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7冠制覇の『叛逆航路』の枠をさらに広げ、推し進める一作──『亡霊星域』

亡霊星域 (創元SF文庫)

亡霊星域 (創元SF文庫)

ヒューゴー賞、ネビュラ賞、クラーク賞など7冠を制覇した『叛逆航路』で鮮烈なデビューを飾ったアン・レッキーだがその続編が本書『亡霊星域』になる。前作は「ANCILLARY JUSTICE(邦題:叛逆航路)」と「ANCILLARY SWORD(亡霊星域)」の舞台がどのような世界観なのか、またブレクという主人公がどんな存在で、どのような動機/復讐心でもって皇帝アナンダ・ミアナーイの殺害──それも数千体の自己を持つ群体である皇帝を殺そうとするのか──を語る始動の一冊であった。

それに次ぐ本書では、そこで開示された「特異な世界観」をさらに推し進めるかのようにして実に細々とした部分を描いてみせる。これが前作とはまったく違った読み味を残しながら、世界が広がっていく感覚が実におもしろい。解説の大野万紀さんは登場人物や世界観や用語がそのまま引き継がれているので『叛逆航路』からとオススメしているが、本作でも前作で起こったことの説明は丁寧に行われるので個人的にはどっちから読んでも気にしなくていいのではないかと思う。

特異な世界観

さて、前作を読んだことがない人向けに「特異な世界観」とは何を意味するのかを説明しておこう。まず何よりも特徴的なのは、出てくる人物たちに性別は存在しているものの、彼らがメインで話すラドチ語では「性別」を表現せず、たとえ生物学的に男であろうとも「彼女」のように表記されることだ。これには性行為抜きで繁殖することができ、性行為自体はジェンダーに関係がなく行われている状況も関係している。

この世界では人類はとうに宇宙に進出し、宇宙戦艦がそこらを飛び回っている。人類最大の勢力は、ラドチと呼ばれる巨大なダイソン球を発祥地し、アナーンダ・ミアナーイを皇帝として戴く専制国家だ。そんな彼女を殺そうとするブレクは、元艦船であり、巨大な兵員母艦とあまたの属躰(意識と感覚を共有する、群体のうちの一体または全ての個体をさす)を使役するAI(だった)である。意識としては統合されていても、無数の属躰がそれぞれの経験を経ていくうちに分裂していってしまい、最後にはブレクは人間の体ひとつのみを有する元群体/現個体になってしまう。

ブレクはそんな状態で、三千年も支配者として君臨している、何千もの個体を持つ皇帝アナンダ・ミアナーイを殺そうと策をねっている。一方、アナンダ・ミアナーイ自身も意識が分裂して自分と自分で内戦を起こしているという意味不明な事態に陥っていることが判明し、事態は混迷を極めていく。ブレクは前作のラストでアナーンダによって軍艦〈カルルの慈〉の艦長及び艦隊司令官に命じられ、アソエクの星系へと任務におもむいた──というところまでが前作の大まかな流れであった。

あらすじとか読みどころとか

艦隊司令官? 迫力の艦隊戦が繰り広げられてスペース・オペラみたいになるのか? と思っていたのだがこれがぜんぜんそんな事はない。着任したばかりのブレクは、ブレク・ミアナーイという名前を与えられそれ以前の経歴が謎にも関わらずいきなり艦隊司令官になった「得体のしれないヤツ」なのだ。周囲からすれば実力も謎、皇帝のコネだろうとやっかみや侮り、さらにいえば敵意までを一身に受けている。

おもしろいのが、ラドチ帝国は皇帝なんてものがいる世界なので古代ローマみたいな古さを感じさせる国家なんだよね。それで、艦船の内部でもこうしたいわば古臭い価値観がはばをきかせている。たとえば着任早々に豪華な食器を倉庫に片付けてしまったら部下は「きちんとした食器なしで出航することなどできません!」と艦の評判に関わるだろうがボケがぁ! と猛烈に抗議してみせる。

これを筆頭として、最初に「細々とした部分を描いてみせる」と書いたが、たとえば迫力の艦隊戦なんかはほぼないかわりに、部下が掃除をサボってるから怒り、規律を艦内にもたらしていく様子が丹念に描かれていく。艦内でさえその有り様なのに、赴任地であるアソエクにまでやってきても先着している艦長はこちらに敵意まるだしで、その上彼らラドチ側が武力で占領支配した土地であるので、先住民との間できな臭い対立が起こっており──と植民地支配上の様々な問題まで立ち上がってくる。

ブレクはかつての群体であった自分と、今は一個体でしかない自分との間のギャップで悩みながら、あくまでも公明正大に物事を推し進めようとする。ブレクがその才覚を活かして徐々に周囲の信頼を得ていく過程も実におもしろいのに加え、「かつては群体だったものが、個体となった時何を感じるのか──」そんな特異なSFでしか描けないであろう感情の揺れ動きもまた見事である。

 わたしはほかのわたしが恋しくてたまらなかった。自分の仕事をほかの体にさせ、ほかの体をやすませ、痛みをやわらげてやることが、今はもうできない。わたしはわたしひとりきりで眠る。〈カルルの慈〉の人間兵が狭い寝台で眠るのを、心のどこかでうらやましいと思った。

三部作なので、第二部でこんなに丁寧にやる暇があるのか? と最初に思ったが、世界観が元からややこしいし、ブレクの物の見方も我々とは大きく隔たっているのでこれぐらい時間と枚数をかけてならしていくのが読み終えた今では良かったのだと思う。加えて、こうした艦内の規律や赴任先での現地住民とのいざこざ、先任艦長らが画策していた陰謀など「実に細々としたいざこざや問題」を通してさらに大きな物語の背景が明らかになって──という流れで次巻も気になる内容に構築されている。

言語のおもしろさ

言語については前作を読んだ時からおもしろいとおもっていたが、今回さらにその独特なおもしろさに触れることができた。たとえば普段はラドチ語で喋っているだが、アソエク星系の住民はまた違う言語を使っている。で、その言語では男女を区別するので、言語を切り替えることで一気に世界に新たなレイヤーが生まれるのだ。

(……)「あなたは彼をここから連れ出す?」
「誰を?」わたしは質問に驚いて、すぐには意味をのみこめなかった。「あなたの弟?」彼女とはデルシグ語で話している。
「そうよ!」苛立ちと憤慨。「もちろん、わたしの弟」

小説を読んでいる時、我々は文字を手がかりに世界を構築する。「彼女」とだけ表記されると想像はそこで止まって、曖昧な存在として読み進めるが、突如別の言語が出現し「彼女」と表記されてきたものが「彼」とか「弟」と新たな枠組みで表記されるようになると、世界に新たな層が加わったような驚きと新鮮さが現れる。言語によって世界の見え方が異なってくるわけでこれが実に独特な読後感をもたらすのが良い。

おわりに

正直言ってかなり地味なストーリーなのだが、しかしてその内実、表現されているものは実に特異な手触りである。7冠制覇の華々しい成果とは裏腹に、誰しもにウケるという間口の広い作品ではないと思うが、かなり尖ったおもしろさなので興味が湧いたら是非読んでもらいたい。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp

叛逆航路 ラドチ戦史 (創元SF文庫)

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