の波長によって違ってくるのでそれを詳しく調べるのだ。大気の組成によって多くのパターンが考えられるためこの推定はそう簡単ではないが、ハビタブルゾーンに惑星が見つかったという事実のほとんどは、この検証の段階で「生物は生まれそうにないね」と落とされる。
つまりハビタブルゾーンはハビタブルであるかどうかの大分前段階の話で、どれだけ発見報告が出ようが、見方によってはほとんど無意味だ。
バイオシグネチャー
ただ、それは生命探査に限っても観測をやめる理由にはならない。精度が上がれば大気組成まで判別できるようになり、より実際的な「生命が誕生する可能性のある惑星」が見つけられる。そのひとつの例としておもしろかったのが、惑星の大気上に、通常は長期的な共存が難しい化合物を検出することができれば、それが生命の徴候として捉えられるとする論文だ。
たとえば、酸素とメタンは反応して二酸化炭素と水になるが、地球の大気には2ppmをやや下回るメタンが存在しており、平衡から30桁近く外れている。『惑星の大気中にメタンと酸素をどちらも大量に生物の力を借りずにためるというのは、率直に言ってきわめて困難です。』というように、生物がそれを供給しつづけているからこそ成立している。そのような、生物がいなければ説明できない大気組成があると仮定すればそれを「生命の徴候」として活用できる。
とはいえ
とはいえ検出するためには多大な困難がある。波長域の異なる酸素とメタンを検出するためには、少なくとも二台の望遠鏡が必要になる。一台は可視光や近赤外で酸素を観測するためのもので、もう一台は熱赤外でメタンを観測するためのものだ。仮にメタンが見つかったとしてもそれが即座に生命発見に繋がるわけでもなく、一台ならともかく二台の予算請求が通る見込みは現状あまりなさそうだ。
この他にも観測に重要な恒星光抑制技術を用いた計画も予算がつかず……と予算がつかない話ばっかり紹介していると、「地球は50億年で人類滅亡だし、予算がつく当てはないし、もう人類は永遠に孤独だ〜〜もうだめだ〜〜〜」というsad bookのような気がしてくるかもしれないが、これが実際読むとけっこう明るい本である。
よくも悪くも滅亡まであと5億年はあるし、生物探査がアレなだけで民間の宇宙事業は盛り上がってきているし、打ち上げコストが安くなれば天文学関連のコストも安くなる、全体としてみれば悪い状況でないというのはある。それに加えて、本書には多くの科学者がインタビュー対象として出てくるが、そもそも生物探査に命を賭けているような科学者らはみなどこかmadnessな、狂気に満ちた人々であるというのも関係しているだろう。数億年の時間スケールと太陽系外まで含める空間スケールでこの世界について真剣に考え続けているような人たちはみな通常の枠を超えている。
「孤独に地球の終わりを受け入れるか、さもなくば外へと探究に出るか」と問われれば、真っ先に後者を選ぶ人たちだ。そこには悲観的な要素はほとんどない、まあ、楽観的であるわけでもないが。本書を読むことで生物探査の概要を知ると共に、そのスケールのいくらかを自分のものとできるだろう。