スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?──アスリートの科学 (ハヤカワ・ノンフクション文庫)
- 作者: デイヴィッドエプスタイン,福典之,川又政治
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/07/07
- メディア: 文庫
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本書は書名通りに遺伝子がスポーツの成績にどのような影響をあたえるのかを広範囲にわたって分析した一冊である。僕は年始に駅伝を観ていると黒人がすごい勢いで走って差を詰めて(あるいは引き離して)おり、「黒人にゃ敵わんよなあ」と当たり前のように受け入れてしまっているが、実際男女に差があるように「人間は生まれながらにして機能に差がある」のである。かといってイチローに対して「お前は一切努力しなくても才能があったからその記録が出せたのだ」という人もいないだろう。
才能に関わらず、練習量が1万時間を超えたあたりで多くの人がプロレベルに達するというよく知られた法則もあるが、これも今では否定的な根拠が無数に上がっており、中でもスポーツには当てはまらない部分が多い(当てはまる分野もなくはない)。
わかりやすい例をあげると、本書が書かれた時点で歴史上17人のアメリカ人選手と14人のイギリスの選手がマラソンで2時間10分を切っているが、ケニアのカレンジン族は"1年間"で72人の選手が2時間10分を切っている。2013年にシカゴマラソンを驚異的なレコードで制したのは数年前まで農業に専念していてろくに走ったことなどないこの部族の男であることを考えると、訓練は成績に影響しないわけではないが、ことマラソンにおいては身体的な特性が重要であることがわかる。
これは極端な例かもしれないが、ここで重要なのは「生まれか育ちか」と二極の議論をすることではなく「どのような割合で生まれと訓練がスポーツの成績に関与しているのか」などの複雑な過程を解きほぐすことにある。
たとえば、とある実験では、同じウェイトトレーニングを行い大腿筋繊維が50%成長したグループ、25%成長したグループ、まったく成長しなかったグループがそれぞれ存在した。このうち最大級に筋肉が増えたグループは、活性化して筋肉を成長させるのを待っている衛星細胞を大腿四頭筋に一番多く持っていた。彼らは、「トレーニングの効果がより多く得られる初期設定」を持っていた人たちということになる。
自身の適性を把握し、より有利な場所に移動して咲きなさい
この結果を受けて、「その初期設定を持っていない人間にとってはウェイトトレーニングは無意味だ」と悲観的になることもできるが、人によって適した筋肉強化ポイントは違うのだと楽観的に捉えることもできるだろう。
たとえば、あるカヤックの代表選手は肩の筋肉の90%以上が遅筋線維であったが、それが判明したのち戦略的により長い距離のレースに変更することで世界でも有数の選手となった。ここから教訓を得るとしたら「置かれた場所で咲きなさい」ではなく、「自身の適性を把握し、より有利な場所に移動して咲きなさい」になるだろう。
著者あとがきでは、本書を発表後に受けたさまざまな批判への反論が述べられている。その批判の中には、科学的な反論ではなく「社会的メッセージにそぐわない」といっているものがある。ようは、「誰もが努力で花開く世界であるとしておかないと、努力をしなくなってしまうではないか」ということである。これはもちろん真実の可能性もあるが(やる気のなくなる人もいないわけではなかろう)、本書のメッセージの一つである『最高のパフォーマンスを発揮するためにはそれぞれの才能に合った努力の道すじを見つけることが決定的に重要である』というのもまた真実だろう。
「スポーツ」だからそう考えられるところもあるが、才能とはいっても所詮トッププロの話でもある。マラソンを2時間10分で走るには特別な才能が必要かもしれないが、プロとして競い合わず、時間をかければ誰でも完走することはできる(足がなくとも車いすを使えばいい)。車を使えばもっと早く走れるし、仮に自身の酸素供給量などの能力がプロと比べて劣っていると出たところで、「才能がない」と競技やスポーツに熱中することを諦める理由は、ほとんどの人にとってはないように思う。
おわりに
この記事では少ししか触れられていないが、本書で検証されていく無数の要素はどれも興味深い。高地トレーニングは本当に効果的なのか? トレーニングを行うのに遅すぎるということはないのか? 身長はどう決まっているのか? 負傷リスクに遺伝子は関係あるのか? などなどどれも相当な分量を割いて考察してくれるので、スポーツと遺伝子について考えるためには現状本書が何よりも適しているだろう。