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国家の繁栄を人種によって説明できるか──『人類のやっかいな遺産──遺伝子、人種、進化の歴史』

人類のやっかいな遺産──遺伝子、人種、進化の歴史

人類のやっかいな遺産──遺伝子、人種、進化の歴史

  • 作者: ニコラス・ウェイド,山形浩生,守岡桜
  • 出版社/メーカー: 晶文社
  • 発売日: 2016/04/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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本書『人類のやっかいな遺産──遺伝子、人種、進化の歴史』は、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』やダロン・アセモグル『国家はなぜ衰退するのか』などで語られてきた、人類社会が地域や国によって豊かであったり貧しかったりするのはなぜだろう、という問いかけに対する違ったアプローチを扱った一冊である。

毎度自分でもどうかと思うのだが資源のあるなしが発展を決めたのだとか、制度の質が決めるんだとか言われると「へ〜そうなのか〜」と驚いてしまうのだが、本書ではある種の人種──各地でばらばらに変化を遂げてきた人間ごとに異なる性向があり、それが発展/非発展に関わっているのではないかという主張が行われている。

さすがに「へ〜そうなのか〜」と即座にうなずくわけでもなく、それだけ聞くとすわとんでも本か、人種差別主義者か! と驚いてしまうし、実際本書発表後にはかなりの批判が行われたようだ。本書はその後の版にて行われたまえがきによる再反論や、内容についても一部の改訂が含まれたものの翻訳になる。その部分については山形浩生さんによる訳者解説できちんと触れられているので割愛するが、少なくとも改訂後は内容的には批判されるべき部分も多いが、差別的な話では(ほとんど)ない。

確かに「人種の違いが文明の発展の有無に関係がある」と言われると「じゃあアフリカの発展が遅れているのはアフリカ人には発展させる能力がないからだってええのか!」と怒りたくもなってくるが、とはいえ肌の色も違えば体型も違う上に人類は今も進化を続けているし、知能も遺伝することがわかっているのだから違いがあってもおかしくはない。「明確に人種(的なものが)が区分けできて、それが特定能力に繋がることが証明できる」のであれば、発展に関係していないはずがないともいえる。

本書ではその議論を進める過程で、『銃・病原菌・鉄』や『国家はなぜ衰退するのか』が主張している説への反論や補足も行われていくのも読みどころのひとつか。たとえば後者は制度が人間社会の成功と失敗にとって中心的なものだと主張している。正しい部分もあるが、たとえば西洋的な制度がどうしても根付かない土地というものも多くあるわけである。西洋制度をイラクには今のところうまく移植できていないし、部族主義をアメリカへ持っていってもおそらく適応できないだろう。

そもそもなぜ同じ人間のはずなのに各地域で生まれた制度がまったく違う形をとってしまったのだろう? 本書はまさにその部分を問いかけてみせる。その結論にあたる仮説は『社会制度は遺伝と文化のブレンドだ。』というように、社会や制度は人間の行動に根ざしており、人間の行動が何に根ざしているのかといえばそれ以前の文化や教育に加えて遺伝子もあるよね──という話である。

なるほどそれはもっともな話ではあるが、いったいどこまでが正しいんだろうか?

そもそも人種なんてものはあるのか?

その議論を推し進めるためにつめておかなければいけない前提として、「そもそも人種なんてあるの?」という疑問がある。別々の地域に住み、長年交配を続けてきた人々に遺伝子的な違いがたしかにあるのであれば、あとの問題は「どのような違いが人間と社会に対しどんな変化を与えるのか?」という検証/研究のターンになる。優しさや知能、暴力性など具体的に発現してくる差異はどれだけあるのか。

逆に人種の違いといえるほどに差異がないと結論が出ているのであれば、その後に行われる議論はほぼ無意味である。一般的には「え、肌の色も体型もけっこう違うし、人種あるでしょ」と理解されているとは思うし、実際コーカソイド、アフリカ系、アジア系などと分類できるがこれを人種と捉えない研究者もいる。『人類は絶対的な境界を持つはっきりわかれた地理的カテゴリーには分類できない』と。

とはいえ実際には人類発祥の地と言われるアフリカからどのような経路をたどって発展・枝分かれしてきたのかもけっこうわかってきて、頭蓋骨や歯列の累計、ゲノムによる区別も行えるので、「人種はあるでしょ、それを人種とは定義しない人もいるだろうけど」という感じの反論を本書では行っており、これはその通りだと思う。

どのような違いが人間と社会に対し変化を与えるのか?

さて、そうなってくると次なる問いかけは遺伝子上のどのような違いが人間と社会に対し変化を与え、韓国と北朝鮮、アフリカと西洋のように発展の違いを生み出したのか? になるが──ここについてはさまざまな仮説や歴史を見回しての具体例が上げられていく(たとえば、ユダヤ人の能力の高さなど)が、根拠薄弱で随分曖昧だ。

というより、たしかに表向き「人種ごとに能力差があるように見える」のはたしかだけれども、遺伝子がそれにどのように貢献しているのかはまだまだ研究途上であって、包括的にはわかるはずがないといったほうが正確か。訳者解説でも詳細に触れられているが、このへんは関係性を断言するのではなく、実に曖昧にぼかしている。

 幼い子どもを使った実験など各種のデータから、協力、他人を助ける、ルールに従う、違反者を罰する、選択的に他人を信用する、公平性の感覚といった生得的な社会性向の存在が指摘されている。こうした行動に向けて神経回路を整える遺伝子は、まだほとんどわかってはいない。でもそれが存在する可能性は充分考えられるし、攻撃性を関係する酸素MAO-Aの制御に関わる遺伝システムや、信頼を調整するホルモンであるオキシトシンの制御に関わる遺伝システムは、すでに明らかになっている。

とまあ、この程度のことしかいえない/わからないのである。

とはいえ根本的な問いかけである「人種の違いは社会制度にどんな影響をあたえるのか?」はやはり視点としておもしろい。当然ながらこれだけが国家の繁栄や衰退を左右する支配的な要因であるはずもないが、見逃されてもいいほど些少な影響しか与えていないとも思えないからだ。仮説は大雑把で根拠も弱いが、問題提起の書としては現時点では悪くない一冊といえる(改訂版ということでだいぶ直っているし)。

注意深く読む必要がある──とここで喚起するまでもなく、訳者解説にて本書を読む上で気をつける点は丁寧に補足されているのでたぶん大丈夫だろう。