基本読書

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高層住宅で発生する壮絶な階間闘争──『ハイ・ライズ』

ハイ・ライズ (創元SF文庫)

ハイ・ライズ (創元SF文庫)

バラードの代表作の一つと言われるこの『ハイ・ライズ』。

もともとは早川で出ていたものが、本書を原作とした映画が8月に日本で上映されることもあって創元SF文庫から解説も新たに付して出し直された。訳は多少の手が入れられてはいるものの、作品内容に関わる大きな修正点はないとのこと。

舞台となるのは1000戸が入居する40階建てのマンションだ。内部には小学校もレストランもマーケットも存在し、生活が完結できるほどの実験的な巨大住宅であるが──ある時高層住民の犬がプールで溺死させられ、その後連鎖的に階層間で暴力沙汰が頻発するようになり──とマンションは混沌極まりない状況へと陥っていく。

40階建ての巨大住宅は本書刊行の1975年当時は珍しいか、SF的な事象であったであろう。それも現代では珍しいものではなくなったわけで、今読むとどうなんだろうなあと不安に思っていたが、これが杞憂というかなんというか。たしかに設定的には40階の巨大住宅なのだが、それは「設定」であって、バラードはほとんど「混沌化した、異世界そのもの」のように禍々しい筆致でこの場所を描いていくから、現実と同一視して読むのは困難である。バラードの他作品と同様、時代を経ることによる劣化が感じられない浮き上がった作品であることを再認識させられた。

あらすじとか

冒頭からこのマンションに漂う緊張感が次々と描写されていく。住民たちの多くは不眠を訴え、上層と中層と下層にわかれてほのかに存在している「階間闘争」の存在が明かされ、家庭間では結婚していようがいなかろうがありとあまるほどセックスがある──。なんとも陰気な空間と関係性が示された後、冒頭30ページで数々の事件の契機となるアフガンハウンドの溺死体が発見されてしまう。

マンションには50匹ほどの犬がいるが、ほとんどみな上層10階の住人の飼い犬で、50人の子供の大半が下層10階に住んでいるのとは対照的だ。最初に死んだのは人ではなく犬ではあるが──それは上層と下層における不和が明確に視覚化された最初の事象であり、いったん決壊してしまった堰はその後しばらく戻ることはない。

 犬の飼い主と、幼児を持つ親との対抗意識は、ある意味ですでにマンションを分極化していた。上層階と下層階のあいだ、およそ十階から三十階までの中層部は、いわば緩衝地帯のようなものになっていた。犬が死んだあとのみじかい空白期間中、マンション中層部には一種したりげな平穏があった──中層部住人たちはすでに、建物内に起こりつつあることに気づいているかのように。

この、徐々に不穏な空気が広まっていく描写が素晴らしい。ちなみにこのマンションがどのように階層化されているのかといえば、10階のショッピングモールを明確な境界とし、映画技術者やスチュワーデスなどの住む9階までは下層とされている。プールやレストランなどのある35階までが医師や弁護士、会計士などの専門職の人々からなる中層部。そこから40階までが実業家などからなる上流階級である。

人間社会の極端な縮図

ここまではっきりと階層化されているとそりゃあ息もつまるだろう。階層間の軋轢から発生したマンション内での犬殺しは、連鎖的に人殺しに発展し──と単体で完結した夢のような高層住宅は最終的には制御もきかなくなって、お互いがお互いにためらいなく暴力を振るう魔境と化していく。本書ではそれぞれの階層に中心人物を置き、ここから発生する本格的な「階間闘争」を違った立場から体験していくことになる。

プロット的なおもしろさが魅力というよりかは、子供の声や犬のわめき声が気になる、生活をしていく上で常に階層差が目に入る、果ては空調の些細な音さえも気になるといったいらだちが積み重なり、狂気へと落ち込んでいく住民一人一人の描写そのものが見事である。マンションからどこにも出でる必要がないほど完結してしまっている閉鎖空間だからこそ、その内部は凝縮された人間社会そのものの縮図となり、人間が他の人間へと抱く混沌とした感情がこれでもかというほど溢れ出してくる。

マンションの上層を目指し登っていく人物の描写はそこがマンションであることも忘れるほどの幻想的/神話的な光景であるし、施設が破壊されゴミが周辺に巻き散らかされ荒廃していく光景はディストピア世界のようだ。本書は読み進めれば読み進めるほど異世界を描いたファンタジーか神話、それか文明崩壊後のSFを読んでいるとしか思えない気分になってくるのもあまりに独特な読み心地に繋がっている。

おわりに

そうした「不穏な空気」とか、「退廃的な光景の美しさ」みたいなものはやはり描写それ自体を読んでもらう以外には伝えにくいところなのでこのぐらいでやめておく。この『ハイ・ライズ』はバラード作品の中でも特に好きな一品なので、こうして改めて読めるようになったのは本当にうれしいですね。あと映画も(事前に見た人の評判によるとめっちゃ良いらしいので)楽しみだ。