それに続く本作『惑う星』は、宇宙生物学に関する研究者の父親シーオと、医師から自閉症スペクトラム障害、ADHD、強迫性障害など様々な可能性を示唆された息子ロビンの行末を描き出していく長篇小説だ。母親は動物愛護を訴える活動家だったが、数年前に事故死。残された父はこの宇宙にどれほどの生命がいる可能性があるのかをロビンに語って聞かせ、ロビンも父親に無数の質問をして、対話を続けている。
たとえば、この宇宙に惑星の数はいくつあるのかとロビンは問う。父親はおそらくどの恒星にも一つはあり、天の川銀河だけでも生物生存可能圏に地球のような惑星が90億、宇宙にはそれ以上の銀河があって──とできるかぎり科学的に正確にその質問に答えてみせる。この宇宙にはそれほどの惑星があるにも関わらず、なぜわれわれの目の前に一度も地球外生命が現れていないのか。そうした地球外生命体探査ではよく問われるテーマに加えて、簡単に医者が子供をスペクトラムと診断し、薬を使わせようとするアメリカの社会について。環境破壊と動物愛護の運動について、さらに後半からは脳・神経科学に関連した新しい研究にロビンが参加することになって、脳の探求もテーマになり──と350ページちょっとの長篇ながらも、扱う題材は幅広い。
地球外生命についての美しい語り。ロビンの特性を許容しない社会に苛立つ父親の葛藤、後半の「21世紀のアルジャーノン」と評されるSF的展開など、『オーバーストーリ−』とはまた異なるスタイルで、満足させてくれる長篇であった。
あらすじなど
物語の中心になっていくのは先に書いたように研究者の父親シーオとその息子の9歳のロビンである。二人の医者がロビンをアスペルガーだと診断し、一人はおそらく強迫性障害、別の一人はADHD(注意欠陥多動障害)の可能性があると言っており、父親はそれに反発している状態だ。二人目の小児科医はロビンをスペクトラムと診断したがったが、父親はそれについて覚えた反感を、下記のように語っている。
私はその男に、この地球に生きる人は全員がスペクトラムに位置づけられるといいたかった。スペクトラムとはそもそもがそういう意味だ。私はその男に、生命そのものがスペクトラム障碍だといいたかった。私たち一人一人が連続的な虹において独自の周波数で振動しているのだ、と。
強迫性障害と診断されようがADHDと診断されようが生活に支障がなければ問題はないわけだが、問題は発生する。ロビンは学校で、父親の職業をバカにした相手を殺すと脅し、その後にも学校で唯一の友達に対して我慢ならないことがあり、大声で叫び続け、金属製の水筒を投げつけて頬骨を折る怪我をさせた。制御がきかないのだ。
そうしたトラブルが続いたこともあって、学校側はロビンと父親に二つの選択を突きつける。ロビンに必要な治療を与えるか。あるいは州政府の介入を受け入れるのか。父親はまだ三年生の息子、まだ発達段階にある脳に向精神薬を与えたくないと考えている。とはいえ、それ以外に何かいい案があるわけではない。
ましてや、シングルファーザーの家庭なのだ。シーオはあらゆる種類の惑星のあらゆるシステム(岩石や火山や海、化学的組成など)を考慮に入れたプログラムを書いて、その環境だと大気組成がどんなふうになるかを予想する研究を進めている。
大気組成が分かれば、生物が生きていけるか、生まれ得るかどうかについて、重要な知見となるから、これは宇宙生物学においては重要な研究だ。そのため、彼には論文を他大学よりも早く書き、成果を発表するように仕事上の圧力が強くかかる。息子のことを思う気持ちは強いが、同時に仕事もまた大事なものなのだ。物語を通して、シーオはこのジレンマ──息子と仕事について──にさいなまれていくことになる。
宇宙生物学については、ロビンの寝かしつけの時に、父子二人の地球外生命体についての対話が時折挟まれていくのも本作の魅力的なポイントだ。フェルミのパラドックスについての解答を議論したり、シーオがプログラムで生み出した、架空の惑星の数々(たとえば、ファラシャは太陽を持たない真っ暗な惑星だが、大きな月による潮汐摩擦が惑星を複雑にひずませて、温度をあげ、光がなくても生物が生存できる環境であることを示していく)についてだったり。人間が一人一人違った特別な存在でありえるように、生物が生まれる環境も決してひとつではありえない。
脳科学SFとしての側面。
一方、そうした話をしてもロビンが直面している問題が解決するわけではない。治療か、州政府の介入か。その二択を迫られた父親は、第三の選択をとる。亡き妻アリッサが親交を持っていた神経科学の研究者マーティン・カリアーが、「コード解読神経フィードバック実験」と呼ばれるものを行っているが、その被験者となる道だ。
カリアーは神経結合フィードバック(デクネフ)と呼ばれる実験を行う研究者だだ。ある感情を想起させる脳領域をスキャンに学習させ、第二群の被験者にそれと同じ脳領域が活性化されるよう、視覚的刺激などを与え操作する。そうすることによって、記憶した時の感情や感覚を別人に追体験させることができるのだ。苦痛の除去や強迫性障害に使える見込みがあるだけでなく、抑うつや統合失調症や自閉症の緩和に友好だという証拠が集まりつつあったので、カリアーは父親に、ロビンをデクネフを用いた行動変容プログラムに参加させてはどうか、と勧めるのである
プログラムに参加したロビンは、まるでテレビゲームをやっているようだといって上機嫌になり、実際に好成績をとり、生活の質も向上していく。しかし、一度のぼった坂を転がり落ちるように再度の不調に陥り、彼らは実験を次の段階に進めることになる。母親であるアリッサの脳をスキャンしたデータがまだ残っており、それを使ってロビンの感情を教育したらどうかというのだ。亡くなった母親をロビンはずっと慕っており、母親にたいしての数多の疑問も解消に向かうのではないかと。
母親を用いた脳の教育。ロビンは大喜びで提案を受け入れ、実施し、効果は飛躍的に上昇する。次第にロビンの思想・行動・言動はシーオが違和感を覚えるほどに母親に近くなり、同時にその感動的な物語──亡き母を使って学習する、障碍を抱えた息子──はマスコミにバレ、拡散されていく。果たして、ロビンの未来はどこへ向かっていくのだろうか。
おわりに
ラスト10ページまで、いったいこの物語がどのような結末を迎えるのかまるで予想もつかず、どきどきしながら読み進めることになった。この父子にハッピーな結末は訪れるのか、それとも。『オーバーストーリー』のような複雑な物語ではなく、本作は親子の物語としてシンプルにまとまっている。パワーズを今まで一度も読んだことがない、という人にも、読みやすくおすすめしやすい一冊だ。